プロが教えるわが家の防犯対策術!

このサイトでは、学校に行きたくないという質問があると、
結構、無理に行かせない方が良いという回答があります。
前から、それには疑問だったんですが、不登校の話は置いておいて。


小学校の半ばまで、子がやりたくない自信がないと言うことを
ほとんどやらないで良いよ。と親が片づけてくれた子は、
小学校高学年になると、控えめで、自分の意見や考えも発信できなく、
他の子と歴然の差を感じることがあります。(友だちも少なかったり。)

そういう子は、男子だったら、露骨にバカにされたりするかもしれませんが、
女子だと悪くは言われなくても他の子から体裁よく避けられるようになる様子が伺えます。

もう中学入学が見えてきて、そんな風だと心配もあります。
親の愛情も感じる一方、 あまり突き放さなかったため、こんなに大きくなってからコミュニケーション能力を養わなきゃならないというハンデをもったまま中学をスタートすることになる気がします。

例えば、その子と付き合っていく小学校卒業までの担任教師だとしたら、その子にどう接すればいいでしょうか?


1.
それもその子の個性として、フォロー多めに接する。他の子にもその子をよろしく頼む(直接言わない)風な雰囲気にする。

2.
多少、自分でやる、嫌でもやる風にこっちが嫌われるのも覚悟の上、少しずつ負荷をかけていく。


それぞれ極端に想像しないでいただきたいのですが、要するにどっちに舵をとるべきでしょうか?。

ちなみに、女の子は、小学校高学年にもなると、足を引っ張る子や自分と合わない同性の子について、
男子ほど寛容でない気がします。
そして、自分とは?他人とは?を考え出す時期で忙しく、他の子に手を差し伸べている場合じゃないというのも感じます。
強気で逞しい女の子がいて、救ってくれるかもしれませんが。

ご教示の程おねがいします。
(私は教員でも講師でもありません。)

A 回答 (2件)

補足をありがとうございます。


間接的な表現を用いたために伝わりにくくなっていたことをお詫びいたします。

教育上で特別な支援が必要な「発達障害」傾向を持つ児童の割合は、10人に1人に及んでいることはご存知のことと思います。 (文部科学省による平成14年2月から3月にかけて「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」では、6.3%ですが、その周辺の気になる児童まで含めたときに10%という意味です。)

小学校高学年になって、社会性が不十分であり、自己評価が極めて低い状態にある児童がいたときには、その原因として、親の養育態度の不備を疑った場合であっても、まずは「発達障害傾向」を疑うのが筋でしょう、という意味です。

そして、軽度の発達障害を持っていると仮定した支援を行うことが有用かどうか?を試行することを優先させてはいかがでしょうか?という提案でした。

発達障害を持っているときに、信頼関係を築くことなく不用意に負荷を与えると、その子どもは追い詰められて不適応を起こす可能性があるからです。

発達障害を持つ児童の社会性を伸ばすための工夫については、多数の文献があります。ただ、実際の「1人の児童」に、どのような指導をするのが好ましいのか?となると、実践経験の豊富な方の指導をうけることが肝要と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お気遣いまでいただきまして。
子どもだけでなく、高齢者まで接します。
軽度のという可能性であれば、発達障害の可能性も頭の片隅に入れておいた方がいいですね。
軽度であれば、親もわざわざ言ってくれなかったとしても不思議ではないですね。

発達障害の子とも接しますが、一般の子とどういう風に持っていくかは悩むところです。
そういう同性に対して、女の子って、結構、計算しつつドライだったり、男の子はヒドイように見えるけど、
仲間意識があったり。

でも、立場の限界と接する時間に限りがあったり、他にも注意を向けなければならないし、
結局なにもしてあげられないのかもしれませんけどね。

参考になり、色々考えることが出来ました。

お礼日時:2011/11/09 18:38

(不登校を含め、トラブルを抱えた子どもたちと、素人の伴走者として継続的に関わって来た立場からの感想です。



>小学校の半ばまで、子がやりたくない自信がないと言うことをほとんどやらないで良いよ。と親が片づけてくれた子は、小学校高学年になると、控えめで、自分の意見や考えも発信できなく、他の子と歴然の差を感じることがあります。(友だちも少なかったり。)

