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11月2日~3日にかけて一ノ瀬からチブリ尾根に登りチブリ尾根避難小屋で一泊、別山を経て三ノ峰避難小屋から小池方面へと下り、杉峠を越えて一ノ瀬へと単独でロングコース縦走をしてきました。季節的に積雪の心配もしながらの縦走だったのですが、三ノ峰避難小屋から小池方面へ約20メートルほど下った所に、昭和46年10月27日遭難され季節外れの降雪の中、抱き合うように亡くなられていた若い御夫婦の慰霊碑を目にしました。遭難された日は私の誕生日と同じ日だったので、とても他人事とは思えず慰霊碑の掃除をさせて頂いた後、手を合わせ御冥福をお祈りいたしました。そこで疑問に感じたのですが、この当時三ノ峰避難小屋は既にあったのでしょうか?もしも今のような立派な避難小屋ではなくても避難できる小屋が存在していたのなら、こんな悲しい悲劇は起こらなかったのではないでしょうか。仮に小屋が存在していたのなら、こんなに近くで遭難された御夫婦はあまりにも悲しすぎます。これから先も私の脳裏から消えることのない悲しい出来事です。。。

A 回答 (1件)

http://www.jac.or.jp/image/photo/hyoshi/fukui001 …

こちらの記載によりますと、福井国体の時のようです。
福井国体は、昭和43年ですから、あったということになりますね。
但し、現在地かどうかはわかりません。
吹雪いて見えなかったのでしょうかね?残念でした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
遭難された時にはすでに建てられていたのですか。。。
この登山が新婚旅行を兼ねた登山だった事を後で知り
あまりにも悲しすぎる悲劇に言葉もでないです。。。

お礼日時:2011/11/07 13:40

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