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歴史という科目は偉人たちの伝記の集まりなのでしょうか。」

A 回答 (9件)

個人的には単に人類の変遷の記録だと思ってます。



立場が偉かった人=偉人 とは思ってません。現代に照らし合わせれば、大量殺戮の指導者だったり、江戸時代以前の日本ならば全員女性蔑視、軽視の差別者しかいません。いわば恥の記録。

文化人、技術者には素晴らしい人が大勢いますけどね。あまり歴史では目立ちませんね。そういった本当に素晴らしい人だけの歴史書があれば楽しいんですけどね。戦国大名なんて殺人者の名前、なんで覚えなきゃならんのか、だから昔から歴史の教科は大嫌いです。
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違います。


そうだとすれば「民衆史」「文化史」「考古学」などは「歴史ではない」となってしまいます。
歴史に大きな影響を与えた人が偉人となることが多いので、歴史のおいて偉人が取り上げられることが多いだけです。
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それは正しくもあり間違いでもあります。


歴史を英語でいうとヒストリー、彼の物語です。
確かに歴史を動かしうる人物たちによって歴史は組み上げられているように見えます。
しかしそういった人物に影響を与えたのは数千何万という人たちです。

ですから偉人たちの伝記のような歴史とは広く浅く。
そういった自分たちに影響を与えた数多くの環境や人達まで入れるのは歴史学という専門分野となるでしょう。
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個人的には歴史とは物事の存在理由を明らかにするものだと考えます。


今の社会や政治や文化や学問なども、これまでの歴史をもとに成り立っているのです。なぜ○○というものがあるのかというと、以前に△△ということがあったからです。
日本史上で例えるなら、なぜ現代我々の生活に西洋の文化や学問がここまで根付いているかといえば、それはペリーが来航して開国を迫ったところまで遡ることが必要になります。そこからもっと遡れば徳川幕府が鎖国をしたところまで行き着きます。
現代にあるいろいろなものがなぜあるのかを知る手掛かりこそが歴史だと考えます。
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歴史はただの記録に過ぎない。

偉人か変人か狂人かはこの際関係ない。
歴史を学ぶという事は、言ってしまえば温故知新がテーマである。
しっかり運用できるかどうかは、当人次第ですな。
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かつて、歴史とは事実を時系列的に羅列したモノと


考えられてきました。

しかし、中国で「司馬遷」という人が、
世界で初めて、人間中心の歴史書を書き表し
ました。
これが「史記」です。

それ以降、世界中で人間中心の歴史が流行る
ようになります。
人間中心ですから、当然のことながら、偉人と
言われる人達が中心となるような記述になります。

それで質問者さんのように誤解する人が出て来た
のでしょう。

歴史とは、過去の事実を物語りとしてまとめ上げた
ものです。
これを学ぶ目的は、過去に習ってそれを未来に活かし
かつ、人々に国民である、という意識を植え付ける
ことにあります。
国民意識の醸成には色々ありますが、歴史の共有は
その一つという訳です。
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 heikyu先生が仰るのは「歴史の記述の仕方」の問題であって、司馬遷の『史記』の様に「古人の事跡」を身分毎に類別して編纂するスタイルを紀伝体と呼び、時系列毎に出来事を配列して「その事象に関して記述する」形を編年体などと呼びます。


 そしてこれら「ある時点から現在までの過程」を綴る形を通史、分野毎に特化整理して綴る形式を分野史と読んで区別もしています。
 現代史でいうならば、最近の『ライス回顧録』はコンドリーザ・ライース氏が大統領補佐官および国務長官として任にあった当時を「当事者」そして「目撃者」として綴った歴史書ともいえます。もちろん内幕を綴ったとの意味からすれば、悪く言えば暴露趣味と揶揄する評価も一方にはあります。
 さて本題に戻りますが、「歴史」を一言で表現するならば、人類が歩んできた過去に関する「全てのできごと」をそれぞれの分野から垣間見ることに収斂すると言えるでしょう。
 もし「偉人達の伝記」だけで「歴史」と呼ぶ人がいるならば、その方のとらえ方は「歴史=英雄の生涯を綴った物語の羅列」と理解しているとの解釈であり、一つの歴史的社会がどの様な構造や仕組みに基づいて形成され、どの様な経緯に基づいてその様な仕組みを作ったかなどの疑問に答えることも困難でしょう。
 「音楽の歴史」や「日本文学の歴史」といっても、モーツァルトが浪費家の妻を持っていたり自らも相当な放蕩生活を営んでいたことも「歴史の事実」であり、清少納言や吉田兼好が少しばかり冷ややかな目線で当時の世相を綴っていたことも「一つの歴史叙述」として成り立ちもします。
 というわけで、「歴史=偉人達の伝記」と断ずるには相当の無理があり、説得力にも欠けるといえます。
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私は以前から、「歴史」が大好きな人間でした。


このご質問を読んで、それは何故だったのかを思い返してみました。

学校教育で学ぶ「歴史」では、古代から近代に至る主な出来事の簡単な解説が時系列的に述べられ、最終的には年表としてまとめられています。
しかし、興味を覚えた出来事については、もっと詳しい経緯を知りたくなり、1件ごとの出来事に絞った書籍類を読むことになります。
そうすると必然的に、その出来事を主導した人物を中心とした物語になるのです。
脚色もあるでしょうが、英雄・豪傑の血沸き肉躍る展開が面白くなってきて、「歴史」が好きになったような気がします。