どの程度の人数での統計資料なのでしょう? また、原因と結果のどちらが先なのでしょう?
書かれた内容は、「ある1人の女の子」の育ちを見たときに、傍からみると「甘やかされて」育ってしまったために、本来身に着けるべき能力が育っていないと感じられる、~その特定の子に対しての接し方に悩む~と、受け取れます。

子どもの弱点を分析できないまでも感じ取っている親は多いのです。 やりたくないこと、自信がないことを無理強いしてしまうことで潰れる部分もあります。 普通は、得意なこと、好きなことを伸ばすことで自信をつけるように推奨されます。 心を育てるという意味では、「自己肯定感を健全に持つ」ことが、とても大切だからです。

ですから、自信がないことを無理強いしなかったのに、それでも自己肯定感を持つことができないなら、それは生まれつきの特性なのでしょう。(「感性が少数派」に生まれついている可能性があります。)

この意味では、1の「フォローを多めにする」という対応が必要でしょう。
しかし、指導的立場にある人(例えば担任)が、フォローをするときに、「能力が足りないからフォローをする」のではなく、「別の視点を持っている、別の感性を持っている」という「対等でありながら、少数派」という指導をする必要があると思います。 
対人能力に不足があったとしても、別の優れている側面を引き出すことは可能なはずです。 
他の子どもたちも「自分とは異なる考え方・受け止め方をする人もいるのだ」と、相手の立場を思いやるという意味で、成長を促す教育効果が見込めると思われます。~劣っているからカバーするのではなく、対等でありながら違う受け止め方をする少数派の存在を理解することで、思考の幅を広げるように導くのです。 
周囲の子どもに負担をかけのではなく、周囲の子どもをより成長させるチャンスだという立場です。

また、これは、2の、「本人に対して少しずつ負荷をかける」も当然に、平行して進める課題であろうと思います。 本人の対人能力を伸ばすことはとても大切です。 

ただ、単に負荷を少しずつ与えれば良いわけではありません。 少しの負荷であっても、解決する道筋を「教える」必要がある場合があります。
高学年で対人能力が自然に育っていないお子さんでは、五感のすべてが異なっている可能性があります。このようなときには、当たり前と感じてしまう事柄についても、一つ一つ「~という時にはこのようにする」と、具体的に・簡潔に・文字やイラストを補助的に用いて視覚的に伝える必要があります。
また、あれもこれも、と、欲張ると、さらに弱気になり自信を失う原因になります。
ですから、「到達できる課題の設定」と、それをクリアさせるための工夫を丁寧に計画した上で、本当に少しずつ負荷をかけるわけです。 このときに、「嫌われる」ことは避けなければなりません。 
「大好きで信頼している○○さんが、やろう、って言っているから頑張る」という信頼関係が必要です。
そして、成功したときに、一緒に心から喜んでくれるから、だから頑張ることができるのです。

嫌われても良いから負荷を~というのは、本人ますます萎縮させてしまう恐れを感じます。
のびのびと、安心できるときに、はじめて能力を伸ばして新しい課題をこなすことができるのですから。

実際に、そのお子さんに接していない者の感想ですので、的外れでしたらお許し下さい。
いずれにしろ、どちらにも舵をとることなく、車の両輪のようにバランスを取ることを意識なさってはいかがでしょうか?

この回答への補足

ありがとうございます。具体的な立場と関わる件数については控えさせていただきます。
疑問が沸いた時には、仮説を立てては極端に、または敢えて偏った自問自答し、考えてみますが、自分一人の発想だけでは限度がありますので、
よくこの場を借りて、ヒントをいただいています。
言葉の表現がご自身の使い方と合致しない部分もあるかと思いますが、よろしくお願いします。

補足日時:2011/11/08 12:20
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