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歴史学者は科学を知らなければならないのでしょうか。
そうだとすれば、なぜ科学を知らなければならないのでしょうか。
炭素の同位体で年代を測定する以外に、歴史に科学が必要となることがどういう場合にあるのでしょうか。

A 回答 (10件)

皆さん色々難しいことを回答されておられますが、科学技術の内容そのものを知る必要はありません。


>炭素の同位体で年代を測定する以外に
とありますが、技術屋はその原理・測定方法・データ処理まで勉強する必要がありますが、歴史学者は結果を利用すれば事足ります。

つまり、どんな年代測定方法があるのか、どんな経時変化測定方法があるのか、その精度はどの程度かということを、常に専門家から聞いておく必要があるということです。
こんなのもあるあんなのもあるという事を知っておく必要がある。という意味では科学に関する知識や理解が必要だということで、中身の技術論までは必要はありません。この測定では何年前、この測定では何年前、史料の内容から恐らく何年前ごろでしょうということで充分です。

考古学会で、ご指摘の炭素法の結果を無視して自分の推定した年代に固執した人がいましたが、結局相手にされなくなってしまいました。このような意味で科学の知識が必要と言われるようになりました。

考古学はおそろしく昔のことを相手にするだけではなく、明治でも昭和でも対象になります。
文献ではなく、現物を調べる学問と理解して下さい。以前は地質学の知見を借りて、見つかった地層から年代を推定していましたが、ご指摘の炭素法などの分析技術の結果、遺物だけでも年代が推定できるようになりました。
さらに、地中に残された花粉から、植物を割出し、花粉の分布状態から、その時代の様子を推定して、古文書の記述理解に役立てています。時には植物の性質から平均気温を推定することもあります。
(歴史学者は専門の古文書の検討で、あとは植物学者に任せてお互いに相談をすればいいだけです)
最近1000年ぶりの暑さとか言われるのはここから来ています。平安時代の寝殿造りも意味があったということが立証できます。
関東に政治勢力が移っていったのも、平均気温の上昇(稲や作物の生育環境)が関係しているのではないかとも言われています。
似たようなのでは、木の年輪の幅を測定する方法もあります。気候が良いと年輪の幅は広がり寒冷だと狭くなる性質を利用します。
逆に遺跡に使われている木の年輪のパターンからその年代を割り出すこともやられています。
いずれにせよどの学問も専門化が進みお互いに使える技術や知見が無駄になっていたことが反省されて、最近ではお互いに協力しようということになって来ています。
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科学という言葉は現代、主に3つの意味があります。



1,化学とか物理学とかの「自然科学」。普通、科学言えばこれ。

2,経済学や政治学などの「社会科学」。

3,文学とか歴史学などの「人文科学」。

たぶん、質問者さんの「科学」は2と3でしょう。
歴史学者に政治学や経済学は、歴史研究の参考になりますが、物理学や化学は内容が違いすぎますし。それに、1は、「実験を通じて証明しなければならない。」という研究方法の高いハードルがあり、研究方法も2や3とは違いが大きいですし。2や3は、基本、「証拠文書さがし」。桶狭間の戦いを実験することなどできませんしね。
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(1)自分の考えた仮説が科学的に矛盾していないか検証する。


   矛盾があればその仮説は誤っているか、検証の方法が誤っていることになります。
   これは「なければならない」部分でしょう。
   科学的な検証がなければ宗教的な歴史観と大差ないでしょう。

(2)科学機器が歴史研究を進展させる。
   吉村作治氏はエジプトに初めて発掘のために科学機器を持ち込んだ人物と聞いたことがあります。
   「なければならない」わけではありませんが、「科学を知った方がいい」というところでしょうか。

(3)歴史学で科学に貢献する
   巨大地震・火山の大噴火のような頻繁には起こらない大規模自然災害や、大型彗星の接近や超新星の出現といった天文現象は人間の年齢を超えた長い時間の研究が必要です。歴史の記録が防災に役立ったり、宇宙の謎を解き明かす役割を果たしています。
   科学者も歴史を学ぶことによって、自然科学研究を進めています。

