プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんにちは。40代の男性です。長文です。

幼少期、自分に対する自信を剥奪される環境で育ったためか、心のどこかに核となる自信が存在せず、もやもやとした気持ちの悪さをこの歳になるまでずっと引きずって来ております。

まずは生育環境についてご説明します。

物心がつく前に両親が離婚しました。私は母親に引き取られ、母一人子一人の環境で育てられました。母親は非常に極端な人間でした。学校の成績がよいことと、犬のチワワのように従順でおとなしいタイプの人間だけ「あの人は優しくてよくできた人だ」と肯定し、それと齟齬する価値観を徹底的に糾弾。その価値観をもって激しい過干渉を私に対して継続しました。

例えば小学校時代、学校の勉強よりもずっと先に進んだ宿題を母から毎日出され、母が勤務から戻ってくるまでにやっておくことが義務でした(やってないと激しい罵倒にあう)。友人と外で遊ぶ事もスポーツも禁止でした。母いわく「スポーツができるのはみな頭が悪い連中だ」と。

友達が遊びにくると、母がその場でつくった計算問題を私と友達の両方へ与え、母が採点します。私の方が成績がいいのをみて、友人を慰めながら、その実、自分の子供の方ができがいいのをみて満足げな表情を浮かべていました。

田舎でしたので、男子は小汚い格好で外を遊び回るのが当たりまえ。私も、仲間の一人として他の男子生徒と同じような格好をしたかったのですが、ひとりだけ浮いた格好をよく強要されました。何かの学校の催しだったと思いますが、周囲の男子は相変わらずの格好をしているなか、サスペンダーのついた半ズボンに白いタイツを履かされ、周囲の視線がとても痛かったのを憶えています。

私が小学校2年のときだったと思います。母から無理矢理スカートとハイヒールをはかされ、花をもって写真を撮られました。もちろん、私は嫌がって逃げましたが、母はしつこく追いかけ回し、「皆やってるからやりなさい」としつこく食い下がり、私は観念しました。

今でも、実家に戻ると、私の1歳時代の写真をA2程度に大きく延ばしたものが、数点ほど額縁に入れられて飾ってあります。私は心底気持ち悪く思うのですが、何か言うと激しく激昂し、反論にならない反論が返ってきますし、それに対してこちらが論理的返答を何度か重ねようものなら、今度は急に自分が悲劇のヒロインになって泣き出す・・・というパターンが見えるので黙って見過ごしております。

このような事例を数え上げればきりがありません。私は母の思い通りになる所有物、玩具、ペットでした。そして思い通りにならないと癇癪を起こし、無理矢理従わせる。

私からみると、母と世の中の価値観との間にはかなりのズレがあり、母はそのズレに関する認識が完全に欠落しているように見受けられます。認知の歪みといいますか…。他者の意見や価値観へ関する寛容性が極端に低く、自分の価値観にそぐわない人や事象へ関しては激しく罵倒します。そして反論をうけると急に被害者意識で一杯になって泣く。自分が加害者になっているという自覚はありません。また、自分の意見を主張する際、事実を歪曲して語るところが散見されます。

(医師からの診断を受けたわけではありませんが、ウェブ上であつめた情報から判断するに、母は自己愛型人格障害なのではないか、と。喋るときの声がいつも妙に大きく、他の人がいるところでもそれが落ちないところ等にも何か異常さを禁じ得ません)

上で触れた逸話のなかで、私のポイントを集約しているのが、母からスカートをはかされた時のことです。しかしそれは強要した母の思考回路に関してではありません。むしろ、最終的に母の命令に従いカメラにむかって微笑んでいる、自分自身の母の命令へ対する従順さに対してです…。

