あなたの習慣について教えてください!!

素朴な疑問です。

Q1.無意識に実体はありますか?
   実体があるなら、次のことを教えて下さい。
   ・どこにあるか
   ・そこにあることをどうやって確かめるか

Q2.無意識という言葉を形容詞的に使って
   「無意識の●●」などと言いますが、
   その●●が実在することはどのように確かめられるのですか?
   たとえば、「無意識の思考」と言うとき、
   なぜそのような思考があったとわかるのですか?

A 回答 (4件)

佐藤優『新約聖書I』文芸春秋文庫



のあとがきにのっている話が、Q1に答えられると思います。

佐藤「もっとも、無意識について知覚するということは既に意識になっているのだから「無意識を意識する」ということ自体が語義矛盾なのだが、無意識という作業仮説をたてることで人間の「目に見えないもの」についての説明に少しでも接近するのである。」p341


無意識というのは、意識できる範囲を超えた心の動きであり、意識できないものです。
けど、私たちは、何かを感じて、「無意識」という言葉を違和感なく使っています。
「なにかがある」というのは、何か知りませんが、わかるということでしょう。


それを説明する際に、「無意識」という言葉を作って(表象して)いるのです。
感じている何かを、言葉を用いて表す際に、無意識という作業仮説を用いることによって、それを説明しようという試みをしているのです。

日本にユング心理学を導入した、樋口和彦は以下のようにそのことを表しています。


「本当は広大な心の全体などというものは把握しようのないものである。だが、そこが概念化するという恐ろしい人間の蛮勇のなさしめるところで、何でもわからないものを形にしてしまうことができる。」 P?、または『ユング心理学の世界』創元社54~55頁 


何か感じているものを、概念化して言葉で表現することで、それを説明しようという試みは心理学にとどまらず、哲学や倫理学、宗教などで行われてきました。


意識できないものをどうやって意識するかについて、僕の知っている範囲で言うと、ウィトゲンシュタインという人が25歳くらいの時に真剣に考えていたと思います。
『論理哲学論考』というやつです。

意識できないものは、意識できない。意識できるものと意識できないものの境界線はなにか?ということを書いた本です。語りえぬものに対しては、沈黙すべきである。みたいな言葉がキャッチーだった本です。

以下のような流れだったような気がします。

1、人間は、論理というものを用いて、言葉で世界を表すことができる。
2、論理はこの世界を記述する道具であり、論理を用いて組み立てられる場合、言語も意味をもってこの世界を記述することができる。

3、論理的に整合性を保ちながら言語表現が可能な範囲が、人間が意識できる範囲である。

そこからは、忘れました。つまり、意味をもち、かつ論理的に言語で表現しきれないものは、語ることができない。ということです。

その定義においては、無意識は語りえぬものです。 だけれども、人間はそういうものも語ろうとする蛮勇さ(好奇心)があるということです。


野矢茂樹さんという方の訳および参考書が本当に面白かった記憶があります。
お勧めします。また、新約聖書1のあとがきは本当におもしろかったです。これもお勧めします。


長々と書きましたが、

「無意識的に考える」という言葉を使った場合、意図的に問題意識を持たなければ、話は通じると思います。それは、ある種の感覚を共有しているからです。意識の外にあるものがあるのではないか、ということが、ある種の説得力を持っているから、通じるのでしょうね。


「無意識」という言語は、心という人間には手におえない世界を言語的に説明しようとする場合の作業仮説である。というのが私の回答です。

参考になればうれしいです。
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この回答へのお礼

佐藤優って誰かと思ったら同姓同名じゃなくて
あのゴリラみたいなおっさんなんですね。


>けど、私たちは、何かを感じて、「無意識」という言葉を違和感なく使っています。
「なにかがある」というのは、何か知りませんが、わかるということでしょう。
>けど、私たちは、何かを感じて、「無意識」という言葉を違和感なく使っています。
「なにかがある」というのは、何か知りませんが、わかるということでしょう。

