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かなり古い話になるんですが。昔あった「エヴァンゲリオン」というアニメの最終回、2パターンありましたが、どっちも意味がよくわかりませんでした。あの主旨は何?というか人類補完計画とか一体なんだったんでしょうか?

A 回答 (9件)

エヴァは人間と神経接続できるじゃないですか。


エヴァや使徒はコアを通じて、離れていても
神経接続できるんで、それを利用されると
エヴァの操縦者は使徒に心の中を読まれて
しまうわけです。レイがN2爆雷持って突っ込んだ
ときみたいに。

人類はこれを利用しようとして失敗し、起こった
事故が南極での大爆発。このいわばテレパシー
の発生装置のようなコアが大きなエネルギーを
持っていることに気づかなかったんですね。

 使徒はコアによる通信を通じて1つの意識にまとまっている、
いわば集合意識、心を1つにしている存在です。

 人類はエヴァシリーズの実験で、このコアを利用
しようとしているので、結果的に使徒を呼び寄せる
ことになっています。人間の心に興味を持った
使徒は、人の心を読もうと、エヴァのコアに
積極的にアクセスするようになったので、後半
完成したばかりでATフィールドが不十分のエヴァが
爆発や、いきなり使徒になったりしていたわけです。

 No.8の方が言われている20話で、かつて
サルベージ計画が失敗したという話があり
ますが、これでエヴァに取り込まれてしまった
のがゲンドウの妻ユイで、ゲンドウの目的は
ユイと再会するためにエヴァに神経接続する
ことですが、シンジのように直接接続することが
できない。

>人類補完計画とか一体なんだったんでしょうか?

 コアの仕組みを利用して、全人類が知識や経験を
共有化し、集団意識となることです。
つまり心を1つにするということです。
ゲンドウにしてみれば、それでユイとの再会が
果たせますが、そうなると今の人間社会は崩壊し
どうなってしまうか分からない。そのため
少なくともネルフの外の人たちはそこまでは
望んでいないわけです。そこで使徒を全滅
させたら、エヴァシリーズと共にネルフと
ゲンドウを葬り去るというのがゼーレのシナリオ
ですが、ゲンドウもそれを知っている。
互いに利用しあっていたわけです。

そしてあの最後の攻撃になったわけです。
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初めまして



人類捕獲計画について…映画「THE END OF EVANGELION
Air」でミサトさんが
「出来損ないの群体としてすでに行き詰まった人類を、完全な単体としての生物へと人工進化させる補完計画」といっています。
もし計画が完了した場合、人類はテレビ第20話でLCLの中に溶けたシンジ君と同じ状態になるものと思われます。
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ちょっと酔ってます。

忘れないうちに書いておきます。(あくまで、個人の推論です)

改めて「まごころを君に」を見てみたんですが、シンジとアスカって強烈なほど
愛し合って(求めあって)いたんじゃないかなって。

アスカは自身のプライドとシンジに自分だけを見て欲しいという憤りから
シンジは他人への恐怖とアスカに受け入れられないかも知れない不安が
それぞれの心の壁、つまりATフィールドになってたんじゃないかな。


そして、補完が進む中シンジがアスカの首を締め上げる行為は・・・つまり
シンジの「アスカでなければダメなんだ」の『証』だと気がつきました。

アスカがシンジに詰め寄って
「わかってないわよ、馬鹿。あんた私のことわかってるつもりなの。」
「ばーか、知ってるのよ。あんたが私をオカズにしてること。いつもみたくやってみなさいよ。
ここで見ててあげるから。あんたが全部私のものにならないなら、私、何も要らない。」
アスカは、実際はシンジがオカズにしてたこともすべてお見通しで、それでも一切非難をしてなかったんですよ。
現実の世界では、とてもあり得ない強烈な告白ですよね。
シンジが自分にだけ目を向けていることには、どんなことでも肯定してます。