そういう意味では、「歴史」とは英雄たちの伝記の積み重ねだといって、間違いではないかも知れません。

でもよくよく考えてみると、「○○の戦い」だとか「××戦争」における、リーダーたる英雄を中心の物語にしても、それを支える名もなき兵士たちの犠牲の上になりたっているわけです。
戦が始まると、まず最初に突撃し殺し合うのはこれら名もない兵士でしょう。
そしてそれらの兵士一人ひとりには、肉親が存在し、嘆き悲しむはずです。
物語にはこのことは具体的には書かれません。せいぜいが総勢△△名、死者数□□名という数字に埋没してしまいます。
その現実というものにも目を向けるべきではあっても、このような末端の兵士のことを記述しても、話としては面白くないからです。
遠い過去の話は、どうしても英雄に焦点を当てる方が、面白いといえます。
史書は後世の人間が記すことが多いので、同時性の観点からは、真実かどうかの判断が難しいと思います。
ある人物を美化することだって可能と言えます。
現代のように公的な機関で、正確な記録が残るわけではなく、虚偽の話を書いておいても、何代も後世の人にとっては、その真偽は見分けがつかなくなるでしょう。

これが近代ということになると、太平洋戦争で犠牲になった人々の記憶は、まだ身近なものですから、英雄物語だけではなく悲惨な現実を語らざるを得なくなります。

今、NHKの大河ドラマ「八重の桜」を見ていて思うことは、
教科書的には、「明治維新」は多少の紆余曲折はあったものの、比較的順調に日本の近代化が進行したかのように理解していましたが、実際には「戊辰戦争」「会津戦争」などの多大な犠牲があったことを再認識させられています。
一般民衆に近い側からの視点でみることも必要だなと、改めて思い知らされた感じがします。

歴史学者や研究者の場合、過去の文献を調査して、それぞれの時代における民衆の生活がどうであったかの論文を発表することも多いのですが、学問的には貴重な発見であっても、我々一般人が読んだ場合、退屈で全く面白くありません。
こういう「歴史」もあります。
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「歴史」と一言で言っても,その定義付けは非常に多様でなかなか説明しづらい言葉でもあるんですよね。


で,この「歴史とは何か?」を考える学問に「歴史哲学」というものがあります。
「歴史」という概念を高名な哲学者・歴史学者が色々と定義・分類しています。
参考までに近現代に絞ってその一端をご紹介します。

1・ヘーゲル(ドイツ観念論哲学の完成者であり、近代哲学と現代哲学の分水嶺として位置づけられる)

彼は,歴史を大きく二つにわけて考えました。
一つは「客観的歴史」です。
これは,「過去に起こった種々の事柄、出来事」であるとします。

二つ目は「主観的歴史」です。
これは,今生きる「わたし」が「過去に起こった事柄を探求し叙述する」歴史です。

この二は歴史の持つ性質であり,故に難しい問題を孕んでいることになります。
「歴史」を示す英語「history」の語源はギリシア語の「Historein」からです。
この言葉の意味は「調べて、学び知り、物語る」という事です。
そして「歴史(学)」とは,「過去の出来事」の中で「現代に残ったモノ」を「調べて」、そこから某かを「学び知り」、その内容を何らかの方法で第三者に「物語る」ことです。
さて,彼が「物語る歴史」は本当に正しいのか,言い換えれば客観的なのかとい問題が出てきます。
客観的であればそれは「真実」であり,主観的であれば「彼」の創作でしかない。

つまり,「過去の出来事(客観性)」と「その出来事を調べて書く(主観性)」が複雑に絡み合ったのが「歴史」の性質なわけです。


2・ベルンハイム(ドイツの歴史学者)

彼は「歴史の著述の仕方」を三つに分類しています。

一つは「物語風歴史」です。
これは,過去の出来事をを著述家・語り手が自らの関心を基に表現された歴史です。
「顕著数奇な人の運命や魅力」に惹かれて語られる神話や伝説,英雄的エピソードなどがこれにあたります。

二つ目は「教訓史的歴史」です。
著述家・語りてが過去の出来事を語るだけでなく,それを評価し,後世に対して忠告や警告を与えるために書かれた歴史です。
よく,「歴史に学べ」とか「これを教訓にしなければ」とか言われるのがこれに当たります。

三つ目は「発展的歴史」です。
これは,近現代の歴史学が到達した「科学としての歴史」です。
物語は英雄の輝かしい功績など,語り手が受けた印象を主観的にしか語られていません。(そして多くは脚色される)
教訓史では,語り手の問題意識によって出来事が選び出されてしまい,これも主観的です。
しかし,「歴史学」は多くの史料を検証し「なぜそれが起こり,結果どうなったのか」という一連の問題意識をもって客観的に認識しようという学問です。
その域に人間はやっと達したと彼は考えました。
ただ,ベルンハイムが言うほど事は簡単では無いのですが・・・。


3・E・H・カー(英国の歴史家・外交官)・クローチェ(イタリタの政治家・哲学者)

「歴史とは現在と過去との対話である」
カーの有名な言葉です。
歴史の客観性とは,自然科学のように「絶対的な法則」は無く,「事実と解釈」の間、「過去と現在と未来」との関係性において存在するとしました。

「すべての歴史は,現在の歴史である」
クローチェの有名な言葉です。
歴史が語られる時,その背景には必ず現代の問題意識が絡んできます。
その問題意識から人は過去の事実を知ろうとし,過去もそれに対して語りかけてくるとしました。

以上,主だった歴史家・哲学者の分類・定義付けです。
他にも色々な人が色々な定義付けをしていますので,「歴史哲学」で検索してみると視野が広がって良いかもしれません。

ではでは、参考になれば幸いです。
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