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私は15歳なのですが、誕生日でも嬉しくないです。

別に嫌なわけではなく、どうでもいいと思ってしまいます。

中学入った頃からどうでも良くなりました。

母親に毎年誕生日がくるたび「嬉しくないなんて学生らしくないじゃない」と言われます。

ただの自分が生まれた日なのにと思ってしまいます。

学生時代から誕生日が嫌いなんではなくて、関心がない人いますか?私だけでしょうか?

A 回答 (8件)

すべてのことに意味を求めるなら、誕生日はどうでもいいと思ってしまうでしょう。


誕生日にお祝いするのはただの文化的風習ですから。
もとはといえばただの1日にすぎません。
記念日を大切にする価値観かどうかは人それぞれです。
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きっとあなたを含めごく少数派だと思います。


もっと大人になれば「年を取るのは嫌だなー」と
思うこともありますが、それでもたいていの人は
嬉しいものです。

「ああ今年も1年間良く頑張った、えらいぞ!」
って自分をほめてあげましょう。
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多分、あなたは今幸せを感じていないのでしょうね。


楽しいこと、幸せだと感じていれば、今の自分そして自分を生んで育ててくれた両親に感謝すると思います。
誕生日は自分のためではなく両親への感謝する日なのです。
初めて知りましたか。
つまり、今あなたは両親に感謝する気持ちをもっていないのでしょう。
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10代の頃というのは、あまり誕生日を意識しないものです。


 これが、もっと子供の頃、例えば幼稚園児か小学校低学年くらいなら、誕生日が来れば、プレゼントがもらえるということもありますが、さすがに中学生ともなると、そうはいかなくなりますね。
 だから、あなたくらいの年令で、誕生日が嬉しくないというのは、ごく普通のことです。
 本当に、嬉しいと思った誕生日は、まず20歳、飲酒が許され、選挙権が与えられ、法律上も大人と扱われるのですから、これほど嬉しい誕生日はありません。
 次に40歳、今ではそうでないかも知れませんが、40歳になると中年の仲間入りと言われました。その中年の仲間入りが出来たのですから、これも嬉しい誕生日です。私の勤務先では、定期健康診断で、それまでは35歳到達年に1回だけ受ければ良かった、胃のレントゲン撮影が、毎年必須になります。
 その次は50歳、私も半世紀生きてきたのか、ということで、これも嬉しい誕生日です。
 私は現在54歳ですが、来年1月に55歳になるのが、とても待ち遠しいです。
 55歳になれば、GG WAONなどの特典が受けられるからです。
 今は高齢化社会ですから「60歳以上限定」「65歳以上限定」などの、特典サービスが多く存在し、ますます誕生日が来るのが待ち遠しくなります。
 したがって、小学校高学年か中学生の頃から、17歳の誕生日までは、別に嬉しくも何とも無いのが普通です。
 18歳になれば、運転免許が取得出来るようになり(私は取得していませんが)ちょっと嬉しい誕生日になり、さらに20歳は、最高の誕生日となることでしょう。
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戦中生まれ、戦後育ちの小生、親から誕生日を祝って貰った覚えは全くありません。


当時は数え年でしたから、誕生日に特別な意味はありませんでした。
意識する様になったのは、交通安全協会から「免許更新手続きの案内」が届く様になってからです。
退職後、結婚した娘達夫婦が、料理店などに招待してくれる様になってからで、毎月誕生日があれば仕合わせだなと、感じる様になった次第です。
旧来の日本の文化に無かったのに、戦後の満年齢制と、外来文化の普及で恒例行事になったようです。
免許更新がない年には、数日以上過ぎてから思い出す様なことも。
家内の誕生日も、月日は覚えていますが、思い出すのは大抵その日が過ぎてからです。

めかぶ(布かぶ=海藻)大好きです。
良いIDですね。
誕生日祝わなくても、良い学生さんから、立派な大人へと成長されます様に。
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誕生日が楽しいかどうか、特別な日と捉えるか365日の中のひとつと捉えるか 人次第です。

が。
私は西洋中世の歴史が好きです。当時寿命は50歳あるかどうか ペストが猛威を振るい、戦争が多く、10年平和は続きません。飢饉が起こり薪がないと冬は燃やすものがなく一家凍死。病気になっても今のような医療はなく迷信と民間療法のような治療法と血管を開いて血を流す瀉血ばかり。子供を産む時は母親も死ぬことが多く、大怪我をしたら麻酔もない。切り落とすくらいしかなかったし細菌感染も知らないから不衛生で敗血症になって死なければ、なんとか助かるような環境でした。
こんな中で1年生きるというのはとても大変なことだったのです。

私はキリスト教徒ではありませんが キリスト教徒の友人は自腹をきって友人を自分の誕生日に招待します。飲食レストラン費用は全額彼が支払うのです。よく外国で歩いていると「今日は俺の誕生日だから
好きなだけ飲んで祝ってくれ」と見ずしらすの人に声をかける人がいます。

彼らの考えでは誕生日は「お前らプレゼントを持ってきて俺の誕生日を祝え!」
ではなく「一年間生き延びたことを神と友人知人家族に感謝する日なのです。日頃お世話になる皆さんに感謝するために費用を持ちますからぜひ来てください」
という考えです。

私はこの考えが気に入ったので自分の誕生日は自腹で友人を招待しました。
誕生日をあなたを一年間支えてくれた人への感謝の日と捉えるといかがでしょうか?
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誕生日自体に特別な意味は感じませんね。


二十歳だとか30だとか、節目の年は意識しましたけど、それが嬉しいと言うわけでもありませんでしたし。
嬉しい人もたくさんいるでしょうけど、無関心でもおかしくはないです。

「誕生日だね」などと、他人が自分の日のことに関心を持ってくれる嬉しさはありますし、
誕生会をしてもらったり、プレゼントを頂いたり、好きなことをさせてもらったりして、
そういう特別な日を過ごせる、という意味で嬉しいというのはあるでしょうね。

そういうイベント事が何もないと特に嬉しい日ではないでしょうね。
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つまらないって事じゃないですけど、そんな特別とかルンルンにまで思わないってことなら、私もそうでした。


それでも「おめでとう」ってニコニコして言われたら、少なくとも私が喜ぶと思って、私のために言ってくれるのだろうとわかるから、その気持ち自体は有り難いと思うし、少し嬉しくなりましたけど、「誕生日だから浮き浮きする」感覚って分からないんですよね。
私なんて物心ついた頃から、「ケーキもプレゼントも、無いよりあるほうが嬉しい。でも、なにがどうおめでたいんだかよくわからないな?」と思い続けていましたよ。
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