プロが教えるわが家の防犯対策術!

 以前下記のスレッドが立ちました。
【「ので」と「ため」の違いについて】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8625598.html

 何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。
 その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。
 現段階では、下記くらいに考えています。
【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html

==============引用開始
 とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。
1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる
例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です
※語順を入れかえるとOKになる
電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました

2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある)
例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした
※前件が推量でもOKの例
明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした

3)後件が命令形(OKのときもある)
例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい
例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください
※後件が命令形でもOKの例
あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい

4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。
例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう
※後件が推量でもOKの例
電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう

5)デスと相性が悪いのかも
例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく
==============引用終了

 不明な点があまりにも多くて……。 
 何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。
 辞書・サイト・論文など、教えてください。


 なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u …
==============引用開始
「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了

http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=d …
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
ので 【ので】
(中略)
◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。
==============引用終了

==============引用開始
大辞林 第三版の解説
ので
(中略)
〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕
==============引用終了

A 回答 (30件中1~10件)

 質問者の疑問は、「ので」・「から」の使い分けにあるのか、あるいは接続の方に問題を感じていらっしゃるのかが、はっきりしません。

あるいは、両面にわたっているのかも知れません。
 取り敢えずは、「日本文法大辞典」の「ので」の項目にある説明を転載しておきます。(長文)

「ので」は概していえば、事態の客観的な叙述、つまり、既定の事実として、因果関係などか事柄自体に内在するものと認めたうえで、それをそのままに表現するのに用いられる傾向がある。したがって、同種の接続助詞「から」と比較した場合、話し手が主体的な立場である事柄を原因・理由に取り上げたうえで、それから順当な帰結として導かれる判断と結びつけようとする表現には「から」が用いられ、「ので」は用いられないのが普通だとされる。
 たとえば、その判断が主観に属する面の強い、意志や推量を表わす表現、いい・悪い・好き・嫌いなどの個人的な感覚・感情に支配される表現や、また、正当な理由づけをもって相手に何らかの行為を要求する、命令・禁止・勧誘・依頓その他、それに類する表現などには、「から」がもっぱら用いられ、「ので」は一般には用いられないというわけである(永野賢「『から』と『ので』とはどう違うか」『国語と国文学』(昭和二七・二)。
 しかし、上述のことは、その表現形態上の特徴をごく概括的にみていえることであって、平叙文などにおいては、個々の文脈から整然と「ので」と「から」を機能的に異質なものとしてとらえるのは困難であり、格助詞「へ」と「に」について、動詞「行く」「来る」などとの結びつきでは、その違いを明確に区別できないのと同様に、これもある面までは同義的に重なり合つているものとみるべきだろう。
 ただ、「ので」が素材間自体に見られる因果関係の客観的な表現であり、「から」に比べて、その文の陳述とはかかわりあいが薄く、従属的であることは次の点から明らかである。すなわち、「頭が痛いので委員会に欠席するから、よろしくお伝えください」のように、「から」に導がれる従属文中にさらに「原因」「埋由」などを述べる事柄がある場合には、それは「ので」によつて表わされるが、その逆はないということや、「から」のように、あとに「は」「も」「こそ」などの係助詞を伴う用法が「ので」にはないこと、あるいは、「から」には、「……からだ」のように、原因・埋由・根拠などだけをその結果と結びつけずに取り立てて述べる用法があるが、「ので」にはないことなどである。
 ところが一方、「から」は、前件を主体的に取り立てて後件に結びつけるために、表現主体の立場が強く前面に出てきて、押しつけがましい印象を聞き手に与えると感じられるためか、一般には「ので」が用いられないとされる、依頼表現などにおいても、「試合終了後は大変混雑いたしますので、お帰りの切符は今のうちにお求めになっておいてください」「工事中何かとご不便をおかけすることと思いますので、何とぞ暫くの間御辛抱願い上けます」のように、表現を丁寧にしようとする場合にはしばしば用いられる。
 また、男性に比じて、女性に好んで「ので」を多用する傾向がみられるのも、いかにもそうなる、あるいはそうするだけのやむをえない理由がそこにあるといつたニュアンスを「ので」が負っていることによるものとみられる。
 すでに一語の接続詞と化している、「それで」と「だから」の間にも、この「ので」と「から」と同様の関
係がみられる。つまり、「ので」に対応するのが「それで」であり、「から」に対応するのが「だから」である。
 「いいつけを守らなかつたばかりに、こんなことになつてしまいました」に対し、「だから、あれほど注意しておいたのに」と応じるわけであつて、「それで」とは応じない。また、「電車が事故を起こしました」に続けて、「それで、三十分遅刻しました」といったほうが、「だから、……」というよりも、いかにも自分の責任の及ばない問題であるといったニュアンスを帯び、弁解がましい点が少なくなるわけである。                                              (倉持保男)
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この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。毎度ややこしい話で申し訳ございません。

