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日英同盟廃棄の原因を教えて下さい。

僕は細かい史実は殆ど分からないんですけど、日英同盟が廃棄された原因は要するに、大まかに言うと、第一次世界大戦の時に日本が英国の要請にも拘わらず、ろくに軍隊を欧州に派遣せず、それでいて中国大陸の権益を火事場泥棒的に分獲ってしまったから、ということで良いのですか?あとアメリカの謀略などもあったのですか?

A 回答 (4件)

僕も、よく解らないので、Wikipediaで調べてみました。



◇日英同名
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%8B%B1% …

その中から、日英同盟の廃棄に関する部分をコピペしておきます。
ご参考までに・・・。
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一次世界大戦後の1919年、パリ講和会議で利害が対立し、とりわけ、国際連盟規約起草における日本の人種的差別撤廃提案が否決されたことは禍根として残り[3]、1921年、国際連盟規約への抵触、日英双方国内での日英同盟更新反対論、日本との利害の対立から日英同盟の廃止を望むアメリカの思惑、日本政府の対米協調路線を背景にワシントン会議が開催され、ここで、日本、イギリス、アメリカ、フランスによる四カ国条約が締結されて同盟の更新は行わないことが決定され、1923年、日英同盟は拡大解消した[4]。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2013/09/20 07:25

日英同盟破棄には幾つもの要因が複雑に絡まって,なかなか読み解くのが難解です。


取り敢えず,4つに分けて纏めてみます。


・日本の日英関係重視から日米関係構築への移行論

第一次世界大戦を期に,英国の国際社会における求心力は急激に低下していきました。
変わって,第一次世界大戦の戦争特需で米国は急速に力をつけてきており,このまま沈んでいく英国に付くよりも,勢いに乗る順風満帆の米国に付いたほうが得ではないかという機運が一部にありました。
原敬内閣や高橋是清内閣では,実際に親米路線に軸足を置いた外国が展開されていきます。
とはいえ,日英関係を軽視したわけではなく,英国との衝突をなるべく避けつつ,米の勢いも利用して日本のさらなる躍進を目指そうという感じでした。
なので,『太平洋に関する四ヶ国条約』(後述)に乗っかってしまい,結果として英米関係の強化へ一役買うという悲劇(?)へと転がり落ちていきました。


・英国内での日英同盟慎重論

第一次世界大戦まで英国は中国での最大勢力でした。
ところが,第一次世界大戦後には日本が大躍進をしており,英国の中国国内での権益が失われる危機的な状況でした。
また,日英同盟が日本の躍進に繋がったという反省もありました。
そこで,戦前から結びつきが強い米国との関係改善を模索し始め,第三次日英同盟の満期をもって発展的解消がはかられました。


・国際連盟の発足

第一次世界大戦の教訓から,平和主義ムードが高まり国際連盟が発足しました。
国際連盟は紛争を外交的話し合いでもって解決しようという,日英同盟のような軍事同盟とは真逆にある政策です。
明らかに国際的ムードとは矛盾する条約でした。
その為,日英両国が更新に二の足を踏んだという事情もあったようです。


・米国の日英分離政策

よく米国の謀略だったなどと陰謀論で語られがちですが,あながち否定しきれない部分もあります。
植民地獲得競争に乗り遅れた米国は,なんとか中国大陸への権益を伸ばそうとしていました。
ところが,そこでは既に英国が君臨し,第一次世界大戦後には日本までが伸長してきました。
しかも,この二カ国が軍事同盟を結んでるときています。
そこで,戦後の平和的ムードに乗っかって『太平洋に関する四ヶ国条約(通称・四カ国条約)』(1921年)の妥結に向かいます。
この条約は米・日・英・仏の第一次世界大戦戦勝国間で,太平洋における紛争を回避すべくる領土的権利の相互尊重・協議での問題解決などが定められました。
参加国は四カ国ですが,米国の真の目的は日英同盟を破棄させることだったと言われています。
そして,これが後の太平洋戦争へと繋がったと主張する説があります。
個人的には,陰謀論者のように積極的に賛成できませんが,遠因の一つであったと思います。
日本側にも日英同盟を解消しようという動きがあったのも事実であり,米国の陰謀だけで事が運んだわけではありません。

