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こんばんは。

昔から、気がつけば、無意識に言い訳を考えている自分がいます。

例えば、週末一人で山登りをしたとします。
きれいな空気を吸って、虫の鳴く音を聞きながら気持ちよく歩いていればいいのに、
ふと気がつくと
『週明けに~さんと話をしている自分が頭にいて、「どうしてその山を登ったの?」と聞かれ、その質問に対して「最近、運動不足でね」とか、「山が好きでね」とか答えたり、「どうだった?」と聞かれ、「思ったよりもきつかった」などと答えている場面』
を勝手に想像してしまいます。

これはまだ良い方で、
例えば、何かを買ったとき、無意識に友人にその必要性を話している場面を、無意識に想像してしまっていたりします。

つまり、常に言い訳しているんです。


自分がこれが好きなんだから、誰が何と言おうと勝手じゃないか、と思うんですが、
気がつくといつも無意識に言い訳を考えてしまっていて、
そんな思考をする自分が嫌になります。

これは何が原因だと考えられますでしょうか。
また、どうすればこの自動思考から抜け出すことができるでしょうか。

アドバイス、ご意見いただければ幸いです。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは。



よく解ります。
私の場合も、対人関係にあるようですね。
後ろめたさがあるから言い訳したくなると思うのですが、後ろめたく無い事にまで言い訳すると言う事は、常に人目を意識しているのでは無いでしょうか。
圧迫感が付きまとい、例え想像上でも心の負担を軽くするために言い訳を考える。
私の場合は、幼い頃から心理的に圧迫された環境に居た事が一番の原因かと思われます。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

こんばんは。
ご回答ありがとうございます。

やはり対人関係でしょうか。
後ろめたいと考えている事に対して言い訳するのは自然の流れですが、
その後ろめたい事の定義自体、他人から与えられた観念であるようにも思えます。ですので、私の場合、それをまず自分と他人に切り離すことが必要かなと思いました。

後ろめたくない事まで言い訳するという点については、単なる自意識過剰なんでしょうか。単なる妄想好きなのでしょうか。

私は小学校高学年の頃から受験勉強を始めたのですが(親の意向で)、
成績が悪いと、努力が足りないからだと言われ、常に親に怯えていました。
中学・高校では、ひどい成績について何も言わない親の心を読み取ろう読み取ろうとしていました。
その頃から、自分が何を考えるではなく、他人が自分についてどう見ているかばかり気にしていたように思います。
それは今も続いています。
自己肯定ができません。まるで、自分が囚人のように思えます。
言い訳ばかり考えるのは、そのような自分を何とか肯定したいと思うからでしょうか。

ヒントをいただきました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:14

60代、男子。



(この歳になっても)「ああ、自分だけじゃないんだ!」という発見をさせて貰いました。確かに自分もたまに言い訳を考えながら行動していることがあります。

ただ、その理由とかは考えたことはなく、ましてや悩んだりはしたことはありません。逆に失敗を指摘された時に、文字通りの言い訳はしないようには心がけています。(謝罪とか、指摘への感謝とかで反応する。)

そして、無意識に考えているのは言い訳だけではなく、友人との会話を想定するのに面白く表現したり、ダジャレを思いついたりと実際にこうしゃべったら楽しいだろうな、うけるだろうなというネタも無意識に考えていたりします。これは実行することが多いです。

言い訳を考えてしまうのはそれとして、楽しくなりそうな会話の表現を意識的に思考することをお薦めします。

或いは、より積極的に、その場で俳句や川柳を考えるのは如何でしょう? 例: 登山道 降りる時には 下山道 (おそまつ^^;)
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この回答へのお礼

おはようございます。

60代の方でも同じように考えたりされているんですね。
私は30代ですが、このとめどなく続く自動思考をやめられるものなら今すぐにでもやめたいと思っています。

楽しくなりそうな会話を想像していることもありますよ。
ただ、「こう表現したらウケたのに」と思うことのほうが多いようです。
また、やはり誰かに責められて言い訳をしている場面が圧倒的に多いように思います。

俳句や川柳を考えるのは、ちょっと嗜好が違うのでやりませんが(すみません)、
意識をその場に持ってくる、という点でよい方法ですね。

この問題には、私の生い立ちなどが絡んでいて、そこからひとつひとつ棚卸しをして向き合う必要があるように思えてきました。
言い訳をしているのは、責められると考えているから。
どうして責められると考えるのか。


ご回答ありがとうございました。
よい祝日の一日をお過ごしください。

お礼日時:2011/10/10 09:31

多分、だいたいの人はそのような所あるかもしれませんよ。


私もしますもん、でも、その考えのまま上手くいくときありますか?
言い訳でも、なんでも話しのネタになれば
それでいいのでは?悩むことではないと思いますよ。
誰しも真実だけを口にしているとは、私は思いません。
間違った思想をもった人もいるでしょうし
自分だけが正しいと思い込んでる人もいるし
人の意見ばかり気にする人もいるし、色んな人がいて
仕方ない事なんですよ。
十人十色。
ただ、間違った思想を「押し付け」たりするのは
犯罪に近いな・・と思いますけどね(笑)自分で思っている分には
それは自由ですから。

想像力豊かなのは素晴らしいことですよ
想像力のない人間は犯罪を犯しがちですから
貴女はそのままでいいと思います。
もし、自分の「言い訳してばかりで頭がうるさい」となっているのであれば
何かに集中する時間を増やすといいと思いますよ。
本を読んだり、ゲームをしてそれにだけ集中する
手を動かすことが大事だと思います。
手や体(ただ歩くのでなく)を動かしていれば、余計な事は
考えなくなっていくと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、想像力は役に立つこともあるのですが、
私の場合、想像にとらわれすぎていて、その分、現実を生きていない感があるんです。
そして、なぜ言い訳をしているのか、という疑問があります。
思えば、小学生のころから他人の顔色を伺っては言い訳ばかりを考えていました。

今日は山登りをしてきましたが、せっかく景色もきれいなのに、
自動思考に捕らわれてそのような外の情報があまり入ってきませんでした。
ですので、体を動かしていても、単純な運動では頭に浮かべてしまうようです。
(登山している人が何を考えながら、もしくは何も考えずに足を動かしているのかはわかりません。)

山登りもそうですし、外を歩いているときもそうですし、先ほどは皿を洗いながら、皿に残って取れない汚れについて聞かれたときにどう答えるかについて思いをめぐらせている自分がいて、ハッとしました。
(ちなみに、私は男性です。)

今思ったのですが、常に誰かに責められている感じがしているように思えます。


何かに集中する時間を増やすというのはいいですね。
本を読んでいるうちはのめりこんでいますから、他のことは考えないですね。

アドバイスありがとうございました。
(質問は締め切らないで、このまま他の方のご意見もお待ちしたいと思います。)

お礼日時:2011/10/09 19:05

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