もちろん、私は母へ対してただ闇雲に従っていた訳では有りません。母の価値観に対する違和感、彼女の世間からの逸脱ぶりを常々素肌感覚で感じていました。が、いかんせん母一人子一人の密室状況。大人は母だけであり、金を稼いでくるのも母。母と私の価値観の相違に関しては、つねに母の意見が100%正しく、私が100%間違いとされ、私は謝罪と服従を強要され続けました。母へ対して反対意見を述べてくれる者、客観的立場から意見を述べてくれる者、私の意見を後ろから肯定してくれる者はいませんでした。気がつくと、母から命令をうけるとそれに従う条件反射回路が出来上がっていたように思います。

・・・ここで現在に話を戻しますと、冒頭で述べた通り、自分で自分のことを、心のなかが常にもやもやしていて、自信のない自分の不安定な性格であると認識しています。拠り所となる確固とした行動規範がない不安といいますか…。心のどこかに常に恐怖と焦りがあり、人や物事へ対し、安定して一貫した対応をすることができない(ひんしゅくを買い、後になって「どうしてあんな変なことを言ったんだろう?」と思うこと多し)。外部からの反対意見に対して軸がぐらつく。物事を決断する能力が極端に低く、いつまでもうなってるだけで平気で何週間も何ヶ月も時間を無駄に過ごしてしまう等。

大学からは家を出て一人暮らしをし、会社へ就職し、営業マンとして激務を務めましたが、根本的なところ(心の奥に居座り続ける違和感、恐怖、不安感)はまるで変わりません。不安定でぐらぐらしています。

幸せな家庭というものを信じることができません。テレビコマーシャルなどで、一家団欒のようなものが取り上げられると、まず私のなかにわき上がる印象は「嘘くさい」そして「気持ち悪い」です。また、子供という存在に対しても、「子供の人生は基本的に不幸である」という色眼鏡を取り除くのが難しく、子供を積極的に欲しがる人達の心境が想像できません。

鬱病になり、3~4年間程薬漬けになっていた経験もあります。

もちろん、そのすべてを母からの後天的影響のせいにするのは難しいでしょう。しかし少なくとも、自分のなかに深く埋め込まれたどす黒い恐怖と不安感や自分の危うい価値観などの一定割合は、適切な次期における自我形成がきちんとなされなかったことへ帰するのではないか、と実感として思うのです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここでご質問させて頂きたい事があります。

ウェブをさまよって集めた情報によれば、人格形成、自我形成は幼少期~思春期までになされるとのこと。しかし、分析的な情報は数あれど、そうなってしまった場合の対策に関してはなかなかこれといったものを見つけられずにおります。

私のように、そのための健全な機会を得られなかった人間で、かつ自身の至らなさを自覚している人間が、大人になってから、自我、自信、自分自身の軸のようなものを形成する方法にはどのようなものがあるのでしょうか。

実はここ数年、臨床心理士にかかっております。こちらでの指導は、「瞑想によって自分のなかの危うい衝動へ対して反応しない心をつくれ」というもの。しかしこれは言い換えれば「自我がないことや不安定なことに関しては諦めよ」「それよりもその不安定な自分へ対して二次反応するのをやめなさい」ということのようなのです。自分としては、こちらへ関してどうも隔靴掻痒な印象を禁じ得ず、もっと積極的に軸を形成する訓練が果たしてこの世の中にはないものだろうか、、、と思い、こちらへご質問させて頂いた次第です。

知見をお持ちの方、どうか手を差し伸べて頂ければと思います。何とぞ宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

私も同じ問題をずっと考えていました。

一応の結論は今ここでできることを丁寧にやっていくということでした。もちろんすべて自分で行うというのが前提です。大人になってはなかなか現実の場では難しいので趣味の中で行うということにしています。もちろん結果も自分で評価できなければだめですが、作品などを人に見せる必要はないと思います。言葉遊びのようですが自分で何かを企画してその成果を自分で判断できるという自信が自我そのものではないかと思っています。自我とは信じられる自分ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「自分で判断できるという自信が自我そのもの」という言葉にはぐっときました。言葉遊びだとは思いません。実感としてわかるように思います。それを達成するための具体的訓練として、自分を肯定する癖を実感として積み上げて行く…なるほど。有り難うございます、何だかちょっと光が見えてきたような気がします。