テーブルにうつ伏せになったアスカとシンジのやり取りで
「何か役に立ちたいんだ。ずっと一緒にいたいんだ。」
「じゃあ、何もしないで。もうそばにこないで。あんた私を傷つけるだけだもの」
「アスカ、助けてよ。」
「ねぇ、アスカでなきゃダメなんだ。」
「嘘ね。あんた、誰でもいいんでしょ。<略>私に逃げてるだけじゃないの。それが一番楽で傷つかないもの。
本当に他人を好きになったことないのよ!自分しかここにいないのよ。<略>哀れね。」
と、言い放ちシンジを突き倒しますよね。
「誰か僕を、お願いだから僕を助けて。助けてよ。僕を助けてよ。一人にしないで、僕を見捨てないで、
僕を殺さないで!」
「イヤ」
このイヤは、私だけを見てくれないシンジを拒絶したんだと思うんです。自分の心の傷ばかり目が行ってる
シンジへの否定。
そして、首絞め。アスカは全くの無抵抗。シンジの行為を受け入れてるんです。
これは、心の壁、ATフィールドが解き放たれた世界での言葉。
シンジにとっては、アスカとずっと一緒に居たかった。それをあっさり「イヤ」と言われ
アスカの「首を絞める」ほど逆上したんです。でも、それがアスカにはシンジの気持ちが本物だとわかる
訳ですよ。だから、むしろ嬉しい。交錯した互いの愛情表現だったんですね~。

シンジは、全てが一つに溶け合った世界を拒絶します。
一人だけの世界だと傷つかないかもしれないけど、同時に自分も存在しない。
他人がいて、はじめて自分が存在することに気づき、他人との、人との絆を取り戻したかったんでしょうね。
たしかに、傷つけあうかもしれないけど、理解しあえるかもしれないという希望を持って元の世界に
帰ってきたんです。

最後、湖畔での二人。ATフィールドのある世界。
シンジはアスカの首を絞め、アスカは「気持ち悪い」という。
でも、首を絞めるほどアスカが好きだという行為にやさしく頬をなで返すアスカ。
心の深い深いところでは、求め合っているにもかかわらず、互いに素直に表現できない二人に
シンジは涙を流すのでしょう。

・・・・・でも、いつかの日か。





もちろん、TVの中でのキスシーン(「嘘と沈黙」)や「Air」冒頭の自慰行為からも
勘がよければ察しがついたんでしょうけど。

そういえば、「綾波育成計画WITHアスカ補完計画」綾波、フリーターになっちゃったよ~。(涙)
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一応 当時 卒業論文の題材にしていて、


色々 アニメ雑誌だのなんだのと 収集していたので
参考意見として 読んでください。

人類補完計画は ゲンドウに とっては、
奥さんのユイさんに 会いたかった為の
計画に ユイさんが 死んだあたりから変わったと
いうのが 数々の解説本などからでは 通説です。

冬月も 気に入っていたユイさんに会いたいが ために
ゲンドウに 力を 貸すように なったと
言われています。

でも かけた心を一つに と アニメの中でも
いっていますし、他の方の意見と 同じで
理由は 分かりませんが ゼーレに とっては 
すべてを最初から やり直すための計画と
理解すれば 良いと思います。

当時 確か ガイナックスが
”だから みんな 死んでしまえばいいのに”という
言葉の入ったポスター 作ってました。

綾波レイとぶつかる最後は、
全てが なかった事に なっていて
シンジが 心を開いてすごしていたら
という パラレルワールド的な 最後で、

アスカと 生き残る最後は、ちゃんと
全てを踏まえたうえで 
同じく 自分を否定して 生きていたアスカと
生きたいっていう最後だと 思ってます。

全ての判断を 委ねられた シンジは、
運命の女性 アスカだけを 残して
ほかの事を 考えないように 彼女だけ
残したのかなと 思います。

結局は 他者のせいにしないで 生きるという
心の成長の世界を描いた最後なのかなと 
オイラの中では 解釈してます。

ゲームが出てますから、自分なりのEVAの最後を
見つけるのも いいかもしれません。 

参考URL:http://www.bandaigames.channel.or.jp/list/eva2/
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 参加するだけ参加させてください♪



