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身内に病人が出て、入院することになり
私ができることはこれくらいしかないと思い、
百度参りに行こうと思っています。


近所には神社やお寺が複数あるのですが
こういった場合は1ヶ所に通い詰めるほうがいいのでしょうか?

それとも複数箇所をまわってもいいのでしょうか?


また、近所の神社などでそういった参拝をしておきながら
遠方の神社やお寺へ行くのはどうなのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

価値観の問題では?法律や世間的には誰も問題にしません。

つまり宗教選択の自由です。然し日本人は特に宗教の因州が深くキリストや念仏を中心に民衆に根ざしてる割に宗教の教義等々に関して高低浅深が有る事すら知らない、宗教に無関心…教祖と言えばキリストか釈迦…神にも縋る気持ちは解ります。がチャンポンじゃ有るまいし何でも祈れば良いのでは有りません。釈迦は法華経にその答えを明確に示して下さってます。
とにかく自分が納得し信頼出来る信仰を集中される事をお勧め致します。信仰は自分を含めた全人類の幸福と1人1人の人間革命、成長の為のバイプルの筈です。患者様に寄り添い回復を念願し激励し支えて差し上げる事も又、大切では?…
信仰は形だけの物では無く心底信じる心の強さでは?…
信じる対象は御自分で決めるしか無く決めたら一心不乱に祈る事です。
私は創価学会のみですし他を信じる気持ちも有りませんね。
信頼出来る無二の親友数人に相談すれば…体験に勝る説得力無しです。
東京五輪決定に大きく影響したのも佐藤さんの逆境からの復帰と強い熱意の体験からでは?…宗教は解らないから何でも酔いから…なら、あちこち回る暇に患者様に寄り添い激励し回復を念願し支えて差し上げる事も大切と私は思います
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あまり思い詰めない方がいいようです。

こちらの心配や不安が、本人に伝わらないようにするためです。そのような考えから、お百度参りの「苦行」のような参拝は避けたい気がします。

複数の所に参拝されるのはいいと思います。しかし、これもあなた自身が参拝されて新鮮な気持ちになることが先決です。それがお見舞いする方に伝わるといいですね。

病気平癒のお札などを求められればいいと思います。が、一つの部屋に複数のものがあると?という気がするのも真実です。私なら少し値の張るものを一つに絞ると思います。

早くお元気になられるよう、願っています。
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出来ればお百度は辞めましょうね。

現代では昇殿参拝が出来るのですから昇殿参拝すればいいんです。
源頼朝は伊豆と箱根で「二所参り」をしていました。これは神社とお寺です。そのほかにも古来より様々な願いで複数の神社や仏閣に起請文を出しています。なので「一ヶ所のみ」なんて決まりはありません。

お百度って何でやったか知っていますか?
昔、庶民は昇殿する事等不可能でした。せいぜい分霊した村の神社が限度それも例大祭のときだけです。権威のある神社では鳥居をくぐる事すら禁止されていました。
一方で現代私たち行っている拝殿前の参拝法は非公式の参拝。略式参拝なんです。だから現代でも高齢者には鳥居の外で拝礼する習慣を持つ人が居ます。これは寺でも同様です。
つまり昇殿して正式な参拝の出来ない庶民が、なんとしても神仏に祈願を聞き入れて欲しいとき、人は神の世界となる夜中にお百度を踏む事によって祈願を行ったわけです。しかも神の世界である夜中にするというのは江戸時代の直訴と同じ、自分の命をかけての祈願です。

現代社会では一般人の昇殿参拝も普通に出来るんです。だからお百度など踏まなくても、ちゃんと昇殿参拝すればいいんですよ。
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日本の神様や仏様はそんな了見の狭い方々ではないですから大丈夫ですよ。