お礼日時:2013/10/15 22:23

まずセラピスト(臨床心理士)ですが、いろんな方がおられるし、いろん療法もあるし、合う合わないもあるので、違うと思ったら変えてみた方がよいと思います。

私もたくさんセラピストに会いましたが、自分で信じられる人じゃないとダメです。
自我形成は可能かという問いですが可能だと思います。 ただかなり痛い目に合わないと形成できないです。自分がダメになっちゃうかも、と言うぐらいのところにいかないとダメです。もちろん自分で痛い目に会いに行くのは難しいので、逃げ回ることになります。もう逃げられなくなったときに、向き合えるようにセラピストさんが援助してくれるといいのですが。
痛い目にあっても頼れるセラピストさんを探し、そのあと自分の問題に立ち向かうとよいでしょう。よいせらぴすとさんとはなしていると自分が一体どこにいきたいのか、でも色々理由をつけてにげまわっているのかがみえてきます。
抽象的ですみませんが、これしか言えません。
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この回答へのお礼

確かに、信じられるセラピストでないと…ですよね。確かに新規開拓の大変さにかまけ、今の人のところへ漫然と通っている自分を認識しました。もっと積極的な可能性の追求を考えてみます。有り難うございます。

お礼日時:2013/10/15 22:28

アダルトチルドレンとかいうくくりになるんでしょうが、医学で認められてないです。

認めちゃったらそれを楯にして果てなき自分探しの迷い道にいってしまったり、働かなくなる人がたくさん出てくるでしょうから仕方ないです。
うつ病なりなんなり心の闇のある人は、ありのままの自分を認める作業が必要だと思います。
ありのままになれないでしんどい思いをしてきたのに今更ありのままになれというほうが無茶だと思うんで、こないだ友達とありのままとはなにか?という話してでた結論。それはだらしなかったり不潔だったり下世話な自分を認めたり愛おしく思うことじゃないかと。そしてそういう自分をみっともないと思わないことでした。まあ老荘思想っぽいところがありますが。
あとリリーフランキーの人生相談の本読んでると、男女問わず相談者にTバック履くのを勧めたり、自慰を欠かさないことを勧めてて、それもさもありなんと思ってます。そういう自己の養い方も効果的だと思ってます。
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この回答へのお礼

ありのままですか。自分にできるかどうか考えてみようと思います。貴重なご意見を有り難うございます。

お礼日時:2013/10/15 22:17

ここではなく、目と目を合わせて、別の


カウンセラーさんなり、セラピストさんなりに
訊きませんか。

質問文の行間に、何を書いても、
新たな条件を出してきて反論されてしまう
ような雰囲気がありますので、回答は
期待しない方が宜しいかもしれませんよ。
どうしても救われたいのであれば、
書き変えて、再質問することを
お勧めします。

〈ふろく〉
たとえば、朝日新聞であれば「声」、
讀賣新聞であれば「気流」のような
新聞の読者欄の1つ1つの意見に対して、
それぞれ、反対と賛成の立場から
質問者さまのコラムやエッセーを書く
芸術療法をつづけていれば、人生観・
美意識・価値観が磨かれて、
お望みのものがゲットできるようになるかも
しれませんよ。
自身に関わるすべての問題の答は、
自身のインナーからみつかります。
絵画・彫刻・作詞作曲・創作料理なども
手掛けてみませんか。
(作曲はハミングを録音しておけば、それから
曲をつくってくれるソフトがあります)
などなど、私個人的には、質問者さまの
怒りの感情など、あらゆる負のエネルギーを
芸術療法で昇華させることをお勧めします。

早期に、
相性のいい、カウンセラーさんか、
セラピストさんに邂逅できるといいですね。
なお、お礼も反論も要りません。見ませんから。

心の余裕と時間を
大切にしてください。
お大事に!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2013/10/15 22:13

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