この人頭いいなと思ったエピソード

名鉄名古屋駅、近鉄名古屋駅は昔はつながっていたということですが、
現在の駅、線路の位置関係をあらわした地図か図のようなものはありませんか?
ついでに地下鉄の駅、線路との位置関係も、知りたいです。
JRは地上で関係ないのでしょうか?
どなたか、資料か説明をお願いします。

A 回答 (4件)

近鉄名古屋駅の現在の普通、準急の発着ホームをスイッチバックしてから名鉄新名古屋駅(当時)に入り、熱田神宮(神宮前)、豊川稲荷(この時は伊奈駅から平井信号場脇にある小坂井駅に入線して飯田線で豊川駅)、犬山鵜飼(新鵜沼、新可児)が主な近鉄の乗り入れでした。

豊川に向かった路線は現在は廃線になっており、コンクリート工場の脇の側線から飯田線に乗り入れていました。

 貴方がユーチチュブに記載された図でありますが、これですと岐阜駅に向かう形になりますし、走行はできません。昭和25年~昭和27年の図では近鉄の普通ホームは名鉄が豊橋方面から乗り入れて来た時に使用したホームですし、準急のホームは近鉄の折り返し専用ホームです。改軌の際に資材置き場に転用された後の昭和35年か36年頃(資料の返却で曖昧ですみません)に完全に撤去されました。隧道に関しては完全に塞ぐ事が不可能ですので支柱に隠れた箇所はあります。名鉄側の前回書きましたホームの支柱や隧道の一部はホームの拡張で弱化ですが名残はありますし、放送室は以前は車両の監視場としても使用されていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました.

歴史が複雑で理解するのが容易ではないようです。

http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-118. …

の阪急梅田駅の変遷のような図が
ネット上に出てくることを期待しています。

お礼日時:2011/11/20 14:04

補足に関しての回答ですが、私共の先輩で名鉄や近鉄の関連者に資料を提供していただきましたから現在は資料等は返却しましたから当方にはありません。



 参考になる資料の一つは名鉄、近鉄の社内誌や名鉄は会社の100年史には詳細が記載されています。短絡線跡は名鉄側からは名鉄百貨店の地下フロアの増床で隠れています。壁は塞がれていますが、豊橋方面側には窪んだ場所があり、そこには柱が設置されていませんから判断できます。使用されていた期間は2年程で知らない方がいるのは当然ですし、資料等も貴重ですので提供された先輩に返却しました。廃止後は3年程放置されていましたが、その後に撤去されました。

 名鉄80年史には名鉄名古屋駅が新名古屋駅として開業した当時の資料が記載されており、近鉄の連絡開札がある付近は相対式のホームでした。地上部分は現在はメルサや近鉄百貨店が建っており、段差のある付近がその名残です。島式のホームは現在と異なり、特急の乗降ホームは分断されており、位置も移動しています。また、名鉄の百貨店に繋がるホーム相対式は後から追加されました。当時のホームの名残は岐阜方面から拡張されている部分があり、先程の短絡線がある付近まで続き、上下線の隧道部分が貫かれているのがその遺構です。
 
 近鉄側の資料ですが殆どが大阪本線(伊勢中川駅~大阪上本町駅)の記載が中心ですから伊勢湾台風の罹災による改軌以外では記録が殆どなく、50年史に若干その記事がある位です。名古屋駅に関する資料は開業に関する落成式やホーム等の案内が記載されており、短絡線は開業から14年後に追加されていますから殆ど資料はありません。また、遺構を改軌時には工事の作業抗として利用されていた事は近鉄の資料にも残されておりません。 

この回答への補足

ありがとうございます。

略図を描いて尋ねたかったのですが、
静止画の共有サイトのようなものが
パソコン素人の私にはわかりませんでした。

近鉄と名鉄の名古屋駅間の関係の図を描いて
ユーチューブに初めて投稿してみました。

このような短絡線になるのでしょうか。
ユーチューブ、見れますでしょうか?