>「ので」・「から」の使い分けにあるのか、あるいは接続の方に問題を感じていらっしゃるのか
 おそらく両方になるかと思います。
 もしかすると、〈「ので」・「から」の使い分け〉を考えると、意味の違いはほとんど関係ないのでは……と言う気がします。
【ので】が使えない例を考えると、〈接続〉の問題でしかないような……。

『日本文法大辞典』ですか。
 やはりこういう話だと、このテのものをひく必要がありますかね。長い記述をありがとうございます。
 永野賢氏の論文に関する記述も、いままで目にしたものよりずっと詳しい気がします。
 予想どおり、辞書の類いはこの論文からもってきていますね。

>「頭が痛いので委員会に欠席するから、よろしくお伝えください」のように、「から」に導がれる従属文中にさらに「原因」「埋由」などを述べる事柄がある場合には、それは「ので」によつて表わされるが、その逆はない
 ウーン。
「頭が痛いから委員会に欠席するので、よろしくお伝えください」
 は×ですかね。「委員会ヲ」にすればさほど問題はないような。
 かなり難解なので、何度か読み返してみます。
 
 ひとつお願いがあります。
 前編(↑の【「ので」と「ため」の違いについて】をこう呼ぶことにします)のNo.14で〈「信州大学」のサイトにある山本もと子氏の考え方にはわたしは同調出来ません〉と書かれた理由をご説明いただけませんか。
 あれ? リンクが切れてますかね。
 山本もと子氏が〈丁寧さのストラテジーによって生じると言える〉としているのは極論めいていると思います。

1)話し言葉か書き言葉か
2)丁寧さの度合いか
3)主観か客観か
 いずれにしても決定打ではなく、「しいて言えば」くらいのことではないかという気がします。ほとんどの例で両方が使えるのですから。

お礼日時:2014/09/30 21:16

#29です。



> 当方にはむずかしいと思います。
 :
しかし、それを避けている限り現代の国文法の素晴らしさを味わうことなく、徒に文法など詰まらんとノタモウ「有識者」であり続けますでしょう。
どだい、
>「個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。」
 :
などと既に国文法論者風味の発言をされていらっしゃるではありませんか。

>「何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。
 辞書・サイト・論文など、教えてください。」
 :
それが、実際には渡辺実「国語文法論」/小池清治「現代日本語文法入門」/芳賀綏「日本文法教室」などなど紹介したって読む意向などちっとも感じられず、応えはいつも「ア・ト・デ」どころか「当方にはむずかしい」の一点張りなのではありませんか。是非読んでいただいて、このような問題をご一緒に学び合う関係が構築できたらと願うことはこの一点です。

>これを「新しいので丈夫だ。」や「高いから買えない。」にかえると×なのでしょうか? 文の意味は大きくかわるのでしょうか?
 :
そのままの置き換えは×というべきでしょう。「大きくかわる」とはどの程度の想定なのか大げさなだけにいやみにも聞こえますが、そうではなく本当にどのようなニュアンスの変化や述語の表現の変更が求められているものとして、以下に例文を提示します。