(4)科学史も歴史の一部
   歴史は自然科学や科学技術の変遷と共に有ります。石器から土器へ、金属器へ。探検は歴史的な行為ですが、科学的な研究や発見を目的にしていたともいえるでしょう。伊能忠敬の測量だって元々は地球の大きさを知りたかったのが動機だと言われていますから。
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歴史学も科学の一つだからです。


科学的考察ができなければ歴史学になりえません。『逆説の日本史』の作者のような評論家にすぎません。
あとは科学を辞書でひいてください。
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例えばピラミッドを作るのには高度な土木技術が必要です。

高度な土木技術には、優れた数学と物理の知識が必要です。それだけの優れた数学を彼らがどうして得ることができたのか。それを考えるためには研究者もそれなりに数学物理に精通していなければなりません。まあそういうことだと思います。
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 こんにちは。

少しばかり歴史学に携わる者です。質問者様が仰る「科学」の定義の仕方ですが、もしかして「科学=自然科学」とのみお考えではありませんか?。であるならそれは「根本的な部分でのボタンの掛け違え」があります。
 「科学」が「認識するとの行為、およびその過程である」と位置付けるなら、先のNo.2の方がご指摘の「結果に対する原因」の問題と「検証するための論理的思考」が求められます。
 具体的にいえば、「科学」は哲学的営みであり、自然科学と同時に社会科学の領域もある。この辺りは既にご存知であるはずですが、この「近代科学の一領域としての社会科学」が形成されてきた背景には、ルネサンス以後の哲学史を紐解かねばなりません。そして同時にその集約点の一つが西欧の市民革命に表象され、その根底にあるのが、社会的存在としての人間をどうとらえるかとの「視点」問題でした。
 経済学や政治学の視点から「過去」を分析するのも「社会科学の視点」です。歴史学はそうした隣接諸科学の成果を批判的に受容しつつ、その成果を同時に隣接分野にフィードバックしていくことで、人間を理解しようとする試みともいえます。
 歴史学が拠り所の一つともする「史料の扱い方」に関しても、恣意的な理解が許容されるはずもありません。その史料が語る「歴史事象の反映」を抽出するにも「史料を対象として突き放して観察する」スタンスが要求され、そのためには歴史学に携わる者が自らの研究姿勢すらも対象化せざるを得ないとの厳しさと直面する。
 つまり「史料の証拠能力を問う」そして「なぜこれが証拠になるのか」双方を同時に提示することができねば、科学としての歴史学に携わる者の資質を問われることになります。
 史料学に関して、少しばかり事例を挙げましょう。絵巻物を史料として扱う場合、質問者様はどこに着目しますか?
 絵巻物が作られた年代だけを問うことが史料学あるいは歴史学の専門とする領域ではありません。その絵巻物自体が作成されてきた当初から「どの様にして現在まで伝えられてきたか」との経緯そのものを検証する必要もあります。最初の所有者が手放したものが現在にまで生き残ってきた理由もあるはずです。その間には修理などもあるでしょう。オリジナルの部分に対する修理された部分の違いもあるはずです。それらは素材の違いを調べねば解明することになりません。ここの辺りは材料工学やら現在の画像分析システムに力を借りねばできない仕事です。
 けれどもそこから得られた基本データだけで、最初の問題の全体像を語ることも可能ではありません。手放した理由やそこから更に転売された経緯などは、状況に規定される人間の意識などに思いを馳せざるを得ない。
 そのために社会科学の力などを借りる形になります。
 古文書ならば、そこに使われている言葉に着目する必要もあり、こうした分野は日本語学や国語学の力を借りることも必要です。歴史学はそうした「トータルな学問」でもある。
 ただ単に、年代決定のために科学を緩用するなどと矮小化しないでください。逆に自然科学分野でも歴史学や史料の力を借りざるを得ないケースもあります、「貞観津波」のように。
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例えば土器の元素組成を調べれば、どこの土で造られたか、すなわちその土器がどこで作られたかが分かり、交易の範囲がわかることがあります。