ただし、質問者の家系が狭量な一部宗教・宗派に属していた場合は別です(新興宗教は結構厳しいのが多い)。

縁結び系をいくつか回ると、神在月の出雲で「あいつ、うちにも来たよ」と話題になって、何とかしてやろうと良縁を結んでくれるか、あきれた奴だなと笑い話のネタになっちゃうかは微妙なところ。
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神仏への祈願にとくにルールはありません。



神様によっては、やたらに嫉妬深い神様もいます。若い女性がお参りすると結婚させないとか、逆にステキナ恋人に出会えるとか色々言い伝えがあります。
病気の種類によっては得意な神様仏様がいます。水天宮(お産)刺ぬき地蔵、疱瘡稲荷、蒟蒻稲荷(眼病)、etc
それぞれに言い伝えがあります。

四国八十八ヶ寺、秩父三十四観音霊場、などのようにぐるぐる回ってお願いする所もあります。
大きな神社の場合には、必ず境内に小さな祠を建てて色々な神様を祀っています。遠くへ行かなくてもここで済ませることもできます。

神社と寺は基本的に一体でした。(仏様を神様が守ったり、仏様と神様が協力したりしました)
古い江戸地図を見て下さい。お寺の境内に神社があります。
東大寺の大仏殿の建立にあたり八幡様が応援にきてくれました。

奈良の寺社: 手向山八幡神社「東大寺八幡宮」
narajisya.blog.eonet.jp/mahoroba/2006/03/post-3ef5.html

無理やり分けたのは明治政府の御都合主義です。
古いお寺ですと、すぐそばに神社や祠があります。お寺さんの土地が狭くなって、別にしてあるだけです。
「帝釈天」のように「天」とつくのは、インドの古い神様です、お釈迦様が生前に知り合いだったかどうかは知りません。

お近くの神様の謂れを良く聞いて決めて下さい。
本式にお百度参りをしようとすると、色々決め事があって大変です。
別に簡単にやっても一向に差支えはありません。
あっちがダメならこっちというのはごく普通にやっていました。

まずは、病気平癒のお札を頂戴してお祓いを受けて、御病人の枕元へ置いて差し上げましょう。
但し、嫌がる御病人やご家族がいるかも知れませんので注意して下さい。
お寺さんによっては、護摩を焚いて御祈祷をしてくれるところもあります。

加持祈祷を商売にしている輩が世間にうようよしていますので、充分注意して下さい。

神仏の御加護がありますように。
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実際に効力があるわけではなく、あくまで気持ちの問題ですから、どこに何度行こうと問題ありません。

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1つだけ



神社と寺は別物です 神様と宗教がね


神社=神道
寺=仏教


なので問題ないです
神社同士や寺同士も複数参拝しても大丈夫です
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大丈夫だと思います。


内容は違いますが、違う場所のお守りを沢山持っているが大丈夫かというのがあって
日本は神様が沢山いるし助け合うので大丈夫らしいです。
同じ原理で大丈夫でしょう。
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神頼みしか無くなったのかもしれませんが、病院に出来るだけ会いに行ったり、何か好きなものを買って行ったり、実際に、その人の気持ちが少しでも明るくなることに心血注いだ方が良いのでは。

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さまざまな宗派があれば、何を正しいものとするのか定義も違います。


色んなところをまわってというのは、食い合わせが悪い場合もあるし、
正直、その選択が無意味としか思えない。本当に意味があるのならば、
こんな緊急時ではなく、日夜朝暮に祈りを欠かさないでしょうから。

論点は異なりますが、百度参り自体が無意味と思います。
信仰の対象すら理解できない怪しげな方法を使うより、何のフィルタも
通さず、単純に祈りを捧げた方が余程健全と言えるでしょう。

確かに祈りによって、どうなるのかという者もいます。俺は祈り自体を否定しません。
しかし、祈り自体を否定しないからこそ、フィルタは重要なのです。
極楽で救われるという浄土宗系なんて、端的に言えば自殺幇助ですからな。
患者にとっては嫌がらせ以外の何物でもない。まだ、星々に祈りを捧げる
自然崇拝の方が余程健全と言えるでしょう。
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