母は79歳。
既往症はC型肝炎、心臓大動脈弁不全症(手術はしていません)と34歳の時に胃潰瘍で胃を三分の二ほど切除しています。
2年前に脳梗塞(右脳)と心不全になり、発見当初は左側麻痺、嚥下障害もありましたが、その後リハビリの成果もあり順調に回復。自宅復帰し、要介護1の判定のもと、リハビリパンツを装着しながらで週一度のディサービス、二度の入浴サービスを受けておりました。
視野狭窄もあったのですが(左目しか見えません)、長年居住していた場所のため、一人で毎日30分ほどの散歩をこなすまでになっていました。
本当に、元気になりました。認知症もないため、一人での留守番も問題なくこなし、電話応対もきちんとしてました。
食事制限もなく、入れ歯も新しく作り食べたい物を食べ、
このまま、笑いながらおだやかにゆっくりと時が流れていくものだとばかり思ってました。
しかし、7月4日に脳梗塞が再発。今回は、左側。2度目なので見たところかなりひどいようです。
ショートステイ先での発作だったため、処置は早かったようです。(私は遠くはなれた場所にいました)
その後、点滴が続いていますが、意識障害がありとても食べさせられる状態ではない、と医師から言われました。
入院している病院は、初回脳梗塞後に転院した病院で、以来この2年の間、ひと月に一度通院して薬を処方していただいてました。
(主治医の専門は脳神経科ではありません。入院して数日経ったころ、総合病院への転院を打診していただきましたが、断られたそうです)
左脳が梗塞を起こしたのですが、四肢は完全麻痺ではなく動いています。
意識障害の程度がどのくらいなのか素人にはわかりませんが、私の呼びかけには首を傾げます。
「私よ、わかる?わかるのなら、右手を上げて!」というと、右手を上げます。
ただ、目の焦点が今一つあっていないように思えます。
首も麻痺のせいなのか、いつも左側に少し曲がっています。
母がよく見ていたテレビ番組の話しをしたり、近所の人の話しをすると笑ったり泣き顔になったりしますので、話すことは、すべてとはいいませんがわかっていると思います。
しかし、言葉は全くでません。
加えて話してる途中に傾眠とでもいうのでしょうか、意識がボーっとなって反応がなくなります。
私の話しかけに対して笑ったりしていたかと思えば、目が半開きになりうとうとしいびきをかき始め、そのうちに半目を開け、手を上げて何かを探すような動作をします。その時は、視線もその“何か”を追っているように動きます。
医師は、とても食べさせられる状態ではない、と言います。
私も、そう思います。
でも、どうにかならないものかと、前に脳梗塞のリハビリでやった嚥下リハビリマッサージやネットでいろいろ調べて試して見るのですが、いくら「口をあーーんしてみて」「今度閉じてみて」「舌を前に出して見て」と言っても、やれません。(本人は、やってるつもりのように・・・見えます)
綿棒で上口蓋を刺激すると唇をすぼめるものの、舌を刺激しても無反応。
この状態だと、嚥下リハビリ以前の問題ではないかとも思えてきて、無力になります。
そして入院以来点滴だけで過ごしてきたのですが、医師から“胃ろう”か”首を切開して高カロリー輸液入れることになる”と言われました。
元気なころ、母は「胃ろうは嫌だ。管を繋がれてスパゲティみたいになるのも嫌」と言ってました。
そして、入会してはいないものの”日本尊厳死協会”の電話番号を書いた紙を持っています。(協会に電話して入会の有無を確かめました)
私は、揺れています。
胃ろうは嫌だと言っていたので、そのことは医師に告げました。
首からの点滴も、そこまで痛い思いをしてやってどうなるのか、と思い断りました。
しかし、このままだと腕からの点滴だけで衰弱していくのを見るだけになります。
もし意識が完全になかったのなら、迷うことなく胃ろうも首からの点滴も拒否し恐らくは後悔もしないだろうと思います。
けれど、母には意識があります。
私の言うことを理解する能力が残されています。
そんな母を、私はこのまま衰弱させようとしているのではないかと思うと、罪悪感にさいなまれます。
しかし胃ろうすることは母の意思ではなく・・・
入院して2週間が経過し、意識の完全な回復はないものの笑顔もとてもしっかりしています。
もし、なんとかなるのなら助けてあげたい。
もしかしたら、意識障害が改善されて口から食べれるようになるかもしれない。
そんな期待が病院に足を運ぶ度に浮かんでは消えていきます。
胃ろうを希望しないと言っていた人に、「胃ろうつける?」なんて、とても聞けません。
けれど、なんらかの処置をしなければ母は衰弱するのみ。
一度は、胃ろうも首の切開もしないと決めました。
でも、揺れています。
母は、本当はどうしたいのか?意識がある母を毎日何時間も見つめながら私の心は揺れています。
本音は、生きていて欲しいです。
でも、たとえ意識があって理解力があったとしても栄養を注入されるだけのこれからの生活が母にとって本当にいいことなのか。
わかりません。
人は食べられなくなったら、その時が死にどき、というのは生物学的に理解はできます。
