激凹みから立ち直る方法

いじめ隠蔽の教委に戦いを挑んだ、神戸の勇気ある保護者の話です。

学校でのイジメ隠ぺいは、大津皇子山中以前にもくり返し起こっています。

この神戸のいじめ隠蔽をどのように感じますか?


●「小学校がいじめ隠ぺい」人権救済申し立て神戸新聞より引用
http://homepage2.nifty.com/zunou/zirei/4.html

神戸市内の市立小学校でいじめを受けたのに、学校や市教委が事実を認めず人権を侵害されたとして、市内の中学一年の男子生徒(12)と小学三年の女児(8つ)、両親の四人が十九日、兵庫県弁護士会に人権救済の申し立てをしました。

男子生徒は、複数の同級生から金銭をたびたび要求され、自宅から黙って計五十六万円を持ち出し、同級生に渡したと言います。両親は「学校や市教委は、いじめの事実を隠ぺいしている」と主張しました。

申立書などによると、男子生徒は小学五年の二〇〇五年五月ごろから、同級生の男女に学用品や机に落書きをされ、教室などで暴行を受けたそうです。手足に軽傷を負い、「死ね」「消えろ」と言われることもありました。さらに男子児童七人は金を要求。

男子生徒は、父親が収集していた旧札を自宅から持ち出し、額面で計五十六万円を児童らに手渡しました。男子生徒は担任や教頭にいじめを報告しましたが、学校側は対応しませんでした。

一方、女児は小学一年の同年六月ごろから、同級生に仲間外れにされるようになりました。担任教諭に報告しましたが、言い分を聞いてもらえず、逆にしかられ、顔を殴られたこともあったと言います。

両親は二人の転校を決意しましたが、学校側は「いじめを理由に転校はできない」と説明。市教委も取り合いませんでした。

〇六年四月、代理人の弁護士が学校側に出向き、ようやく転校が決まりました。
金を要求した児童七人のうち二人とは和解が成立。十数万円が返済され、謝罪も受けいれました。

両親は「学校側はいじめの存在を認識していたのに、加害児童の両親らに説明もしなかった。市教委も学校から報告を受けているのに、人権侵害行為を放置した」と訴えました。

市教委指導課の林弘伸課長は「関係児童や教員に対する聞き取り調査を行ったが、いじめの事実は確認できなかった」とコメントしています。
(引用終了)


典型的な学校側のいじめの隠蔽ですね。学校や教育委員会にとって、いじめとはあってはならないモノです。

「みんな楽しく明るい学校」でなければならない。そうでなければ、自分たちの管理能力や教育者としての質が問われてしまう。

そんなことになれば、査定で給料を下げられてしまうという訳です。今や教師は聖職者ではなく、資本主義社会の原理に組み込まれたサラリーマンです。自分たちがマイナスに評価されるのは、なんとしても避けたい。

だから、いじめがあったら、解決に乗り出すどころか、これを隠すことに全力を捧げてしまうことが多いのです。

まことに卑劣極まりないのですが、これが弱い人間の心理です。そのため、いじめがあっても、たいていの人は泣き寝入りしてしまうのですが、この生徒さんの親御さんは偉いですね。

真っ向から人権侵害だと主張し、裁判に訴えました。このような親御さんの態度は、子供たちに勇気と自信を与えたことでしょう。口では正義を唱えながら、いじめの隠蔽などする卑劣な学校や教育委員と、徹底的に戦い、一矢報いて欲しいと思います。

みんなが泣き寝入りせずに戦う姿勢を見せれば、いじめを隠蔽しようなどという馬鹿な考えを持つ学校は、徐々に減っていくでしょう。泣き寝入りだけは、してはいけないと思います。

A 回答 (2件)

 田舎の地域だからいがいと親身に成ってくれています。

大都市圏になると児童数と教育委員会のメンバーの数が足りないんでは?多くても駄目だけどね。

 市という単位になるとどうしても見逃しされたり、派閥とか有るように感じられます。このなかで子どもの事を考えろと言うのは難しいでしょうね。

 それと、こういった問題が起きたときに批判だけが残されます。こういった方法はどうですか?とか提案があまり成されないし、無視されてきたのも問題でしょうね。解決方法を子供達からの意見も入れて考えて行ければね。でも、考え方を考えれば裁判までしないと行けないと思われて、むしろそこまでは出来ないと黙る保護者も出てきます。

 ふと感じたのが、教育委員会を批判し、対策を教育委員会が行う。これでは一向に解決しないのでは?と。いじめ対策の部署を設けて、権限を与える。先生及び児童、保護者に対して攻撃的な事はしない条件で動いてもらう。誰が責任をではなく、イジメの本質を探ることが大切かな。

 京都新聞でいじめられる側が笑っていると。
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昨今の社会の問題は,「問題の解決を迫る」事で「責任という結果」を求める風潮にあると思われます.



具体的に言えば,隠蔽を隠さず社会に公表して当人間の「いじめ」と言う根本的な解決が望めるか?という事実です.
当然,現場の教職員はいじめを良しとしないし,それが教師として当然で,それをそれぞれの裁量で実施しているはずです.(少なくとも自分の幼少期に受けた教育はそうでした.)
そして,枝葉ではなく根幹に当たる教育委員会の人間が,その「いじめ」という一つ一つの事例を何処まで(物理的,時間的に)見る事が出来るのかと言う事.

教育を大きな木とするならば,「いじめ」は葉の病気であり,「隠蔽」は病気の枝を切ろうとする幹の防衛本能と言えるのではないでしょうか.
確かにそのままでは木は立派にならず,何時か枯れてしまうでしょう.


ではどうすればいいか…
それは教育を取り巻く空気や土である「家庭」や「教師への尊厳」や「基本的な倫理観」を社会と家庭がはぐくむ事だと思います.

教育に関する勉学に人生をかけた先生達の教育内容は一般市民よりも当然優れているはずであるし,それに我々は敬意を示すべきです.
そして,生活の中での倫理観は家庭ではぐくむものであり,「しつけ」や「親の背中」からは学校以上に得るモノは多いはずです.


長々と長文でお見苦しかったかもしれませんが…
最後に,自分もまだ20代の若造ですが,過去にいじめを受けた経験があります.
そしてその時の自分の担任の教師は,日ごろの自分の様子の変化を心配してくれましたし,相談に乗るともおっしゃってくれました.
その時は,自分で解決すると心に決めていたので,強い精神力で耐え忍び,それでも自分を主張し,結果的にいじめをした者達と和解した経験があります.
今では偶に会えば話をする仲で,当人たち曰く「いじめをした」というひけ目を逆に感じているようです.


つまりは,法廷では何も解決しないし,教育委員会や校長,マスコミに取り上げられようが,文化人が見当違いの代弁をしても,「いじめ」なんてものは無くならないと思います.


もっと,根底にある問題を見るべきだと思います.
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