骨のDNAを調べれば人種が分かり、民族の移動の動きがわかることがあります。
歴史を調べるのに科学ツールとしていろいろ有効なときがありますよ。
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この質問に回答するには,まず「科学とはなにか?」という問から発しないと回答するのは難しいでしょう。


何故なら,未だに「科学(Science)」に一致した定義は与えられておらず,あらゆる人がそれぞれの視点から説明されているにすぎないからです。
それでも強引に定義すると,大きな意味では「人間が積み上げてきた経験と知識を体系的にまとめる行為」と言えます。
歴史もそれ自体が「積み上げられた経験と知識」と言えなくもないでしょう。
その一方で論争となるところが,「社会学(人文科学)」は果たして科学なのか?という問です。

科学に必要なのは「反証実証性」です。
つまり,客観的に誰がやったり見たりしても同じ結果が導き出せるかが重要となります。
自然科学の分野は,研究室で実権することで反証実証性を示すことが比較的容易な分野です。
しかし,社会学や文学,美術学などは必ずしも「反証実証」出来るとは限りません。
ましてや文章を中心に据える歴史学など,殆どファンタジーな世界です。
いくら実証歴史学が反証実証を示そうが,歴史著述の段階になると筆者の主観が入り客観が入り込む余地は少ないと言えます。


それでも,歴史学も「反証実証」で得られた知識を駆使して過去の人間の行為を「証明」しようと試みます。
その段階で実に様々な「知識と経験(科学)」を援用しながら行っていきます。
ご質問にもある通り「放射性炭素年代測定」も自然科学からの援用で年代を特定しようというものです。
それ以外にも,「年輪年代法」も積極的に活用されています。
他にも,古文書学・金文学・地質学・考古学・天文学・芸術学etc,,と様々な学問分野の経験と知識を借りて,歴史を証明しようというのが歴史学です。


>歴史に科学が必要となることがどういう場合にあるのでしょうか。

歴史学の本質は,「過去の事柄を,その時代に生きていた人の文章類を史料として明らかにしよう」という学問です。
考古学も歴史学の派生型ではありますが,厳密に言うと歴史学ではありません。
何故なら、考古学が対象とするのは「物」だからです。
教義での歴史学とはあくまでも「文章」を使って証明していきます。

しかし,この「文章」というのが曲者で,たとえ古文書に書かれていたとしても,それが「事実」だとは限りません。
もしかしたら,誰かが創作したものかもしれません。(実際に偽書というのはどの時代にも存在します)
たとえ事実が書かれたいたとしても,それは著述者の主観でしかありません。
別の立場の人は,まったく反対の事象に見えたかもしれません。
なので,一つの「事実」を証明するには何十何百という史料を丁寧に考証していき「事実」に近づいていくしかありません。
ところが,文章だけで証明するのはとても難しい行為です。
そこで,他分野で培われた科学を援用して,より「事実」に近づこうというのが,現代歴史学の姿です。
つまり,歴史的事実をより事実に近づけるために他分野の「科学」が使われます。

蛇足ですが,「歴史とは何か」「科学とはなにか」といった根本的な問を考えるのも面白いですよ。
それぞれ「歴史哲学」「科学哲学」として研究分野にもなっていますので,色々本が出てます。
ご興味があれば手にとって見て下さい。
ではでは、参考になれば幸いです。
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質問者の言う科学とは何か。

歴史を学ぶ課程で科学が活きてくるのは
どういうことか。端的に言えば、科学は物事の変化の前後を追究する。
即ち、原因と結果をしっかり把握しろという事ではないかな。

ウンチク収集のためのだけの歴史探究ならば、何の意味もない。
まあ、学んだことを今後は戦略的に活かしてみろという事です。
「温故知新」そのものですなw
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地球の誕生(宇宙の誕生)と人間・動物の進化と自然の事等々幅広い知識が必要だからでは?

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