<判断の根拠>
「から」は話者の判断なので断定調で良いのだが、「ので」では聞き手の同調を考慮した上での独断を避けた、推量の「だろう」が欠かせない。
「からには」「のだから」は「から」の強調形。

新しいから(きっと)丈夫だ。
(根拠 → 話者の推論)
新しいからには(おそらく)丈夫なはずだ。
(根拠 → 話者の確信)
新しいのだから(間違いなく)丈夫に違いない。
(根拠 → 話者の主張)
新しいので(おそらく)丈夫だろう。
(根拠 → その特性のありよう)

<ことがらの理由>
「ので」は手持ちの金や想定費用に対して高価だったという事情を明らかにして、その結果としての話者の対応の取り方を聞き手に対し明らかにしている。
片や、「から」にした場合は、聞き手に関係なく、結果としての話者の判断・対応を述べている。
また、「せい」や「ため」など形式動詞の接続用法の場合は、「ので」と違って聞き手への配慮もさほどではないが、一方で話者としての主張も「から」に比べてずっと薄めで、対応の取り方を結果として伝達を図っている、そんな中間レベルにある。

高いので(とても)買えない。
(事情 → 対応の取り方)
高いため(どうしても)買えなかった。
(事情 → 対応の結果)
高いせいで(つい)買いそびれた。
(理由 → 対応の取り方)
高いおかげで(結局)買ってもらえなかった。
(原因 → 恩恵の有無)
高いから(とても)買う気になれない。
(根拠 → 話者の意思)

> 細かなニュアンスとしては下記のような傾向がある。 
1)話し言葉的か書き言葉的か
2)「ので」のほうがやや少し丁寧
3)主観的か客観的か
 :
これでは質問の最初にまた戻されてしまいます。
これらの標準的な回答はいの一番の#1において既にきちんとなされています。
しかしせっかくここまでツリーを展ばしてきたのですから。たとえ質問者に「当方にはむずかしいと思います。」「本題とはあまり関係ない気がするのでパスさせてください。」「当方の語感だと、やはり」を繰り返されようと、この質問に付き合っていらっしゃる読み手の皆さんへの誠意としても以下に解説してみます。

1)読み手を意識した書き手の記述表現としての「ので」と、聞き手に対する話し手の自己表現としての「から」
2)読み手への配慮面では「ので」が丁寧だが、これが話し言葉では彼我の位置がずれることもあり、話し手の自己表現面では逆転し「から」の方が素直で「ので」は押しつけがましいトーンが混じる。
「私、失敗しないので!」
3)哲学や心理学ではあるまいに、いまどき国文法での「主観・客観」論議は、具体的に例文の提示内容やその度合いの識別があいまいなタームとして、ほとんど使われなくなっています。
代わりに例えば、「モドゥス、ディクトゥムという用語は、はじめ、スイスの言語学者C・バイイが使い、その後、小林英夫・金田一春彦・川上章・川本秀雄‥といった語学者によって採用されています。」(芳賀綏「日本文法教室」)
また、「ので」は従属節において述語成分と相関する「玉葱型構造」の「ので節」としてテンスまでであり、「から」は前段と後段を連関させる「天秤型構造」の「から節」としてモードを表すといった見方。
あるいは、「ので」にもモドゥスがあるが「述定文中における中核(断定・推量など)と外郭(感動)」の範囲であり、「から」ではさらに「伝達文での中核(命令・呼び掛けなど)と外郭(もちかけ)」が加わる所が異なるとか。
さらには「主観性の言語化されたものをモダリティと見る立場」からすれば、「から」の方は、そもそも話し手のモダリティが制限なく使用可能だが、「ので」ではごく限られているなど。