しかし、それを私の理性の半分が受けつけようとしません。
わたしの話すことをすべてではないにしろ理解している母を、どうしたらいいのか。
毎日、毎日考えても答えはでません。
とても苦しいです。
そうしている間に、母は確実に衰弱していきます。
どうしたらいいのか、どの選択が母にとって一番うれしいことなのか。
考えても、考えても答えが見えてきません。
A 回答 (2件)
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No.2
- 回答日時:
脳神経外科医です。
実際にお母様を診察したわけではありませんで、これから回答する内容は質問の文章を読んだ限りでの判断となることをご了承ください。
私がもしもお母様の主治医であったならば、すぐに胃管(鼻から胃の中まで挿入するチューブ)を挿入して経管栄養を開始すると思います。脳梗塞の急性期治療において、患者さんの栄養状態を維持することは感染症など他の合併症を予防する上でも非常に重要だと思います。そして栄養はできるだけ本来の生理的な状態で与えた方が良いですから、中心静脈栄養(高カロリー輸液)よりは経管栄養を用いるのが望ましいでしょう。経管栄養を用いて消化管を動かすことで胃や腸粘膜の萎縮を防げますので、感染症の予防にも繋がります。
経管栄養で栄養状態を改善・維持しながら並行してリハビリを開始します。嚥下機能を専門的に評価して訓練可能と判断されれば嚥下訓練を開始するのが良いと思います。リハビリが少し長くかかりそうであれば、一旦は胃瘻を作成しても良いと思います。胃瘻は一旦作成しても今後症状が改善して自分で経口摂取ができるようになれば抜去することも可能です。
最近、尊厳死の視点や医療費の問題などから、寝たきりで植物状態の患者さんの対して胃瘻から栄養を入れ続けることの是非が問題になっています。しかし最終的にお母様が寝たきりになるのか、あるいはある程度元気に回復されるかを現時点で判断することは難しいと思います。ご質問の状態から判断すると、お母様はおそらく心原性塞栓症による左大脳皮質の梗塞を発症していると思われ、現在見られている症状は失語や失認が主なのではないかと推察されます。傾眠なのは急性期の脳浮腫にが影響している可能性がありますから、急性期が過ぎればもう少し状態が改善してくる可能性が十分あると思います。ただし、状態があまり改善しなかったり或いはさらに悪化することにより、他の方が回答されているように寝たきりになってしまう可能性があるのも事実です。
完全に寝たきりでコミュニケーションも取れない状態での胃瘻継続となるリスクは確かにありますが、状態が改善する可能性もある・・・・、こういった状態で経管栄養を行わなかったり或いは高カロリー輸液を行わない、といった判断はなかなか難しいのではないかと私は思います。
予想される今後の経過について、担当の先生とよく話し合ってみてください。
この回答への補足
2年前に脳梗塞を発症した時、鼻からの栄養チューブを入れましたら、栄養剤注入すると腹痛をおこすため、
注入の量を変えたり、スピードを変えたり、胃に負担のかからない栄養剤を使ったりと、ありとあらゆる手段でやっていただきました。
結果、あまりに腹痛の訴えが酷いため管を抜き、意識も明瞭で問題なかったので嚥下トレーニングへと移行し、少しづつ口からの摂取ができるようになりました。
経管栄養であれほど苦しんだのです。
2年経った今では、おそらく以前より辛いのではないかと思います・・・
やっていないので何とも言えませんが。
専門のお医者様から回答頂き、ありがとうございます。
本日、午前中、母に聞いてみました。
「今のままだと栄養がちょっと足りなくて、嚥下のリハビリもできないんだって。だから、首の横をちょっと切って(指でその部分を押して)チューブ入れるか、ここのお腹(これも触りました)に穴開けて栄養入れたほうがいいって先生に言われてるんだけど、どうする?」と。
母は、無表情のままでした。
何回も聞きました。
夕方にもう一度、同じ質問をしました。
母は、ただこちらを見ているだけ。
表情ひとつ変えず、何も言いませんでした。
先生からご指摘いただいた通り、母は心原性塞栓症と思われます。(初回がそうでした)
そして、先生が回答してくださったことは、母が初回の脳梗塞を発症したときにしていただいた処置そのものです。
初回は、すべてがまるで教科書に載っているかのようにスムーズに行きました。
でも、今回は、初回とは明らかな違いがあります。
母は、もう・・・壊れてしまったとしか思えません。
私の話しを理解している、と思ったのも、こちらの独りよがりだったのかもしれません。
今日の母は、生まれた場所の名前に反応しただけで、あとはほとんどあらぬ方向を向いて宙を手でかいていただけです。
まるで、晩年の父のようです。(父はアルツハイマーでした)
意思の疎通ができているとばかり思っていたので、今は無力感でいっぱいです。
担当の先生は、17日に
「かなり難しい状態」といい、胃管は総合病院に転院できるものと思っていたのでやらなかった、とおっしゃいました。