補足日時:2011/11/19 21:24
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 私は名古屋に在住し、ある鉄道サークルで鉄道産業考古学を教えている管理者ですので回答をさせていただきます。



 名古屋の鉄道史から学ぶ点としては内容が濃いので、関連した会社毎に記します。

 <JR東海との関係>
 現在の駅とは開業当初は駅の位置が異なっており、駅の前の道路は一部を東海道線、中央線、関西線の線路跡を転用したものです。当時の国鉄の名古屋駅に最初に乗り入れたのは名岐鉄道(名鉄の前身)で電気量販店のエイデンの店舗の付近に在った柳橋駅を移動させて開業をしました。次に開業をしたのは関西急行電鉄(近鉄の前身)が現在の在来線ホームのある周辺(名古屋車両区が以前ここにあった)に地下として名古屋駅をしました。

 <相互乗り入れについて>
 名古屋駅は名鉄、近鉄共に地下駅として開業をしており、当時は東洋一の地下駅で有名であり、短絡線は現在は塞がれていますが、名鉄からは見る事はできませんが、近鉄の普通の発着線を出てから少し行った場所にその跡を見る事が可能です。当時は名鉄、近鉄共にJRと同じ軌道ゲージで伊勢湾台風に因る罹災で本線との乗り入れに伴う改軌までは乗り入れていました。近鉄は熱田神宮の参拝の団体が中心で、名鉄は伊勢神宮の参拝と養老への団体が中心でそれぞれ使用されていました。

 <名鉄名古屋駅>
 ここは当初にあった東海道線のホームの真下に設置され、先に書いた柳橋駅~枇杷島橋駅(現在の枇杷島分岐点)を付け替えて開業をしました。西枇杷島駅は当時は枇杷島橋駅の付属貨物駅であり、当時の東枇杷島駅は名岐国道の康生町交差点にありました。栄生駅は国鉄の信号場に隣接して設置され、地下駅の乗り入れ制限がありました。

 名古屋駅から豊橋駅方面の開業は愛知電気鉄道(名岐鉄道と合併)により開業をし、この時に前記の短絡線が設置されました。神宮前駅から名古屋駅の動脈はこの時に完成し、金山駅が金山橋駅としてJRの駅より早く怪魚をしました。

 <近鉄名古屋駅>
 当初は伊勢電気鉄道が開業させる予定でしたが、会長であった人物が贈賄で逮捕されて大阪軌道に合併された後に子会社の関西急行に因り開業しました。

 <名古屋市交通局名古屋駅>
 こちらは東山線が東西に貫く路線として開業した後に市電を廃止、桜通線の開業により現在体系になりました。名古屋の市電は現在の名鉄が開業させた路面電車であり、日本では京都市の市電に次古い歴史を持ちます。

 <JR名古屋駅>
 最初の名古屋駅は現在のあおなみ線のささしまライブ駅の付近にあり、東海道線と中央線の名古屋に関しては名護屋、関西線は愛知駅で呼び名が異なっていました。愛知駅の跡は現在はJR東海の整備工場になり、痕跡はありません。

 以上が5年程前に私が鉄道サークルでパワーポイントやワンノートを使用して中学生、高校生を中心に指導した内容ですので、貴方の参考になれば幸いです。

この回答への補足

ありがとうございます。
近鉄のホームと、名鉄のホーム、短絡線の位置関係を示した
図のようなものが見たいのですが、
そのようなものはありませんでしょうか?

よろしくおねがいいたします。

補足日時:2011/11/18 21:43
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参考URLは、名駅ドットコムと言うサイトでして、鉄道に、JR・・近鉄・・名鉄・・地下鉄、各名古屋駅の1階の地図が記載してあります。



現在も、名鉄名古屋駅と近鉄名古屋駅の各改札口は、双方へ直接行ける改札口が一箇所、地下のホームにのみあります。

但し、それぞれの位置関係を言葉にして書くことは非常に無理がありますので、名古屋駅と入力され、色んなサイトから確認して下さい。
特に、名古屋駅を利用されていない方には、言葉ではなおさら難しすぎます、位置関係は。
一応簡単ですが、一番東に位置しているのが近鉄名古屋駅、あと、近鉄名古屋駅、名鉄名古屋駅、地下鉄名古屋駅、JR名古屋駅は、地下(街)などで繋がっておりますが、直ぐではありません。

参考URL:http://www.meieki.com/
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/11/18 21:40

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