 2パターンというのはやはりTVと映画ということで、アニメは精神的な、映画はメカアクション?ロボットアニメとして、と私は考えています。。

 個人的には前者のTV版の方が監督の本来の趣旨が上手く出ている上手な完結だったと思います。

 主旨とは趣旨と違うのかわかりませんが、とりあえず、私なりに考えたのは、
(1)親子関係や恋愛関係、友情関係に上手に対応できない、上手く関係を築けない人間が、欠けている心の隙間に対峙して克服しようと成長しようともがく精神日記のような物語。
(2)正体不明の怪物を迎える近未来の都市の中で人間が科学技術を駆使してどれだけ対抗できるのか、人間と科学技術の共生を描く。アニメとしてはスタイリッシュなメカアクションとコマ割の細かさとスピード感がサブリミナル効果(流行ったネ)によって視聴者をより惹きつける作品。

 ・・・というカンジでしょうか??(苦笑)

 人類補完計画は、そうした各々の欠けた心に優劣を付けたり差異を感じたりするのは人間の協調性を乱すので、(←これは私の私見)そんな心の垣根(要はA・Tフィールド)を取っ払いって心身ともに全人類で共生しようとする計画・・・ですが、コレも結局碇ゲンドウが、妻ユイを亡くしたことで独りよがりな人間関係しか築けなくなった故に理屈をこぎつけて私的な計画を進めていた、と考えるのが普通ですけどネ♪

 こんなカンジでしょうか??あくまで私の個人的な見解と判断ですが・・・参考にしていただけると幸いです☆失礼しました=Э
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>最終回、2パターンありました


それはTV版と映画版の2パターン、ということですよね。映画版を中心に話をしていきたいと思います。

キリスト教に詳しければ、EVAの分からなさは、ある程度まで紐解けます。
EVAは旧約聖書の基本である「ヒトは生命の樹より知恵の実を手に入れたが、これは原罪であり楽園(エデンの園)を追われた」「神は使いの徒に、ヒトが再び生命の樹に近づけないよう邪魔をさせた」「知恵の実と生命の実を合せ持つと、神に等しいモノになれる」の設定を踏襲しています。ここまでは聖書を読んだことがある方ならご存じのことと思います。

キリスト教とは、ヘブライの神話をベースにした、原始ユダヤ教の中から新たに生まれた宗教です。
EVAの凄さ(分からなさ)は、ユダヤ教~キリスト教の、裏史に精通していることです。

まずは「カバラ」です。
カバラとは「伝承」の意で、モーゼが神より授かり秘法として人づてに伝えられたユダヤの密教とされます。カバラによると、神は自ら「セフィロト」と呼ばれる光を放ち、この宇宙を創造したとされます。この光は全部で10個あり、「生命の樹」と呼ばれる象徴的体系図として描かれています。これは後に魔術師達がヘブライ文字や数値、タロットカード等と対応させて、一種のマンダラとして扱われるようになりました(生命の樹はエヴァのあちこちで散見されます)。次に神はこの生命の樹を4つ造り、宇宙を4つの界層に分けました。最上階は「神性界」と呼ばれ、ここでは私達の魂は神とひとつになって全ては調和を保っています。その下は「創造界」と呼ばれ、ここでは魂が個々に分離し、「他者」を意識し「自我(ego)」が芽生えます。その下は「形成界」と呼ばれ個々の魂は「男」と「女」に分かれます(旧約聖書では形成界=「エデンの園」とされます)。そして最後に私達の住む「物質界」があります。ここでは男女の魂が肉体を獲得し、故に様々な「自意識(欲望)」で悩まされるようになります。

次に一旦、表の歴史に戻って「キリスト教」です。
キリストの思想は「原罪を追ったヒトは、贖罪し、始源に還り、新生するべきである」というものですが、「始源に還り」がカバラの「神性界」に戻ることだと考えれば、ゼーレのシナリオに沿った「人類補完計画」とは「キリストの思想(即ち聖書)」であると考えられます。