そして私の見方では、上の中学文法のテキストの例文説明を行ったように、「から」は<判断の根拠>としての多様な表現が可能だが「ので」では相手を配慮した推量など婉曲表現に限られる。一方、「ので」は<ことがらの理由>としてストレートな表現ができるが、「から」では話者の意思の表現に限定される、と。

この側面はわざと避けてきたのですが、実は従属節での「ので」は「の」「で」とも格助詞の役割だが、それが述語においては、また終助詞的には、あるいは間投詞的な簡略接続詞としては「で」は断定の助動詞「だ」の連用中止形(言い止し)と見做す方が順当なのかもしれません。
また、「逆接確定条件の「のに」はなお語源的性格を濃厚に持っていて、「静かなのに」のように連体形につこうとする傾向が強いけれども、それでも「こんなに静かだのに、ぜいたくだぞ。」などと、終止形(独立形)結合を化膿しつつある。…ただし「のに」と同じ語源的性格を有する順態確定の「ので」の方は、今なお「とても静かなので、落付いて仕事ができる。」のように連体形に下接するばかりで、「とても静かだので、落付いて仕事ができる。」といった終止形(独立形)下接の言い方を可能にする方向へ、動こうとする気配を見せない。」(渡辺実「国語文法論」)
「ので」論については、このような問題などまだまだ取り残されたままなのですが、「本題とはあまり関係ない気がするのでパスさせてください。」
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この回答へのお礼

「現代の国文法の素晴らしさを味わう」境地にはとうてい到達できそうにありません。〈徒に文法など詰まらんとノタモウ「有識者」であり続けます〉……当方はそこまでも到達していないので、「あり続け」る心配はないかと……。

>是非読んでいただいて
 時間ができたら読んでみたいとは思います。
 当方の質問が、これらを読まなければ理解できないような難問ならば、あきらめるほうがいい気がします。

 今回のやり取りで、ハッキリ理解できたと思えることは、さほど多くありません。
 多くの部分でモヤモヤした感じが残っています。
〈新しいので丈夫だ。」や「高いから買えない。」にかえると×〉になる理由はわからないままです。
 <判断の根拠>の解説は、一読するとわかった気になれます。
 しかし、下記の1)【ので】を2)【から】にかえると意味がどうかわるのか、当方には説明できません。2)は×なのでしょうか? 〈推量の「だろう」が欠かせない。〉か否かは保留します。
  1) 新しいので(おそらく)丈夫だろう。
  2) 新しいから(おそらく)丈夫だろう。
 <ことがらの理由>も同様です。「高いので(とても)買う気になれない。」は×なのでしょうか?
 これでは当方には〝限定〟できるか否かの判断はできません。


>これらの標準的な回答はいの一番の#1において既にきちんとなされています。
 No.1の回答なら多少理解できる気がします。
 以下、〈 〉内はNo.1の回答にある言葉です。当方の解釈に間違いがあればご指摘ください。
〈女性に好んで「ので」を多用する傾向がみられる〉など、微妙な違いはあるようです(「女性」と言えるか否か、「好んで」「多用」とまで言えるか否かはわかりません)。
 当方は「話し言葉的か書き言葉的か」と考えています。それは丁寧度の違いと考えることもできます。「主観・客観」と考える人もいるようです。ただしNo.30のコメントによると
>いまどき国文法での「主観・客観」論議は、具体的例文の提示内容やその度合いの識別があいまいなタームとして、ほとんど使われなくなっています。
 ということなのですね。共感できます。一概には言えないのかもしれませんが、ほかのテーマでも理解に苦しむ「主観・客観」を持ち出す人がいて、当方はウンザリしています(No.20の「お礼」参照)。
 あるいは、kine-oreさんがお書きなったように「文体」の問題と考えるほうがよい場合もある気がします。

