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歴史的にみて、中国も欧州も国が分裂して
数多な国が作られたのに、
今では欧州は民族ごとに国が分かれ、
中国は統一した大きな国になっています。

なぜでしょう?
中国だって多民族国家でチベット人や回教のトルコ人が
いますよね。南方と北方は今も言葉が違うから、
数多な国に分かれてもいいですよね。
でも唐、明、清、現国家などに代表される統一国家であることが長いようです。

質問:中国は何故、国が統一された状態が長いのでしょう。

A 回答 (13件中1~10件)

偶然もあるが 大きな原因は3つではなかろうか



1 黄河と揚子江が長大で東西に流れている
2 始皇帝などが、統治システムを構築した
3 大運河によって、南北の経済ラインが構築された

1 黄河と揚子江が長大で東西に流れている
漢までを考えると、中国の中心は黄河流域。河川管理が古代の文明において統一権力に向かうことはよくいわれていること。漢と同時代のローマ帝国が地中海という流通・貿易領域をまとめたのに対して、河川のほうが海域よりも管理し安かった部分もあると思う。
欧州では、ドナウ川やライン川、セーヌ川など黄河と比べれば小さい。


2 始皇帝などが、統治システムを構築した
統治システムとして漢字と官僚制度は重要なファクターだと考える。
漢字と官僚制度によって文章による統治システムが中国全土に対して統一的に行われることができた。
官僚のリクルートシステムでも、中国においては地方の有力氏族が中央権力に漢字という教育システムを通じて参加することができた。
地方の有力者が、中央の権力の一端に入れるというシステムがなければ、地方の有力者にとって見れば、その地方で独立権力を作ったほうがいいなぁというインセンティブが働きます。

3 大運河によって、南北の経済ラインが構築された
三国時代(220年ころ)から隋(581年建国)の分裂状態というのは、欧州史で考えると235年ローマ帝国軍人皇帝時代の開始(あるいは、395年の東西ローマ分離)から、800年のカール大帝のローマ戴冠にあたるような長さです。隋以降、ふたたび中国がなんとなく統一されたのは、揚子江流域が経済の中心となり、その経済の中心を黄河流域の中央権力が必須と考え、離れないように頑張ったということです。中央権力は常に揚子江流域が離脱しないように注意を払う、死活問題ですので。
大運河がなければ、揚子江流域支配を諦めて、黄河流域で何とかしようという発送も生まれたかもしれませんが、そこに「美味しい地域」があってアクセスする手段があれば、頑張るでしょう。
そして、揚子江流域の有力者にとっても 2の統治システムによって中央権力に参加できるのであれば、黄河流域の中央権力に支配されるのも悪くない選択。


参考
中華帝国の興亡 という書籍によれば
(北宋)神宗期に行われた改革であるが、その目的は、科挙合格者の出身地の不均衡(華北の合格者が少なくなってしまった)とのことで、逆に言えば、黄河流域で成立した宋の官僚で揚子江流域の出身が多くなってしまったということ。
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この回答へのお礼

>1 黄河と揚子江が長大で東西に流れている
なるほど地形によるものですか。川が大きいほど人間が統一しやすい。
まさに「水を治めるものは人を制する」ですね!

>2 始皇帝などが、統治システムを構築した
これはよくわかりません。漢字と科挙が統一の紐帯になりそうですけど、
欧州にも漢字の代わりにラテン語があるし、
科挙の代わりに大学があるし、強力な束縛力とならないような気がします。

>3 大運河によって、南北の経済ラインが構築された
これもつまるところ、川の大きさ、ですね。よくわかります。
ただ、経済中心の揚子江を掌握したいために北方が支配、
というのは、あまり統一中国と関係ないように思えます。
たとえばヴェネチア。
欧州は長らくヴェネチアが経済の中心で、欧州はこの国から
金を借りないと戦争ができないほどでした。そして、
ヴェネチアは1000年以上独立国家でした。ドイツもフランスも
絶対併合したかったはずです。
もし、大きな川が無いために占領できなかったから、
と言えば、説明できそうです。

お礼日時:2012/12/03 14:50

>中国の南方、呉や蜀といった肥沃な大地まで攻めてきたことは、北魏や元を除くと、あまりありません。



そうでもないよ。五胡十六国時代に氐族の前秦が東晋を攻めている。五胡十六国時代から南北朝時代にかけて華北が異民族に支配されたことで異民族の漢化が進み、江南の開発が進んで、隋による南北統一に至る。