さて、再び裏の「グノーシス」です。
グノーシスとは1~3世紀に勢力を持ったキリスト教の一派。ただし、キリスト教とはかなり違う、キリスト教を否定しかねない教義を持っていたため、原始キリスト教会から異端宣言をされ、数々の弾圧を受けた後に、一旦歴史から葬り去られます。 20世紀の中頃に、葬り去られた筈のグノーシスの文献や、最も古い聖書と考えられている死海文書が発掘され、研究が進み、80年代に入ると日本でも書籍が出てきます。私もそのとき知りました。庵野監督もそのとき知ったんじゃないか?  グノーシスの思想とは、簡単に言ってしまえば「知恵の実と生命の実を合せ持つと、神に等しいモノになれる」のであれば、あとは「生命の実を手に入れ、自らが『神に等しいモノ』にばればイイ」とするもので、碇ゲンドウのオリジナルのシナリオによる「人類補完計画」とは即ち「グノーシスの思想」であると考えられます。グノーシスとは「叡知」を意味し「贖罪ではなく叡知によって人々は真の神に同化できる」という思想を持ちます。「全ての人に仏は宿る」とする仏教に近い考えを持ちますが、これは共に密教の影響があるのでしょう。

さて、ゼーレは贖罪によって「神性界」に戻り、新生しようとした。ゲンドウは叡知によって「神性界」に戻り、自ら神に等しき存在にならんとした。でもシンジは「こんなの、僕の望んでいたものと違うや」と「物質界」つまり「この世」に戻ってきた。ここには庵野監督の「オタクどもよ、現実に戻れ」というメッセージがシンクロしていると考えます。

このようにEVAにはキリスト教研究の最先端の成果が織り込まれていただけに留まらず、当時の科学や精神分析学の最新トピックが全編に散りばめられています。それにも関わらず、最初のTV放映時のEVAは、いわゆる美少女アニメとしてアニヲタたちだけにしか支持されませんでした。TV版EVAの最終2話が何故ああなったのか?は、制作が間に合わなかったとか、予算が苦しくなったとか、いろいろいわれますが、私は庵野監督が、美少女アニメとしてアニヲタたちだけにしか支持されない現状を改善すべく自らEVAという作品を「脱構築(Deconstruction)」したのだと信じます。「脱構築」とは現代思想の重要な概念です。そして(恐らく庵野監督の思惑通り)、脱構築したことでこの作品は、アニヲタ以外へと話題が伝播していきます。TV放送終了後に、EVAが社会現象化したのはご存じのことと思います。
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解説本を読んでみるとか。

(解釈はいろいろありますからね)



人類補完計画は、人は一人じゃ寂しいからその寂しい(欠けた)心を
ひとつににまとめることなんでしょう。
つまり、すべての人が自分と他人の境のない一人になることで。

その計画の遂行は、初号機にいるシンジの如何によることになります。

・・・でも、結局シンジは人がそれぞれの「自分」を持って傷つけあいながらも
「他人」がいる世界を望んだんですよね。





DVD-BOXと「エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き」(北村正裕著)は持ってますが
たぶんそんな所でしょう。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380012 …
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個人的な意見という事で、



TV版最終回は、エヴァとは関係なく。
エヴァのキャラクターを使って、監督自らの心境を語っただけでしょ。

映画版最終回は、シンジの望んだ世界になった。
人類(シンジ)補完計画が実行されて…
結局成長する事無く、自分の殻に逃げた。
身も蓋も無いオチ。

>人類補完計画とか一体なんだったんでしょうか?
己の理想を現実にする計画じゃないの?たぶん。
又は、富野に悪影響を受けて、己のドロドロとした思想をアニメ化する計画。
結局は、イデオンやVガンダムと同列のアニメだったからね。
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私もよくわからなかったのですが、



私が思ったのは、地球環境を変えるくらいおごり高ぶり、堕落した人類は一度抹殺して、もう一度アダムとイブから始めようということだと思いました。

最後に残ったのは、馬鹿シンジとそうりゅうアスカ?でしたかね?
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