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将軍家>親藩大名>譜代大名>外様大名>高家>旗本>御家人
(左は高く、右は低いという設定です。)

こうのような認識でよろしいですか?
間違っているところ、抜けているところがあれば教えてください。

A 回答 (5件)

http://bakumatu.727.net/iroha/mame-hikaema.htm

こんな感じ。
位階によるざっくりな区分けで、江戸城における控えの間が違ってくる。
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 階級をナニで測るか、という問題をまず解決しないと回答はできません。



 例えば、叙任の・・・ 尾張大納言を筆頭に、中納言とか宰相とか、形式的には朝廷から与えられる位階。

 例えば、石高・・・ 加賀前田家(100万石)を筆頭にした大大名、国持大名、城持ち大名、小名(一応、1万石以上を大名とは言う)などの区分け

 例えば、幕府の役職・・・ 非常設の大老を筆頭に、老中、若年寄、大目付・・・

 武士には区分けがいろいろあって、質問者さんの分類はおおざっぱで、それぞれの分類の中でもピンキリなのです。なので、かなりの部分重なります。



 例えば加賀前田家は、徳川将軍家に次ぐ大大名ですが、幕府の役には就くことができず、位階は記憶ですが宰相止まりだったと思います。

 将軍綱吉が、まだ跡継ぎにならない時、甲府宰相と呼ばれていたように記憶しています。つまり、宰相でもかなり高い。

 外様はとにかく幕府の役職には就けませんが、石高は多いところが多く、位階も並の譜代よりも高かったような。

 だとすると、質問者さんの基準では 外様>譜代 ということになりますか?

 幕府の役職に就けるのは譜代大名や旗本・御家人で、譜代大名というと石高1~10万石くらいですが、老中になれば国持大名でも頭を下げました。大老などは、将軍以外の者の名前を、例えば「前田殿」と呼びかけず、「前田、そのほうは」などと呼び捨てしたそうです。

 高家は7000石くらいじゃなかったですか。

 つまり、彼らより石高の多い旗本はいました。が、家格・位階は3~4万石格だったような(数字はかなり曖昧ですが、とにかく家格は大名扱いで、位階はかなり高い)。

 つまり、高家は譜代大名の(一部の)上、と言えなくもない・・・ 。

 単純に上下をつけるのは難しいです。
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#2 にちょこっと補足しますが, 高家でも 7000石はなかったような気がします. 2000~5000石程度じゃないかな. ただし, 高家は朝廷の使者を接待したり将軍の代わりに参内したりする必要があるため (朝廷における) 位階は高く, 四位まで上ります (そうしないと昇殿が許されないため).



一方で「ふつ~の大名」は五位くらいまでしか上らないので, 石高による序列と位階による序列とではかなりの違いがあります.
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平武士と大名を比べる事は無意味です。

武士の階級というものは有りません。大名は禄高で高低が決まります。武士の階級を言うなら、武士の身分です。これを参考にすれば良いでしょう。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/gary/aizumibun.htm
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>こうのような認識でよろしいですか?



残念ながらよろしくないです。
なぜならば、階級のようなものを曖昧にして、誰が偉いのか分からなくするのが徳川家康の狙いだったからです。

親藩は将軍の親戚だという「名誉」があるだけで、藩主は幕府の要職には就くことはできません。
外様大名は禄高が多い大大名が多いですが、これもまた、幕府の要職には就けません。
譜代大名や旗本は徳川家直属の家臣で、禄高はあまり高くないですが幕府の要職に就き、実際の権力を持ちました。
特に旗本でも高家と呼ばれる旗本は、格式ではその辺の大名よりずーっと上でした。
有名な「忠臣蔵」の悪役、吉良上野介は4千2百石の旗本でありながら、5万石の大名である浅野内匠頭を「田舎侍!」などとののしっています。(まぁ、これはお芝居の話ですが)

名誉、禄高、権力、格式を分散させたのです。
これは謀反の防止の為です。

ようするに、色々な分野でNo1を作ることによって、誰かが徳川に対して謀反を起こそうと仲間を集めようとしても「俺の方が偉いんだ、お前の下になんかつけるか」「俺の方が偉い、いいや、偉いのは俺の方だ」と、誰かが突出したリーダーシップを取るのを防ぐ為です。

 
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