アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

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死刑に反対する人は、「死刑は国家による殺人である」と主張します。すなわち、刑罰としての死刑であっても、それは「個人による殺人と変わらない。だから、死刑は認められない(廃止すべきである)」ということです。

私は、その主張はおかしいと思います。そこで私は、「死刑が殺人と変わらないというのであれば、正当防衛や緊急避難によって人の命が奪われる場合も殺人と変わらないことになります。死刑に反対する人は、正当防衛や緊急避難も認めないというのでしょうか」と死刑反対論者のNさんに質問しました。

しかし、Nさんから返ってきた回答は、「死刑は正当防衛でも緊急避難でもなく、それらとの対極にあるシステムではありませんか?」でした。

そのことについて、それ以外の言及は一切ありませんでした。その一言だけでどれほどの人が納得できるのかと、私は思います。私は、当然、どういう事かさっぱり理解できませんでした。理由(根拠)を示さずに結論だけを言って誰が納得できるのかと、私は思います。

そこで私は、「それはどういうことですか」と、Nさんにその説明を求めました。しかし、その後、何の説明もありません。

皆さんは、このNさんの回答をどう評価しますか。できる事ならば、死刑反対論の方のご意見をぜひお聞かせください。

A 回答 (12件中1~10件)

補足が提示されているので、返答しよう



>「妄想のタレ流し」だとは恐れ入りました。私は理詰めで主張しているつもりでいるのですが、理詰めでないという事なのでしょうか。

理詰めではない
簡単にいえば、当事者が理詰めだと思っているだけで、スカスカの理詰めという話である
 分かりやすく言えば、お茶碗にたった一粒の白米が入っていれば”理詰め”と吹聴しているようなもの
理詰めというのは、その容器一杯に理が詰め込まれている状態で、スカスカの状態では、理詰めとは言わない。
もっとも、容量の意味では、その器の大きさが質問者と当方に大きな相違があるのだろう。
(どちらが大きいか?という問題は回答しない)


>違法性阻却という理論は知っています。法律を少しでも勉強したことがある者ならば知らないはずはないでしょう。私は、法律を専門的に勉強はしていません。しかし、通常の社会人としてのレベルで死刑問題を論じています。「法律を専門的に学んだことがない者が死刑を論じるべからず」という理屈は通用しないと思います。

はい。そもそも、理詰めの人間は指摘しない言葉があるよね?
当方がいつ「死刑を論じるべからず」と論及した?
まるで、論説したように指摘するのだから、原文拾って提示してくれないかな?

理詰めという質問者なら、回答してくれると期待しよう。(楽しみである)


>Streseman さんは、法律の分野に限らず、かなり博学のようです。そのために相当に自信を持って主張されているようです。その反動なのでしょうか、その主張に傲慢な姿勢はないでしょうか。「こんなことも知らない者に議論する資格はない」と。

博学とは自覚していないんだけどね。なにせ、ヲタク文化は別にして、世俗の芸能の知識はかなり無知なのでw

傲慢ですよ
それが問題なんですか?
人は、傲慢である部分を必ず持ち得る。(傲慢の発現頻度は個体差があるが)
では、親や目の上が傲慢であることは咎められるのだろうか?
目上の人・知識のある人が傲慢であることになんの問題があるのだろうか?
 人は、生理的に人を差別する。その差別意識を隠すことを健全だというが、傲慢であることを不健全とする道徳があるなら明示してほしいし、そのような実定法があるなら提示してほしい。傲慢な人間は処されるのですかね?w質問者の価値観では?w(爆笑)
 質問者の価値観は否定しないし、どのように感じようともそれは受容体である質問者次第の話
当方は、自分が傲慢であることを否定する必然性はないし、それを矯正する必要性を認めない。矯正しなければならないという規範は存在しないのだから・・・
 その理由は、上記したように、認識レベルの相違から生じる優劣・上下であり、未熟な人間に対する”自己覚知”のための指導手段である。
 もっとも、指導手段として傲慢であることを前提にしていることを問題にされれば、まぁ、それしか手段を持ち得ていないので・・と回答するしかない。
 しかし、傲慢だから、と拒絶する勝手自由まで否定しないので、ご自由に