華北を支配した北方遊牧民族が漢化するということは、いつの間にか漢民族に同化してしまう訳で、そうして漢民族の人口比率が増えていくのである。

それでもまだ北方の草原には騎馬遊牧民族もいて(例えば突厥とか)、騎馬遊牧民族からの侵略・略奪を防ぐという国防のテーマがなくならない。

だから外敵の脅威に対抗することが統一の動機になるのです。
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この回答へのお礼

なるほど、外敵の脅威に対抗するために
統一するわけですね。
明治維新のころの日本みたいです。

よくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/04 12:02

それは次の理由から・・・



(1)漢民族の人口の多さ
(2)古来からの中華思想
(3)少数民族の「大分散・小集居」状態

(1)漢民族の人口の多さ
一つの目安としてですが、現在の中国の人口における漢民族が占める割合は、約91%にもなります。次に多いのはチョワン族ですが、1.3%でしかありません。
ヨーロッパの面積と中国の面積が、ほぼ等しい事を考えると(データブック・オブ・ザ・ワールド2012版に、ほぼ等しいと記述あり)、面積上に占める民族比率において、中国はヨーロッパとは比べようもないくらい一つの民族(漢民族)が占める割合が高い状況です。
ヨーロッパの人口は現在、約7億4千万人ですが、民族的に最も人口の多い民族のロシア人でさえヨーロッパ人に占める割合は16%です。次に多いドイツ民族は約10%です。
つまり中国とヨーロッパでは面積に占める民族の割合において大きな隔たりがある上、中国における漢民族の人口が圧倒的に多い事を考えれば、統一国家が長く続いても不思議ではなく、またヨーロッパにおいては圧倒的多数と言える民族が存在しないため、民族ごとに多くの国家に分裂しても不思議ではありません。

(2)古来からの中華思想
漢民族は秦、漢などの中国を統べる統一王朝を築いていく中で中華思想を生んでいきます。
中華思想は自らを華夏、中華、中国と美称し世界の中心にあると考え周辺民族を夷戎蛮荻と蔑称しますが、必ずしも他民族を排斥するばかりの思想というわけではありません。
「華夷の別」という華夷(中華と他民族)を分ける基準には人種差別的発想が無くはありませんが、基本的に文化的優劣感があります。
華夷を分けるのは、漢字文化、農耕文化、そして最も重要な要素として漢民族が体系化した儒教文化を受け入れるかどうかで分けられます。
そのため他民族であっても、また他民族が支配者になっても、彼らが中華文化を許容し受け入れれば「華夷の別」は解消され、中華社会に受け入れられます。
こうした古来からの中華思想、自国が地理的に中央に位置するという誇りの上に、漢民族はまとまりを持ち、統一王朝を構成
しました。
つまり、こうした中華思想を古来から持った漢民族が多数を占める中国は、一つの国にまとまりやすいという文化があります。

(3)少数民族の「大分散・小集居」状態。
中国における少数民族は、漢民族に比べて極めて人口が少ないと前述しました。
そして単一の少数民族がまとまって一定地域に多数で居住している事は少なく、漢民族や他民族と混在、雑居していたり、小さな居住地が点在している事が多いのが現状です。
つまり少数民族が大同団結するという事が難しい環境になっています。
ただ、これは昔から中華と呼ばれていた地域であり、中国の歴史において近年、中国に組み入れられたチベットやウイグルはまた事情が違います。
現在の中国の行政区分は「4市22省5自治区2特別行政区」となっています。
その殆どにおいて人口では漢民族が多数を占めており、多くは人口の8割~9割が漢民族となっています。
漢民族が比較的少ないのは2省4自治区だけです。
これも比較的と書いたように他の地区から比べたらの話であり、殆どで漢民族の割合は結構あります。
この2省4自治区は・・・
貴州省・・・漢民族62.2%。ミャオ族12.2%。
青梅省・・・漢民族54%。チベット22.5%。
チョワン自治区・・・漢民族61.6%。チョワン族32.4%。
ホイ族自治区・・・漢民族65.4%。ホイ族33.9%。
ウイグル自治区・・・ウイグル族45.2%。漢民族40.6%。
チベット自治区・・・チベット族92.8%。漢民族6.1%。
このように中国の行政区分において漢民族の少ない地区はウイグル自治区とチベット自治区の2つしかなく、あとは漢民族が多数派であり、少数民族は漢民族に押さえつけられている状況で、昔からの「大分散・小集居」と合わせて、独立運動などの展開が難しい状況です。
そのため地方に独立国家などが誕生するのは難しい状況です。
例外は先にも述べた近年、中国に組み入れられたチベットとウイグルくらいです。


