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世界史の質問です。

「アンボイナ事件でオランダにアジア貿易の覇権を握られたイギリスは、1651年に航海法を制定して港に、オランダの中継貿易を邪魔することで、オランダ対策とした。」という記述は、多くのWebにも出ていますよね。

わからなかったのは、当時のオランダの中継貿易がどこと、何を取引していたのかということです。検索の仕方が悪いのか、一向に引っかかりませんてました。

簡単に書きましたが、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ここらへんの話は羽田正先生の興亡の世界史15巻「東インド会社とアジアの海」 に


いろいろと詳しく書いてあるので、一読することを勧めます。
図書館ならだいたい置いてあると思います。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search …
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その頃って、ほら、日本にまで来てたじゃない。


長崎の出島に。

ただなんとなく居ただけだったのかな?
コストめちゃめちゃかかったはずですよ。
今の感覚で言うと友人宇宙ステーションみたいなもんだから。
貿易の旨みがものすごくあったから、居たんじゃない?

ポルトガルやスペインは布教とセットだったから追い払われてしまいましたが、
オランダは宗教は持ち込まないということで残ったのでした。

江戸時代で鎖国をしていたのにも関わらず、世界の銅の1/3が別子銅山のものだったともいいます。
出島から出ていったはずです。

生野の銀も相当出ていったようです。


この辺りを読まれてはどうでしょう?

オランダ東インド会社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9% …
香辛料貿易
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%BE%9B% …
蘇る出島
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/mai …
別子銅山のあゆみ
http://www.city.niihama.lg.jp/unyu/kankou/besshi …
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当時世界の海を席巻したオランダですので、およそ地中海貿易以外の世界中の貿易がオランダ船で行われていたと思ったほうがいいくらいです。

それを造船業が追いついてきたイギリス・フランスなどが追いかけてきて、とくにイギリスは武力で植民地を増やしていき、自分が植民地として確立した地でオランダを締め出して行く流れです。

特に目玉のルートは、
インドネシア⇒マラッカ⇒ケープ⇒ヨーロッパのルートで香辛料をインドネシアから仕入れヨーロッパに売ることで巨万の富を得ました。ヨーロッパ側の市場としてのメインはリスボンだと思います。(さらにリスボンから地中海貿易を通してヨーロッパ各国に香辛料が輸出されます。)

さらにインドネシアーインド間で貿易を行い、その利益を香辛料にして持ち帰る流れがあったでしょう。
このインド・インドネシア間の貿易を止める、マラッカケープ間にあるインドの港に寄港できなくなるといったことが、オランダに打撃となったわけです。
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