>「この程度」という言い方がまさに傲慢さが表れてと思うのですが、どうでしょか。

はい。そうですが?
傲慢と解釈されようとも自由です。傲慢であることで他者を試せるんですよね。
(たぶん、その世界には到達できない人が圧倒的に多いのだろうが、)どんなに傲慢まで中身だけが価値だと思う人間は相応に存在する。いわゆる本質論ね。
要は論説者の人間性はどうでもよく、中身が重要だと優先順位を認識している人間 をこちら側で選別するのが傲慢な態度を取る理由でもある。つまり、中身を見る人間だけ相対する。これは、科学者が対人関係の合理化を図る上で実行するコミュニケーション方法でもある。
 つまり、傲慢であることを問題にして、中身と精査しないような人間(質問者とは言わない)は、”どうぞお引き取りを”というメソッド。
当方はこれを手段として人事も行ってきたし、今もそれを続けているし、普通に人事面接の仕事なども関わっている。

以上から、特段反論する価値もないし、それが合理的な手段として採用する自由があることを論証した。


>かつて、嫌煙権問題が議論になった時に、反論した人が大学を卒業していなかったことから「高卒は相手にしない」と言って議論することを拒否した禁煙反対論者がいました。Streseman さんの主張はその人と相通じるようなところがありはしないでしょうか。

逆に質問者が議論を拒絶しているのでは?w
実際、当方が提示した比較土壌にない、という論説に対して反論もしていない
本件の質問に対する補足要素はない。議論逃避という部分は、そこれこそ質問者の本件の補足に発現しているのだが、本件の補足に議論要素があるなら提示してほしいのだが?
(当方は、本件に関して質問者が反論できないと想定しているので、言及しておく)
どうやって、議論するんですか?w是非、質問者の文章を拾って本件を議論する方法を提示してくださいな

>ちなみに、「死刑制度に関するポジショントーク」ということがどういうことか、よくわかりません。「ポジショントーク」とはどういう意味でしょうか。調べればわかるかと思いますが、いちいち調べなければわからないような言葉を用いることこそ、傲慢と言えるのではないのでしょうか。それとも、「それは常識だ」という事なのでしょうか。

傲慢と思うのが質問者の傲慢だと思うのだが?
そう思う論拠を提示してみよう

本件は、質問サイトである。その質問に対して、回答が付くわけだが、 
我々、回答者は、”調べなければわからない用語を使うな”という制約は受けていない。
そのような設定を勝手に設け、その設定を強いる人間を傲慢をと呼べるだろう。質問者の設定の根拠は社会に存在するのかね?

 社会には意味不明な言葉が多々存在する。そして、分からないなら調べることが大前提で存在している。
実際に行政を筆頭に多くの社会用語は知らない人をカバーする制度ではない。このサイトも、利用者が分からないことを逐次フォローする前提にはない。行政を始め、社会のサービスは対価条件があれば相応に情報提供の対価が行われるが、本サイトにおいては、質問者・回答者に対価契約は存在しない。したがって、回答者が懇切丁寧に無知に啓蒙する前提条件・契約条件はない。
「ないもの」を”ある”ように設定する質問者が傲慢だと思うのが無理なのだろうか?

質問者は利用前提に以下のように指摘している
「調べればわかるかと思いますが、いちいち調べなければわからないような言葉を用いることこそ、傲慢」

これは、実社会では、甘えと処断されるし、本サイトではその甘えが許容される前提にはない。
そして、分からないことを調べる、という慣習の上で、本サイトが運営されていることも言えるだろう。
実際に質問者は分からないからこそ質問しているのだし、相手に設問せずに他者をもって調べようとしているわけだ。結果論において

以上の社会状況・本サイトの利用環境からすれば、質問者の見解が傲慢と言うべきだろう

 もっとも質問者は己の無知を恥じないようだし、それは勝手であろう
しかし、存在しない「分からないことを使うな」というニアンスの物言いは、現実社会では甘えであるし、通用しないし、傲慢と言われるだろう

仮に質問者の言説が通用するなら、いくらでも質問者の傲慢を指摘できるだろう
質問者が求めれば、更に質問者の論理で傲慢さを提示するが、どうしようか?

 質問者だけが悉知していて我々が知らない環境はいくらでも存在するわけだが、
質問者は、『調べなければ分からないような表現はするな』と言う。
矛盾というしかないだろう・・・
つまり、質問者の論理を採用すれば、質問者の方が傲慢ということである


 傲慢という問題が、質問者にとっては問題になっているようだが、本件の質問にどのような関係があるのか?という興味はあるが、どう回答するのだろうか?