あれから、もうすでに1週間が過ぎました。
母は、確実に衰弱していってます。
あの時、胃管をしなかったことを今さら責めるつもりはありません。
主治医も、母の状態を見てでの判断だったのだろうと思います。
こういう言い方が、よくないことはわかっていますが、
母は、壊れてしまい、修復不能 な状態になってしまったのだと思います。
悲しいですが、それが現実です。
胃ろう云々の前に、母は胃を若い頃三分の二切除してますので、造設は無理なのではないかと思います。(主治医には聞いてません)
胃がだめなら、腸ろうもありますが、私自身そこまでは考えていません。
No.1
- 回答日時:
私の母親は、胃ろうにして5年になります。
意識は全くありません。大声で話しかけても何の反応もありません。目を閉じて横たわっているだけです。最初のうちは意識もあり、少しですが、会話も可能でした。もしかしたら、自宅に帰れることも…とも思いました。
しかし、その後状態が改善されることはなく、意識レベルが徐々に低下していきました。
胃ろうになると、当たり前ですが、ほとんど何もできなくなります。介護職員の方は、おむつ交換や体位交換の際に声をかけてくださいますが、それ以上のことは望めません。
清拭などもしてもらっていますが、皮膚がどんどん弱ってくるので、何かの拍子に傷ができやすく、菌の感染で熱が出るたびに、抗生剤の点滴をしてもらうのですが、熱が下がらなければあきらめてください、と言われます。ここ数年、その繰り返しです。
正直、後悔しています。ただ、最初、胃ろうにしなければ、亡くなる、と言われたので、自分としてはほかの選択肢がなかったのです。
あなたのお母様がどういう状態なのか、どれくらい回復が望めるのかは、お医者様とあなたとで、あなたが納得するまで話をされるしかないでしょう。
そのうえで、お母様に意志を確認するというのも、アリなのでは?と思います。話ができなくても、何らかの形で意志の疎通ができれば、のはなしですが。随分残酷なようですし、勇気がいることではありますが、自分が、「生けるしかばね」にされるかもしれないわけですから、「それだけは勘弁して」という権利は、意識があるなら行使させてもらいたい、と、思われるはずです。
この問題について、正解があるとは思えませんが、これだけは、知っていてほしいです。意識が全くない状態でも、肉体が生存している限り、苦痛は感じざるを得ないのです。体の一部が壊死したりして熱が出ているときは、とても苦しそうです。そのたびに、なぜこんなことになってしまったのか、と、身内は身内で苦しみます。母親が、もう喜びを感じることは決してないのですから、ただ苦しみを味わうためだけに肉体が生かされているようなものです。その状態が、母親が死を迎えるまで続きます。そして、どうかすると、「私が先に死んだら…」という考えにとらわれて眠れなくなったりします。
どういう選択をされても、後悔しないということはないかもしれませんが、あなたがお母様に願っておられることを、お母様もあなたに願っておられるにちがいありません。
ありがとうございます。
本日、午前中、母に聞いてみました。
「今のままだと栄養がちょっと足りなくて、嚥下のリハビリもできないんだって。だから、首の横をちょっと切って(指でその部分を押して)チューブ入れるか、ここのお腹(これも触りました)に穴開けて栄養入れたほうがいいって先生に言われてるんだけど、どうする?」と。
母は、無表情のままでした。
何回も聞きました。
夕方にもう一度、同じ質問をしました。
母は、ただこちらを見ているだけ。
表情ひとつ変えず、何も言いませんでした。
私は、母が(私が)言ってることを理解してるものと思っていましたが、
現実は、そうではなかったようです。
耳元で”お母さん”と呼べばこちらに視線を移してくれるので、わかっているものだとばかり信じていました。
けれど、今日、”お父さん”や”叔父さん”と呼んでも、同じように視線を移したのを見て、母は私の呼びかけに反応しているのではなく、
”音”に対して反応しているのではないかと、思い始めました。
母が生まれ育った場所を言えば、それに反応して悲しそうな顔をします。
しかし、その次の瞬間には無表情に変わっています。
母が、理解してるとは・・・思えません。
理解していると思ったのは、自分が”理解しているはずだ” ”理解できてないはずはない”と、勝手に勘違いしていただけなのかもしれません。
視線は、相変わらずあらぬ方を向き、私がそばにいることもわからないようです。
ただ、目を開け息をし、手は宙をかき・・・
明らかに初回の脳梗塞の時と状態は違います。
まるで認知症末期のような状態の母を見て、言葉もでません。
(亡くなった父が、アルツハイマーだったので、認知症末期の状態は目にしています)
お母様のこと、大変ですね。
今となっては、お母様がどのように思われているかは想像するしかありませんが、
一度は助けていただいた命。
納得できるような時間を過ごされることを、心からお祈りいたします。
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