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理由やエピソード等もお願いします。(高等学校野球大会、旧中等学校野球大会についてです)

敗れてまた印象に残るような投手など。

A 回答 (3件)

私の祖父は、


よく、 1934年の準優勝投手熊本工業の川上哲治さんのこと、語り、
まさかプロで野手に回って打撃の神様となるとは思わなかったと言ってました。
(巨人入団後、投手で四番打者\(^^;)なんて試合もあったそうですが
この時の、優勝校 呉港中の投手は後のミスター・タイガース藤村富美男さんというから
すごい対決ですね。


私が見たものでは
2006年 8月21日 37年ぶりの決勝戦引き分け再試合(延長15回)
準優勝投手 駒大苫小牧の 田中将大君。最後まで投げ切った上に、
最後の打者となり、ドラマチックに盛り上げてくれました。
思えば、一年は、ベンチ入りメンバーに選ばれず、観客席で声援、
二年は、初めて優勝旗を、白河の関も津軽海峡も超え、北海道へ
持ってきた優勝投手。

昨年の大活躍は、伊達じゃないですね。


 
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こんにちは。



私は、青森県三沢高校の「太田幸司」投手ですね。
私が高校卒業した年ですから、1969年の甲子園決勝だったと記憶してますが、延長18回まで彼1人で投げ抜いて0対0の引き分けでした。

しかし、再試合も彼1人で投げ抜いて残念ながら負け投手になってしまいましたが、弱音を吐かない根性のある男だと感銘しました。

確か、ハーフだったと記憶してますが、今でいうイケメンの顔立ちでしたね。

その後、近鉄だったと思いますけどプロ野球の投手としても活躍したようですが、私はプロ野球には興味がないので、彼のプロ野球での活躍振りは知りません。

でも、私より1学年下の太田幸司投手は、私には頑張り抜いた根性のあるヤツだったと今でも印象に残っています。
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1978年、今から37年前になりますが横浜高校の愛甲猛、早稲田実業の荒木大輔が繰り広げた熱戦は日本中を熱狂させました。

優勝は愛甲猛でしたが、負けた荒木大輔も絶大な人気がありました。
どちらもプロ野球選手としては成功したとは言えないのもまたドラマと考えさせるものがありました。
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この回答へのお礼

荒木さんいいですねえ。最初が準優勝で。ずっと無失点できて、あのマスク。「二代目甲子園のアイドル」(初代は太田幸司さん)。厳密にいうと「甲子園のアイドル」はこの二人だけだと思いますが。当時、早実は東東京。強豪チームも多く、数も多い東東京から5季連続甲子園出場(学制改革後では最多タイ)。勿論、荒木さんだけの力ではありませんが。小沢さんや上福元さん、板倉さんなどもいましたね。
プロ選手としては期待が大きかったから成功したように思えないのかもしれませんが、愛甲さんも打者として活躍し当時のロッテのチームリーダーに。荒木さんは途中故障もありましたが、ピッチング技術の素晴らしさは光るものがありました。さすがは調布リトルシニア出身(当時の名門チーム)。

お礼日時:2014/02/25 22:48

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