本旨を違えている質問者の補足については、当方はご自由に・・とは思うが、本末転倒と思わない質問者には関心はしておこうw

言うまでもないが、当方が回答した部分での質問者の問題言説には反論しないようだが、どう認識しているのだろうか?
単なる無知から有智にシフトできれば幸いだが、単なる逆上であれば、それこそ当方としては、質問者が傲慢というしかない

是非に、質問者は他者に聞いて回ると良いだろう

『調べればわかるかと思いますが、いちいち調べなければわからないような言葉を用いることこそ、傲慢』という話を・・・


努力もしないような「教えて君」である質問者 が傲慢ではない・・という人が居れば幸いだが

以上

この回答への補足

重ねての回答ありがとうございます。

前回の回答(No.6)に対しても補足しましたが、何分にも私の能力からしてすぐには反論することはできません。

十分に時間を掛けて検討し、そのうえで補足させていただきたいと思います。前回の補足では、御礼の欄にて補足する(見解を述べる)旨を表明しましたが、御礼の欄では書き足りません

(2012/12/06 11:06 補足投稿)

補足日時:2012/12/06 11:06
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この回答へのお礼

質問してから一週間になります。
Stresemanさんから3件の回答を頂きました。ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/07 19:06

再びの補足ありがとな。

俺ぁその人じゃねぇから、文脈からその人はこう考えているんだろうと想像して、深入りしない程度に付け足してみるよ。


>刑罰としての死刑は確実に回避できる「殺人」ではないか、ということです
については、今回の質問で他の回答にもあるとおり、死刑は国家が刑罰としておこなうものだから、廃止すれば絶対的に回避できるよな。ここは十分に理解できてるんじゃねーのかい。


>死刑は正当防衛でも緊急避難などとの対極 にあるシステムではありませんか
については、ふたとおりの意味が考えられる。

ひとつは、これも他の回答にもあるとおり、死刑が国家の行為であるところ、正当防衛等は基本的に個人の行為であって、正反対のものだという意味。直前の文で国家の行為としての死刑を論じてることから、その次の文でも同様の前提で話が進むと予想できるよな。

もうひとつは、繰り返しになるが、死刑が違憲ないし不当な行為であるところ、正当防衛等は合憲で正当な行為であって、正反対のものだという意味。「また」で始まる文は、直前の文と同様の内容が語られる場合もあれば、異なる内容が語られる場合もある。

この部分でその人が言わんとしているのは、このどちらかか、両方かだろう。

この回答への補足

(2012/12/04 01:40 補足投稿)

>ここは十分に理解できてるんじゃねーのかい。

十分に理解できます。そういう考え方があることはNさんから指摘されるまで気付きませんでした。確かに「回避できる『殺人』」です。

>死刑は正当防衛でも緊急避難などとの対極 にあるシステムではありませんか

この部分について、Nさんは、

>死刑は正当防衛でも緊急避難でもなく、それらとの対極にあるシステムではありませんか?

というべきところを、書き急いでしまったと言っていました。私はおそらくそういう事だろうと思っていました。そのことは予想していましたので、それはNさんに指摘されるまでもないことでした。私がわからなかったのは、「対局にある」という点です。そのことについての説明が欲しかったのです。

私がNさんに求めていた説明は、asgasさんが指摘されている通りだと思います。的確な回答だと思います。

(お礼はあらためてさせて貰います)

補足日時:2012/12/04 00:40
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この回答へのお礼

質問してから8日経ちました。asgasさんから3件の回答を頂きました。ありがとうございました。

asgasさんの回答がもっとも参考になりました。しかし、asgasさんと同様に熱意ある回答を寄せてくださる方がいます。

何の見返りもないのにそういう回答を寄せてくださる方がおられることに本当に感謝します。その方の回答(No.12)への補足欄にも書きました(まる一日後に削除されました)が、回答に対する私の見解をブログで表明することにしました。そのためにブログを開設しました。

ブログのタイトル ⇒ 死刑は、正当防衛とか緊急避難の対極にあるシステム?
(ブログのURL ⇒ http://ukosaben.exblog.jp/

(お礼の投稿日時 2012/12/09 04:04)

お礼日時:2012/12/09 04:04

補足を受けてちょいとだけな。




死刑反対論の論拠は様々で、論者によって重きを置く部分も違うもんだ。死刑賛成論の論拠や論者についても同じことがいえるよな。法との絡みでは、死刑を違法(より正確には違憲)と解する死刑反対論者もいれば、合法(したがって合憲)だが不当と解する論者もいる。