 ただ、そういった微妙な違いはさほど大きな問題ではないでしょう。
〈違いを明確に区別できない〉〈これもある面までは同義的に重なり合つているものとみるべき〉
 ですから、ある面まで(実質的には「多くの場合」の気がします)はどちらも同じような意味で使えるはずです。
「ので」は〈「から」に比べて、その文の陳述とはかかわりあいが薄く、従属的である〉とのこと。【ので】の制約1)が生じるのはそのためでしょう。

 ただしNo.1やNo.4の「お礼」にも書いたように、現段階ではNo.1のコメントの後半部には疑問も感じています。いろいろ調べながら精読してみます。

お礼日時:2014/10/26 12:00

#27です。



>当方が最初に書いた【ので】の制約1)は、こう考えたほうがよいということでしょうか。
 :
そうです。
>制約1) 例3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です
 :
これは{から/ので/ため}の部分が異なるだけの同じ文型なのではありません。

ここでの{から/ため}は接続助詞ではなく副助詞「から」の準体助詞用法、また名詞「ため」の形式名詞用法での名詞述語文(同定文)ですから反転できます。A=Bです。→B=Aです。
私が遅刻したの=電車が遅れたから です。(遅刻した理由として電車の遅れを述べる)
電車が遅れたから=私は遅刻したの です。
私が遅刻したの=電車が遅れたため です。
電車が遅れたため=私が遅刻したの です。(遅刻した原因として電車の遅れを述べる)

一方、「ので」は従属節を受ける接続助詞として、
電車が遅れたので→私は遅刻したのです。(遅刻を申し立て、その理由を述べる)

ですから「ので」はやめて、ほかの助詞でも準体助詞用法に置き換えれば名詞述語文にできると付け加えただけの意味です。それ以上の深い意味はありません。
私が遅刻したの=電車が遅れたの です。
私が遅刻したの=電車が遅れたせい です。
私が遅刻したの=電車が遅れたおかげ です。

>ただ、〝専用〟とまで言えるか否かは疑問も感じますが。
 :
〝専用〟と言い切るのは、あくまでも初心者に語用を分からせる近道としてであり、その骨子の断定的な説明、つまりは方便です。
それを習得する過程で、あらためて有効な疑問が芽生えるなら、それは進展の証しです。
ただし、その骨子を理解しようとしないで、ひたすらアラさがしを求めるようならその生徒は窘めなければなりません。初心者に限った教育的指導です。

例えば、球の体積を求めるのに、
S=4/3πr^3が分からない生徒なら、半径を三回掛けて12倍すると教えるようなものです。
あるいは、点音源の防音効果について、微積分を用いず、三角法での距離減衰で教えるようなものです。
それを、点音源などあるかとか、音の高さはどう考慮するんだとか、障壁の吸音や反射効果を見逃すわけにはいかないだろうなどと言えるようなら、その子にはもっとレベルを上げれば善いだけです。

>例文を見る限りは、「そういう傾向がある」くらいしか言えない気がします。<せい>の位置づけも……。
 :
ならば、どうぞご自分でそうではない例文を「せい」「から」「ため」「ので」「て」を総て入れた単一の例文を是非お見せください。それが、明らかに私のそれより優っているようならこの主張は取り止めましょう。

>冒頭の2段落の記述はほぼそのとおりだと思います。
>感覚的にはわかる気もしますが、あまりにも微妙でなんとも言えません。当方なら、△にする理由が見つからないので、全部○にするかもしれません。
 :
「冒頭の2段落の記述」が理解できるのなら、より相応しい「から」○があるのだから、「ので」は次点△になるだけです。副詞用法とはつまりは単一文のそれであり、つまりは「ので」がもっともベーシックに生きる従属節を持つ複文ではないだけの理由です。

>こういう考え方ならわかります。これが永野賢説までいくと、首を傾げてしまいます。

一つの文を見て、品詞分解する。またその違いにだけ着目して、その違いを解き明かそうとするという手法は、もはやその有効性を失いつつあります。
 雪は降る
 雪が降る
ーーーーーー
差異=はorが(つまり、助詞の性質の違い)