こうした漢民族の人口の多さ、古来からの中華思想、少数民族の大分散・小集居状態が、中国を一つの国に
まとまりやすくしていると言えます。

この回答への補足

ベストアンサを悩みましたが、
先に答えた方を選択しました。

またご教授願います。

ありがとうございました。

補足日時:2012/12/04 17:19
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この回答へのお礼

物凄い資料による裏付けをありがとうございました。

数字を見せられると納得してしまいます。

(1)人口(2)中華思想(3)少数民族
ですね。

すると、漢民族の人口がインフレした理由も聞きたいですね。
やはり
(1)漢字(2)科挙(3)儒教
でしょうか。

お礼日時:2012/12/04 08:00

趣旨とは違うかもしれませんが、少しだけ。


中国の統一は必ずしも統一ではありません。
有名どころではチベット、ウイグルがあげられますが、これは完全な侵略による征服です。
統一ではありません。
なお、四川省の西半分と青海省の大半は本来チベットの領土です。
また、モンゴル、広西、なども漢民族を主体とした統一の歴史においては必ずしもその範囲内ではなく、今現在おかれている状況は完全に中国の不法占領です。
ただ地続きであるが故に曖昧になっていますが、今の中国の領土の大半は大戦以前の帝国主義による植民地政策による支配となんら変わりは無いといえます。
よって質問の統一されたという部分は侵略されたが正しい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

チベットやウイグルでは、
独立⇒中国の侵略⇒不法占拠⇒独立
の様な歴史を辿っているとも言えますね。
ポーランドみたいなものでしょうか。
すると、中国はとても軍事力が強いといえます。
また周辺民族を操ってうまく団結させないように
しているのかもしれません。

お礼日時:2012/12/04 07:52

中国の歴史は、農耕民族vs騎馬遊牧民族の歴史です。

漢民族にとって、騎馬遊牧民族の襲撃・略奪から肥沃な国土を守ることが至上命題だったのです。農耕民族は土地を守るのが絶対条件。収穫前に農産物を根こそぎ奪われたら1年間食べるものがないのです。騎馬遊牧民族は守る土地がない。牧草があるところに移動するだけですから。
農耕民族が騎馬遊牧民族の襲撃・略奪に対抗する為に万里の長城を築き、強大な中央集権国家をつくり騎馬遊牧民族を同化させて農耕民族化し、その領土も貰ってしまう。その繰り返しで中国はあれほどの領土と人口になったのです。騎馬遊牧民族でモンゴル族だけが同化されずにモンゴル高原に帰ってしまった。一部は内モンゴル自治区に残りましたが。

それに対して、欧州には騎馬遊牧民族の襲撃・略奪がありませんでした。欧州は貧しい土地なので、騎馬遊牧民族が奪うものは何もなかったからです。唯一の例外はフン族だけ。つまり欧州には恐るべき外敵がいなかったので統一する動機がなかったのです。東欧ではオスマン帝国が脅威だったから弱小民族はハプスブルク家の元に肩を寄せあって生き残りました。それがオーストリア帝国だったわけです。しかしオスマン帝国が弱小化すると、もうハプスブルク家に頼る理由もない。だからオーストリア帝国は第一次世界大戦で瓦解してしまった。

余談だけど樺太には国が生まれませんでした。樺太アイヌ、ウイルタ、ニブフといった北方少数民族が牧畜、狩猟、漁労で生計を立てていたが、守るべき土地もなく強大な外敵もなかったので国をつくる必要がなかったからです。ちょっとした揉め事があっても酋長同士の話し合いで解決してしまう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

遊牧騎馬民族に対抗するために統一国家を作ったわけですか。
一理ある様と思います。が、歴史的に遊牧民族が
中国の南方、呉や蜀といった肥沃な大地まで
攻めてきたことは、北魏や元を除くと、
あまりありません。どちらかというと燕や中原といった
北方を攻めた遊牧民、鮮卑や匈奴、エフタルなど、が多いですよね。

遊牧騎馬民族が統一国家を促す、はオーストリア帝国には
よく当てはまりますが、中国の北方と南方を結ぶまでには
至らないようにも思えます。

お礼日時:2012/12/03 22:04

ほえ?