その人がどっちなのか、そもそも法との絡みに重きを置いてるのか、俺にゃ分かんねぇ。だから前回は「違法で不当」って表現でちょいとぼやかしてみたんだよ。もしかするとその人はあんたの言うとおり合法だが不当と考えてっかもしんねぇし、違憲で倫理上も不当と考えてっかもしんねぇ。

その後で話が途切れた理由も、俺にゃ分かんねぇし、ここで提言してもあんま意味ないと思うぜ。ただ、理由を想像することはできるよな。求めに気付かなかったのか、面倒になったのか、返答する時間がなくなったのか。

仮に、その人がそれまでの話の中で死刑を違憲ないし不当だと明にまたは暗に述べていたのであれば、「正当防衛や緊急避難も認めないというのでしょうか」という問いかけはその人のそれまでの話をまったく理解してねぇって意味(または理解する気がねぇって意味)になっちまう。その人から見れば、死刑は違憲ないし不当だと説明した後で、合法で正当な正反対の制度を死刑と同様に認めないのかって聞かれたことになるからな。もしそうだとすれば、自分の話を理解する姿勢がまったく見えねぇってんで返答する気が失せるのも無理ないだろうよ。いっとくが、話の経緯を俺は知らねぇから、分かんねぇけどこうかもしれねぇって話だぜ。


それと、他の補足で「どうして加害者の命乞いに手を貸す必要があるのか」に死刑反対論者の立場に立って答えてみっと、それは死刑を無くすことで結果としてそうなっちまう副次的効果、反射的効果であって、手を貸すことが死刑に反対する論拠ではねぇ。論拠でないことについて必要性を問われても、反射的効果は要不要で論ずる範疇にないから答えようがなく反論になってもいねぇ。答えようのない問いかけが反論になるのだとすれば、再反論として、死刑で殺されたい犯罪者もいて死刑賛成論はそのような加害者に手を貸しているので同じことだ。そう反駁できるだろうよ。

「目の前で身内がマグロのぶつ切りにされたとして無期懲役でその罪を許せるのか」に対しては、実際に身内を殺されてなお死刑反対を維持する人もいたし、死刑賛成に転じた人もいたと聞いてるぜ。だから、死刑反対を確信してる論者はそう問われて当たり前のものとして「許せる」と答えるはずだ。


俺は賛成反対の立場を示していねぇから、そこはよろしくな。

この回答への補足

(2012/12/03 16:20 補足投稿)

>死刑反対論の論拠は様々で、論者によって重きを置く部分も違う

確かにそうだと思います。同じ死刑反対論者でも「死刑廃止」という点では共通していても、その根拠となると各人各様だと思います。

>それは死刑を無くすことで結果としてそうなっちまう副次的効果、反射的効果であって、手を貸すことが死刑に反対する論拠ではねぇ。論拠でないことについて必要性を問われても、反射的効果は要不要で論ずる範疇にないから答えようがなく反論になってもいねぇ。答えようのない問いかけが反論になるのだとすれば、再反論として、死刑で殺されたい犯罪者もいて死刑賛成論はそのような加害者に手を貸しているので同じことだ。そう反駁できるだろうよ。

まったくその通りだと思います。

>話が途切れた理由も、俺にゃ分かんねぇし

私の質問が少し長かった(くどかった)のに対してNさんの回答は、なぜそうなのかという説明をせずに「私は…と思う」というものでした。ですので私は、もっと詳しい説明を求めました。しかし、Nさんは、そういう事を説明するのが面倒臭いと思ったのか、それとも説明する必要はないと思ったのか、どっちかわかりませんが、その後の回答を拒絶しているのです。

私の質問 ⇒ 人の命を奪うという点においては(個人による)非合法の殺人も、刑罰としての死刑も変わりはありません。しかし、死刑反対論者は、自分が殺害される状態に置かれた時のことを想像できないのでしょうか。今まさに見も知らぬ者から殺害されようとしている時、その加害者に対して「なぜだ」という疑問や怒りは生じないのでしょうか。その加害者に対して反撃に出ることによってその窮地を脱することができるのに、死刑反対論者は、おとなしく殺害されるのを待つというのでしょうか。