まあ、「あったことにする」ってことですかね。

ウィトゲンシュタインのいう「語り得ぬもの」ってのは、また違った意味になっちゃうんですけどね…。


でも、みなさんから無意識に実体はないと答えていただいたので安心しました。

一つ例を挙げると、こんな本がありました。

http://books.google.co.jp/books?id=gUdvGVlfAiwC& …

どう読んでも、無意識を実体あるもののように扱っているんですよ。
そういうもんなのかなあ、と思って質問してみたくなりました。

本を書くような人たちがなんでこういう幼稚な勘違いをしちゃうんでしょうねえ…?
学校で教わったことは疑っちゃダメだと思ってるのかしら?
アホの子かよ。

日本の哲学者にも世界に誇れるような方が何人もいらっしゃいますが、
仏文系は有名な人から無名な人々までクズばっかりなんですね。
みなさんのご回答でよくわかりました。

No.4さん、ありがとうございました!(^-^)ノ
あと、そのアイコン凶悪すぎっす!
笑いが止まりませんwww

お礼日時:2012/09/16 14:14

「無意識」という言葉を使ったのはフロイトやユングですが、


心理療法家でユング研究者の河合隼雄は、
「無意識というのは深い心のことで、無というのはおかしい。本当なら「深層意識と呼ぶべき」と言っています。
仏教では意識も深層意識もひっくるめて「意識」と呼んでいます。
ちなみに三島由紀夫も
「自分には無意識はない。無意識も意識もじぶんにとっては全部意識なんだ」と言っています。
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この回答へのお礼

おおう。
三島がそんなこと言ってるんですか。
無意識も意識もみな意識ってのはちょっとアレですが
無意識はないと言い切っちゃうところがさすが大秀才ですね。

それに比べて河合先生ときたら…
深層意識っていったい何でしょうかね。
どうせ「意識にのぼってこないもの」って意味を含んでるんでしょ?
だったら無意識と同じじゃないですか。
なんかもうがっかりですね。

それはともかく、貴重な情報をいただいて嬉しいです!

No.3さん、ありがとうございました!(^-^)ノ

お礼日時:2012/09/16 13:55

素人ですが


A1. 実体は無いと思います。自意識ですら脳の中の電気信号の総体だと思う。
A2. 第三者の観察と,本人の記憶の検証からでしょう。
個人的には,無意識は,ボクシングのような反射行動と、催眠術や寝言での会話のような一種の記憶障害だと思っています。
脳自体は保身の為に動いているのだが,記憶されていない、記憶する必要が無いので消去されている。と思っています。
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この回答へのお礼

>A1. 実体は無いと思います。
ですよねー。

>A2. 第三者の観察と,本人の記憶の検証からでしょう。
う~ん…
「無意識の思考」というくらいだから
本人はその思考を記憶してないような気もしますし
第三者からも思考は読み取れないので

「その人の言葉や行動から考えて
そういう思考があったことにする」

ってことですかね…

それなら納得です!

No.2さん、ありがとうございました!(^-^)ノ

お礼日時:2012/09/16 13:55

「無意識」とは意識なので「実体」はありません。

無意識という言葉を使うと難しく考えてしまうかもしれませんが、簡単に言うと、自分で気づかない内にと言った方がいいでしょうか…。後々思い返せば「そういえばさっきコーヒー飲んでたよな…」ぐらい、自然な状態のことをさします。
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この回答へのお礼

単刀直入かつ核心を突いたすばらしいご回答ですね。
おっしゃるとおり、
無意識という言葉を副詞的に使うのは全然変じゃないと思うんですよ。

でもねえ…
ある種の本を読むと、質問に書いたように、
無意識を名詞や形容詞として使っている場合がいっぱいあるじゃないですかあ。
それで不思議に思って質問したんですよー。
Q1.は名詞のこと、Q2.は形容詞のことです。

そのことにも答えていただけると嬉しいです!

ひとまず、ありがとうございました!(^-^)ノ

お礼日時:2012/09/15 10:56

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