とこんな感じでしょうか。
いずれにせよ,国際政治力学において第一次世界大戦後に大きく軸が動き,日英同盟は時代の要求に答えられなかったのでしょう。
今後,日米同盟(安保条約)もどうなるか分かりませんね。
今の環境では考えられませんが,いずれ日米同盟破棄~日中同盟締結なんてシナリオが実現するかもしれません。
教訓として一つの条約を終わらせたり,新たな条約を結ぶ時は,自国の損得だけでなく相手側の真意も推し量るインテリジェンスが求められるということでしょう。

ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。解説は参考になりました。僕は歴史も国際政治も全くの素人なんですけど、大国主導による多国間条約は危険が潜んでいることが良く分かりました。

お礼日時:2013/09/20 07:39

質問者さんの挙げた理由は、同盟廃棄の根本的な理由ではないようです。



1、同盟の根本的な必要性の喪失。
日英同盟の必要性。ロシアのアジア侵略が露骨に行われましたが、イギリスは、中国に確保した利権やインドでの植民地宗主国の立場、これらを守るため、そして日本は国防のため、利害一致のイギリスと組む、これが、アジアへ侵攻するロシアへの対抗措置、つまり、日英同盟の締結となったのです。ところが日本による日露戦争でロシアを撃退したため、日英同盟の根本的な必要性が失われました。

2、アメリカによる対日抑圧。
日露戦争勝利で、日本が中国、特に、満州地方に利権を確保しましたが、この満州を虎視眈々、狙っていた、距離的に遠いアメリカが、この日本の伸張を警戒し、日本を仮想敵扱いとしました。

3、対日抑圧と、同族イギリスへの、アメリカの危惧。
アメリカの仮想敵・日本と、攻守同盟を結ぶ大海軍国、アメリカと同族の親類・イギリス。この同盟を邪魔と思ったアメリカが、対日抑圧と自国防衛を目的に、日英離反・日英同盟解消の方法を企画、これがアメリカ主導のワシントン会議として結実しました。ここで、日本・イギリスを含む列強による太平洋支配のための四ヶ国条約が結ばれ、その代わりに、日英同盟条約は廃棄となりました。

この三つが、日英同盟廃棄の原因となったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。解説は参考になりました。日本は第一次世界大戦を「天祐」などと言って浮かれ騒ぎ、その後のアメリカの謀略と国際政治力学の変化を読み解けなかったのは痛恨の極みです。

お礼日時:2013/09/20 21:56

mkfdh さん、こんばんわ。



確か、国際連盟に日本が加盟することと、四カ国条約が締結されたことで、日英同盟の意味合いは発展解消されたため、1923年に破棄されたことになっています。

四カ国条約では加盟国であるイギリス、日本、アメリカ、フランスの太平洋方面にもつ属地や領土・権益の相互尊重、および、それに起因する国際問題の平和的処理の仕方について定められた。この条約により、1902年以来、約20年間にわたって日本の大陸政策を支えてきた日英同盟が廃棄されました。
背景には第一次世界大戦で大いに経済を潤したアメリカが日本の中国大陸や太平洋などでの発展の目覚しさに脅威を持ち、その頃流行した「黄禍論」からイギリスを説得して、締結したのがこの条約です。すでにアメリカは日本の移民を禁止したりしていました。
この条約により、日本は国際的に孤立します。アメリカの謀略というほどの事はありませんが、主導していたのは確かです。
詳細は下記のURLを参照してください。


国際連盟規約

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents …

四カ国条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E3%82%AB% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。アメリカの国際戦略という観点からの解説は大変参考になりました。

お礼日時:2013/09/22 14:08

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