死刑反対論者は、どんな人間でも命は等しく尊いという理屈を持ち出して死刑を非難します。しかし、何の落ち度もないのに一方的に殺害された側としてはそういう理屈は、「死刑反対論者にとってこの上なく都合のいい理屈」としか受け取れないのではないでしょうか。いつまでたってもそういう非現実的な空虚な理想論を主張していることが、死刑反対論に共感する人を増やすことができない大きな背景にあるのではないのでしょうか。

死刑が殺人と変わらないというのであれば、正当防衛や緊急避難によって人の命が奪われる場合も殺人と変わらないことになります。死刑に反対する人は、正当防衛や緊急避難も認めないというのでしょうか。ぜひその点についての見解をお示しください。


Nさんの回答 ⇒ 非合法の殺人と、刑罰としての死刑は違う、ということですが、私もそう思います。しかし、それは貴殿とは正反対の捉え方をしています。刑罰としての死刑は確実に回避できる「殺人」ではないか、ということです。また、殺人がよくないというなら、緊急避難、正当防衛としての殺人も認めないのか、と言われていますが、死刑は正当防衛でも緊急避難などとの対極 にあるシステムではありませんか?

(以上です)

補足日時:2012/12/03 16:20
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死刑制度は賛成です



日本には死刑制度はあるのはいいのですが まだ甘い刑務所ですね。食事は3食 風呂は週一 寝所は布団 着る服もある。軽度の罪なら理解できますが。殺人や強盗 強姦 といった獣が甘い生活してるのが納得いかんわ。
死刑制度がなかったらと思うと、被害者の人権はどうなるのだ。加害者の命をかばうことは、遺族側に対しては 警察や社会から見捨てられたのと同じです。

考えても見るといい

犯人が被害者をボコボコ殴り刃物で顔を切り裂いて笑う犯人の姿。

首吊りはまだ甘いな そいつは昔の死刑 打ち首の刑にすればいいのだ

この回答への補足

>加害者の命をかばうことは、遺族側に対しては 警察や社会から見捨てられたのと同じです。

加害者の身勝手な動機で殺害された被害者の無念を思えば、加害者がのうのうと刑務所という閉じられた空間であっても生きながらえるということは私も納得できません。そこでは、路上生活者では味わえない快適な生活が保障されています。食事の心配はまったくする必要はありません。風呂にも定期的に入ることができます。病気になったら無料で(自己負担なしで)治療を受けることができます。

何の落ち度もない被害者の命を一方的に奪っておきながら、「自分の命は助けてください(死にたくない)」という理屈がどうして成立するのかと思います。死刑反対論者の主張は、そういう加害者の不合理な言い分を擁護している訳です。実に馬鹿げています。この点について、死刑反対論者の反論を聞きたいものです。「どうして加害者の命乞いに手を貸す必要があるのか」と。

「目の前で身内がマグロのぶつ切りにされたとして無期懲役でその罪を許せるのか」と聞いてみたいと、ある人が言っていました。私もまったく同感です。残虐非道な殺人行為に及ぶ者は、犯行に及んだ時点で人として生きる権利を放棄したとみるべきだと思います。

補足日時:2012/12/02 20:14
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死刑反対派です。


とは言うものの法律は勉強中なので、間違いがあったら言って下さいね。

死刑は、個人の殺人だとは思いません。国が司法に従って刑の執行をしているのだと思います。
個人にしてしまうのは、その時の法務大臣さんや実際にボタンを押す方の負担を増やすことになるので…。殺人と言えば、殺人ですよね。人を殺すのだから。
罪に問われないってだけで。

そういう意味で殺人だけど、認められれば罪に問われない正当防衛や緊急避難を挙げたのだと思いますが、大きな違いが2つあると思います。

1つは、司法の後ろ楯があるか、ないかです。
死刑については死刑判決がでた後の執行なので、判決に基づいて刑を執行したことになります。

対して正当防衛や緊急避難は、主に個人が身を守るため、又は重大な命の危機にある時にやむを得ずとった行動についてのことで、認められれば無罪ですが…。認められなければ有罪ですよね。