歴史的に見て、欧州は、民族毎で国家が分裂しないんだが?

英国は分裂しているのか?ベルギー・スイスはどうなんだ?

高い確率で、「は?何言っているの?」と言われる見解だよ

ちゃんと歴史の勉強したの?
ベルギー・スイスなんか典型的な多民族性の代表国家だろうに・・・・



>なぜでしょう?

なぜって、間違いを前提にしている質問に、回答できないよ。


>中国だって多民族国家でチベット人や回教のトルコ人がいますよね。南方と北方は今も言葉が違うから、数多な国に分かれてもいいですよね。

悪くはないが、言葉が違うから 分離して良いなら、多くの主権国家は全てもっと細分化されることになる話になる

関西弁(京都弁を除く)は、関東からすれば、醜い言語で、同じ言葉とは思えない部分もあるし、東北の言葉は同じ言葉とは思えないくらい理解できないこともある
 言葉の相違が分離の基準なんてのは、質問者の妄想の話だろう

民族ならまだしも、同じ民族でも言語を別にする事例があるのに・・・


>でも唐、明、清、現国家などに代表される統一国家であることが長いようです。
質問:中国は何故、国が統一された状態が長いのでしょう。

はえ?

そもそも、中国って概念が不確定なんだが?
今の中華人民共和国の国土上の法治範囲が中国になるなら、唐王朝には四川に未統治箇所はあるし、明は東北部に未統治地域が日本の国土分以上ある。清に至っては、雲南地方は未統治地域

で、中国の混乱期の長さは測ったの?春秋戦国から国共合作時代まで含めて、中国は戦乱期は多いのだが?


世界史のテキストレベルから見直してきたほうが良いね

世界史の勉強してもこのレベルなら、相当にヤバいよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/12/03 21:52

お礼ありがとうございます。



王は独身できませんよ。
キリスト教会には世襲性の欠点がないから長持ちしてんですよ。中国の王朝より安定しているキリスト教会が世襲性の権力の強大化を邪魔し続けたということです。
バカな王様大歓迎です。賢い王はおとしいれて潰す。王も含めて納税者もみんな洗脳されてんだから。欧州人はみんな洗脳された社会に生きてユダヤ人はじめ知恵のある人らは洗脳された社会でおびえていたのでしょ。
軍事権力と宗教権力の平衡状態にあったわけです。キリスト教会という中立者がいればライバルを地平線の向こうまで全滅させなくていいでしょ。中国では難しいよ。漢字の字体が共有できても話が通じないし同じ信仰ないし。
宗教戦争が凄惨というのは降参しないからですよね。シナはすぐに降参するテレビゲームです。欧州の支配階級はローマ教会に破門されない限り勇気づけられるのです。ゴッドブレスミー。天国に導き下さい。
漢人は日本の中央官僚みたいなものです。官僚制ですからね。その上に全権を握る王。日本は王がいるだけ。昔から(笑)
日本がシナように食い物にされなかったのはどこを責めても降参しそうにないからです。地方分権で。欧州もずっとそうだったからという事実の連続です。徳川家康の限界は欧州の王に理解できても清の皇帝にはピンと来ないでしょう。
勇気の有無です。

世襲王を殺した後に騎士や武士が残ったら独裁できませんよ。大きくなれない。
小さいまま絶体王制でライバルと均衡。国教会を作ったら独立です。欧州連合なんかに依存しない強いプライドがあるわけです。ドイツはドイツにプライドのないまとまりだから。韓国みたいに気が狂うわけです。カトリック帝国や共産主義や欧州連合で、国という概念を消し去りたい。

ローマ教会はずっと存続。地球に信者がいるかぎり。
欧州の権力分散状態、キリスト教的個人主義世界はどうにもならんわけです。思想に変わる思想のいたちごっこで。
だからもう土人を皆殺しにするくらいです。
現在、その土民はジパングですよ。
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この回答へのお礼

>中国の王朝より安定しているキリスト教会が世襲性の権力の強大化を邪魔し続けたということです。

成程、キリスト教会が世襲制と拮抗していた訳ですか。
すると、中国の宦官なんかどうでしょう?