2つめ。前者は国家権力であり、後者は個人です。

対極かと言われると、よくわかりません。両者とも刑法の中では特殊なシステムだなとは思います。

死刑反対派と賛成派は、対極かもしれませんね。少なくても、お互いに冷静にディベートできないなら、不毛だと思います。

※Nさんへの質問は、補足のみですか?補足のみだと設定によっては素で気づかないこともありますよ。

この回答への補足

>死刑は、個人の殺人だとは思いません。国が司法に従って刑の執行をしているのだと思います。

死刑は、「国家による殺人」だと死刑反対論者は言っています。殺人であるという点で、「個人による殺人」と同様に許されないということだろうと思います。yuuri-kさんが言おうとしていることは、死刑執行ボタンを押す刑務官が決して殺人行為をしているわけではないという事ではないのでしょうか。死刑執行に関わる刑務官の心理的負担は確かにあるようです(何の負担も感じない刑務官もいるとは思いますが)。

>Nさんへの質問は、補足のみですか?補足のみだと設定によっては素で気づかないこともありますよ。

申し訳ありません。どういうことか、さっぱりわかりません。「補足」は、回答を頂いた方の回答に対する私の感想です。「Nさんへの質問」ではありません。

補足日時:2012/12/02 19:47
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その人の回答は、死刑反対の根っこにある考え方を示唆するものだ。




あんたが言いたかったのはこういうことじゃねぇのかい。

殺人は違法で不当なおこないである。死刑は合法で正当なおこないだから、殺人には当てはまらない。死刑が殺人だとして認めるべきでないと結論付けるのであれば、死刑と同様に合法で正当なおこないである正当防衛や緊急避難も認めるべきでないとするのが論理的だ。死刑反対論者は正当防衛や緊急避難も認めないというのか。

これに対してその人は「対極にあるシステム」と答えたんだよな?こいつぁ、死刑制度は正当防衛の制度や緊急避難の制度とは正反対の仕組みだと言ってるんだろうよ。


死刑反対論者は死刑を違法で不当なおこないと位置付けてるんだ。あんたがその人の話をさっぱり理解できねぇのは、死刑を合法で正当なおこないだと頭から信じ込んでるためだと思うぜ。

死刑が違法で不当なおこないだとする立場に立てば、正当防衛や緊急避難がその対極にあることも分かるだろうよ。これらは合法で正当なおこないだから正反対だよな。


「対極」のひとことで、その人は死刑を違法で不当なものととらえてることを示唆するとともに、そこが対立点だと示唆したってこった。

この回答への補足

>あんたがその人の話をさっぱり理解できねぇのは、死刑を合法で正当なおこないだと頭から信じ込んでるためだ

確かにそうだと思います。前提が異なっている(正反対の前提に立って入る)ことが理解を妨げていたのだと思います。前提が異なれば結論が異なるのは当然です。

>死刑制度は正当防衛の制度や緊急避難の制度とは正反対の仕組みだと言ってるんだろう

おそらくそうだろうと思います。それならそのことをどうしてもっと具体的に説明しない(できない?)のかと、私は思います。

asgasさんが指摘されるように、Nさんは次のように説明すればいいのではないでしょうか。

>正当防衛や緊急避難が「合法で正当な行為」であることに対して、死刑は「法律に基づいている(合法である)としても不当な行為」である。

「正当な行為」と「不当な行為」という点をNさんは、「対局」という言い方をしたのではないかと思います。

補足日時:2012/12/02 19:25
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補足回答が要請されたので、返答



> 違法性阻却という理論は知っています。法律を少しでも勉強したことがある者ならば知らないはずはないでしょう。私は、法律を専門的に勉強はしていません。しかし、通常の社会人としてのレベルで死刑問題を論じています。「法律を専門的に学んだことがない者が死刑を論じるべからず」という理屈は通用しないと思います。

「論じるべきではない」などと論じていない。指摘は、”論じる能力がない”ではあるが
質問者には、理がない象徴の回答が上記でも指摘できる。質問者の勝手解釈・認識で「論じるべきではない」と論説されるのだから、当方には、質問者に理を感じる余地はない。あるのは、感情という理と離れた部分であろう
仮に、当方が、論じるべきではない、と論じた証拠があるなら提示してもらいたい。


>Streseman さんは、法律の分野に限らず、かなり博学のようです。そのために相当に自信を持って主張されているようです。その反動なのでしょうか、その主張に傲慢な姿勢はないでしょうか。「こんなことも知らない者に議論する資格はない」と。

上記で指摘したとおりである
能力がないとは指摘するが、資格がないとは論説していない。(資格がないとは思っているが)
被害妄想の質問者に理があるなら、上記したように、論ずるべきではないと権利制約した文章を提示してほしいものである。


> 「この程度」という言い方がまさに傲慢さが表れてと思うのですが、どうでしょか。

否定しないし、本件の補足で確認できる
指摘もない言葉を質問者は言及したように言い出す・・・
改竄・捏造という指摘も可能な行為に、理があるのだろうか?
もっとも、質問者のとっての理とは、自分にとって都合の良い論理形成が理であることを上記から論説できるが、反論できるのだろうか?
そして、傲慢であることが問題であるなら、質問者は自戒するべきだろう
上記したように、当事者が述べていないことを述べたように言い出す虚偽を犯している事実が存在する・・これが傲慢と言えるだろう
同時に、人は傲慢である部分を確実に持つ。
その傲慢さも含めて当事者の姿勢・態度であって、態度を問題にするのは当事者の勝手自由であろう
では、このサイトでは『傲慢であってはなりません』という利用規約があるのだろうか?
そして、日本社会は常に傲慢であってはならない、という規範でもあるのだろうか?
結論からいえば、人はその個人の価値観において傲慢である自由を持っている。そしてその態度・姿勢によって他者を取捨選択する・・という慣習法(メソッド)がある。
それだけのことだろう

 傲慢な人間であっても、学ぶべき価値があれば、学ぶものだし、どれだけ慇懃な人間でも学ぶ価値がなければ相対しないだろう価値観もあるし、社会の現実だろう。

 どのような対人関係・形成にしても当事者の自由であるし、傲慢であることを問題にする自由まで否定しない
それだけのことである

 もっとも、それを問題にする質問者は低俗だと思う。
それは、結果論で物事を捉えるよりも、脊髄反応の要素に目を奪われる人間という現実があることで言えよう。
現実社会には人間性の欠落した人間は山ほど存在するが、そのような人間であっても、社会的な存在価値はある。
人の傲慢・高慢という状況は、その人の価値を決める要素ではありえるが、その人の言説・行動を決定する要素ではない。
人の価値を問題にする趣旨がこのサイトにあるならまだしも、このサイトの趣旨は、質問内容に対する回答を問題を主体にする。
 そこに、人としての価値を持ち込む自由があるが、それが本質的問題になる余地は存在しないだろう

もっとも、質問者にとっては、質問という行為は人の価値を主題にするのだろうが・・・・(嘲笑)

 したがって、自分が傲慢であることを否定しないし、それを改める必要性を感じない

そして、傲慢であるのは、相手次第であるし、それは多くの人間が傲慢になる基準でもあろう
無知であっても学ぶ気概がある人間には指導・論説するが、無知を弁えず、質問者のように妄想を抱く部類には、傲慢であることに問題を感じない。
それだけのことである

>かつて、嫌煙権問題が議論になった時に、反論した人が大学を卒業していなかったことから「高卒は相手にしない」と言って議論することを拒否した禁煙反対論者がいました。Streseman さんの主張はその人と相通じるようなところがありはしないでしょうか。

分からない
もっとも、高卒だから相手にしないとは言わないだろうし、思わないだろう
当方にとっては、知性と知性に対する姿勢の問題である。
無知な人間でも貪欲な知識欲を持つ人間であれば相応の姿勢で論説する。
そのような生き方をしてきているし、そのような立場での仕事でもある。
(もっとも、気概だけで中身が追いつかない人間も存在して中途放棄する事例もあるが)

そもそも、中身に反論しない質問者は、問題の議論を拒否している件の反対論者と同じに思える

つまり、質問者が 問題の禁煙反対論者であろう。

実際に本件では、質問に対する中身ではなく、質問者の感情論だけでしか述べられていない
これは、議題から逃げた問題の嫌煙反対論と同じと言えるだろう

以上のようになる
さて、質問者がいかに反論するのか?という話でもある

この回答への補足

さっそくのご意見ありがとうございます。

何分にも私の能力からしてすぐには反論することはできません。感情的にはいくらでも言いたいことは言えますが、それでは何の意味もありません(鬱憤晴らしの意味はありますが)。

論理的に自分の考えを説明するためには少し時間を掛けて検討させていただきたいと思います。

その結果は、お礼の欄にて表明させて貰います。

補足日時:2012/12/01 10:50
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>当方は、本件に関して質問者が反論できないと想定しているので、言及しておく
>どうやって、議論するんですか?w是非、質問者の文章を拾って本件を議論する方法を提示してくださいな