>世襲王を殺した後に騎士や武士が残ったら独裁できませんよ。大きくなれない。小さいまま絶体王制でライバルと均衡。国教会を作ったら独立です。欧州連合なんかに依存しない強いプライドがあるわけです。

なるほど、騎士や武士が残ったから独裁できないわけですか。
一理あるように思います。中国は早くから武士を作らない国家ですからね。
すると、科挙が中国を統一し易い国家にしたともいえますね。

お礼日時:2012/12/03 21:56

武力と宗教の二元支配になっているかどうかそれだけです。



質問の答えは、キリスト教会がなかったからです。同時にそれは統一的な宗教団体の洗脳力なしに中国を統一する技術があったことでもあり、中国全域の人々を支配する存在が皇帝以外に誕生しなかった。
キリスト教会は世襲制ではない。独身主義が成功したんですね。欧州は独身主義者が一元支配を邪魔し続けた。それが個人主義と競争社会を生み、世界をリードする展開へ。
貴方がローマ法王なら強い皇帝を望みますか。分断主義でキリスト教圏外進出でしょ。
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この回答へのお礼

キリスト教の独身主義に、欧州の分断があるのですか。
とても興味深い指摘ですね。

ただし、ローマ法王は独身にしても、他の欧州列強の王は、
別に独身であったわけではありません。

一概に、独身主義が分断を招いたとは、言い切れませんが、
一要素はありそうです。

お礼日時:2012/12/03 17:38

No2です



回答した後で録画してあった、NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/china-civilization/ …
これを見た

理由その2始皇帝などが、統治システムを構築した
というのを「中華」というコンセプトで説明していたように思う。
2012年12月20日(木)午前0時25分~1時14分(19日深夜)で再放送するそうです。

「これはよくわかりません。漢字と科挙が統一の紐帯になりそうですけど、欧州にも漢字の代わりにラテン語があるし、」

官僚のリクルーティングシステムが、漢字と科挙によってうまく作動できるようになった。
中世欧州の大学システムは基本的には、カソリックの宗教指導者の育成から始まります。中国の科挙は、中国全土からの為政者(原理的には皇帝以外の全て)のリクルーティングシステムです。
為政者というか指導者のリクルーティングシステムって存外重要でして、アメリカ独立戦争のスローガンが「代表なくして課税なし」というやつですが、統治のシステムに俺たちゃ入ってないよという認識です。
※ これは、アメリカ13州と西インド諸島のイギリス植民地の18世紀における政治的行動パターンに影響を与えました。
アメリカ南部の主要産業であるたばこ農家と西インド諸島の砂糖農家と比較した時、大雑把に言えば。

西インド諸島の砂糖農家

大成功

農家経営者は、イギリスに転居

イングランドの下院に影響を及ぼす

アメリカ南部のたばこ農家

中成功

農家経営者は、アメリカに居続けた

イングランドの下院に影響を及ぼせない

ベンジャミン・フランクリンの本などを読むと、最初は「おいらも正式なイングランドの臣民にしてくれよ」と騒いでいますが、途中で諦めちゃって独立派になっちゃいます。


ヴェネチアの話
要は タイミングの話

カール大帝によるローマ帝国の再建
隋唐による、中華帝国の再建
という、100年程度の開きがありながらも統一統治の再構築のあったタイミングで、死活的に南北を結びつけ続ける理由のあった隋唐とそれほどの死活的な理由のなかったカール大帝というようなことになります。
黄河流域の権力にとって、揚子江流域を継続的に支配することは死活問題。
江浙満つれば天下足る < というやつです。

ヴェネチアが経済的に美味しい地域になった段階では、イタリアを挟んで3つ以上の勢力がパワーバランスを形成します
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF% …

ドイツ フランス そして東ローマも「イタリア遠征」を中世において行なっています。
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この回答へのお礼

為政者のリクルートが統一されていたかどうか、ということですか。
面白い視点ですね。確かに科挙は、欧州の大学と比較して
自由度が無い分、宗教色を排除して現実性と治世力がある様に思えます。

江浙満つれば天下足る、も分かり易いですね。確かに
西側の欧州は肥沃な大地ですよね。そういう意味では、ソ連は
不毛な大地で統一したとも言えますね。

お礼日時:2012/12/03 18:34

http://dadao.kt.fc2.com/fanzui03.htm
【中国共産党・チベット侵略】

チベットは中国から侵略されてるだけです。

曾ての、清帝国も西欧列強に侵略されてましたし、日本も満州国を建国するなど、清帝国は弱体化しました。

香港や澳門(マカオ)は、その名残りです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

う~ん、侵略の話になると、
少し主題から離れますね。

お礼日時:2012/12/03 17:33

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