申し訳ないのですが、反論できます。しかし、このQ&Aサイトでは思うような反論はできません(一方通行なために)。ですので、私は、この問題を議論するためにブログ「死刑は、正当防衛とか緊急避難の対極にあるシステム?」を立ち上げました。

ブログではコメントのやり取りを通して十分に議論できます。Stresemanさんのコメントをお待ちしています。どうぞよろしく。

(お礼の投稿日時 2012/12/08 15/22)

お礼日時:2012/12/08 15:22

No.4の補足です。



人権を捨てたということは人ではなくなったので、死刑は殺人にはならないと思います。

この回答への補足

>人権を捨てたということは人ではなくなったので、死刑は殺人にはならない

なるほどと思います。実にわかりやすい説明です。

補足日時:2012/12/01 10:10
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法律的な難しいことはわかりませんが死刑反対論者の犯人の人権に疑問があります。



簡単に言えば犯人は自己の欲望のため人の人権を奪い、非人道な行動によって自らの人権を捨てたのです。
従って犯人に人権が有る訳がありません。

殺すつもりはなかったと言っても、その動機が非人道なものであれば死刑は当然でしょう。

江戸時代のように10両取っても死罪と言うような時代錯誤ではないでしょうか。

この回答への補足

>犯人に人権が有る訳がありません。

私も、犯人は罪を犯した時点で人権を放棄したものとみるべきだと思います。

私は、死刑制度の存置を主張しています。凶悪な犯罪が後を絶たないという現実がある限り、残虐非道な犯罪者には死刑は止む無しと思っています。他人の生命を奪っておきながら、自分は死にたくない(死刑になりたくない)というのは、道理が通りません。

死刑に強く反対する人もいますが、そういう人は加害者の主張を擁護していることと変わらないと思います。失われた被害者の人権と同様に加害者の人権も尊重しなければならないという、その主張を受け入れることはできません。加害者は罪を犯した時点で人権を放棄したものとみるべきではないのでしょうか。

補足日時:2012/12/01 09:52
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

このQ&Aをブログ「死刑は、正当防衛とか緊急避難の対極にあるシステム?」で取り上げました。よろしかったら死刑についてのさらなるご意見をお寄せください。

お礼日時:2012/12/08 19:17

私は、死刑大賛成派ですが、回答させて下さい。




「個人による殺人と変わらない。だから、死刑は認められない」
     ↑
そもそも、これが問題ですね。
この論法が通るなら、懲役は個人による監禁と変わらないから
懲役は認められない、ということになってしまいます。
つまり、刑法の否定です。
刑法は個人から復讐の権利を奪った時から始まったと言います。
死刑制度と、個人の殺人を同視することが、基本的に間違って
います。

「死刑が殺人と変わらないというのであれば、正当防衛や緊急避難によって人
 の命が奪われる場合も殺人と変わらないことになります。
 死刑に反対する人は、正当防衛や緊急避難も認めないというのでしょうか」
     ↑
これは間違った比喩に対して比喩で反論しているので
不完全な反論になっているようです。
死刑は、国家の正当防衛みたいなものだ、というつもり
でしょう。そういう学説もありますが、少し無理があるように思えます。

「死刑は正当防衛でも緊急避難でもなく、それらとの対極にあるシステムではありませんか?」
       ↑
(1)対極にある、という意味が解りません。
(2)システムというのもよく理解できません。

抽象的で難解な文言を使用するというときは、使用している本人が良く解って
いない場合が多いものです。
ある哲学者ですが、30代の論文を読みましたが、非常に難解で
とても読みづらいものでした。
70代の論文を読んでみたら、平易な言葉で解り易く
書いてありました。

この回答への補足

>そもそも、これが問題ですね。

私もまったく同感です。

>死刑は、国家の正当防衛みたいなものだ、というつもり

まさにNさんが言いたかったことは、そういう事だったのかと思います。

>(1)対極にある、という意味が解りません。
>(2)システムというのもよく理解できません。

私もその2点がどういうことが理解できません。まさしく、言っている本人もよくわからないままにわかっているふりをしているに過ぎないのではないかと思えてなりません。

Nさんからその後の説明がないことを考えれば、そのことを自ら証明しているのではないかと思います。

補足日時:2012/12/01 09:47
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

このQ&Aをブログ「死刑は、正当防衛とか緊急避難の対極にあるシステム?」で取り上げました。よろしかったらコメントをお願いします。

お礼日時:2012/12/08 09:12

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