今や、こんな「文の意味は語の意味の総和である」といった感覚では解き明かせないことが指摘されています。
「その助詞やその文型と状況との間に、あるダイナミズムが働いた結果、文にそのような意味が生ずるのであって、状況が語用論的に外から文に意味を付加するのではないからである。」(尾上圭介「文の形と意味」(「現代日本語必携 2000年」學燈社))

むしろ構文論においては、遥か昔、松下大三郎が区分した「主観的表現」と「客観的表現」という呼び分けがありました。一方、スイスの言語学者が使ったラテン語のディクトゥム(言表事態)を包み込むモドゥス(言表態度)という観点が育ち、やがてその容れ物としてのモドゥスにも、述定文中における中核(断定・推量など)と外郭(感動)、そして伝達文での中核(命令・呼び掛けなど)と外郭(もちかけ)など多層の「包み紙」があり、その色合いによって老若男女の位相の異なりも生まれているとされています。
参考:芳賀綏「日本文法教室」(東京堂)

それはまた拡大して、「主観性の言語化されたものをモダリティと見る立場」(益岡隆志「モダリティ」(「現代日本語必携 2000年」學燈社))も生まれてきました。

一方、山田孝雄以来の、述部と叙部の諸要素の相関については、「北原保雄は「日本語助動詞の研究」1981年において精密化している。叙部の各要素と述部の各要素とは、同心円状に結び付き合う関係にあるので、叙述構文の構造を比喩的に「玉葱型構造」といい、一方、題説構文は題目部と解説部が平衡関係にあるので「天秤型構造」という。」(小池清治「現代日本語文法入門」ちくま文庫)

単純に「主観的」といったところで、少なくとも以上のような、その後の「文の成分」をめぐる研究について学ぶべきことが教える側には残されていると言えます。

一方、中学生や日本語初級者に対しては、「ば」や「から」また「ので」は「順接の確定条件」として次のように使われるという言い方になるでしょう。

新しいから丈夫だ。
(新しい+(しかも)(新しいという根拠からも)丈夫だ)
高いので買えない。
(高い→(それが理由で)買えない)
解けば、難しい問題ではなかった。
(解いてみた=簡単な問題だった)

また、次の序詞の種類に注意しましょう。
月が出てから出発しよう。(格助詞)
月が出たから明るい。 (接続助詞)

参照:「基礎からよくわかる「文法」の学習」
http://www.itsuki-s.co.jp/material/05.htm
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この回答へのお礼

>ですから「ので」はやめて、ほかの助詞でも準体助詞用法に置き換えれば名詞述語文にできると付け加えただけの意味です。それ以上の深い意味はありません。
 この点に関してはよくわかりました。ありがとうございます。

>その骨子の断定的な説明、つまりは方便です。
 そう考えることにします。

>それが、明らかに私のそれより優っているようならこの主張は取り止めましょう。
 本題とはあまり関係ない気がするのでパスさせてください。

>単純に「主観的」といったところで、少なくとも以上のような、その後の「文の成分」をめぐる研究について学ぶべきことが教える側には残されていると言えます。
 当方にはむずかしいと思います。

>より相応しい「から」○があるのだから、「ので」は次点△になるだけです。
 両方ともふさわしい場面もあると思います。その場合は当然「ので」も○ですよね。
 たいていの場合、なんらかの制約があって「ので」がやや不自然に感じられる場合でも、×にはならないと思います。
 すでに話が出ている〈女性に好んで「ので」を多用する傾向がみられる〉(No.1の『日本文法大辞典』の記述)などの傾向も無視できないでしょう。これも極論すれば単なる好み{なので/△ですので/だから/ですから}、「から」が×ということではないはずです。
※当方の語感だと、やはり「ですので」は△になります。≒【ので】の制約5)。当方の語感がヘンなのかもしれません。

>一方、中学生や日本語初級者に対しては、「ば」や「から」また「ので」は「順接の確定条件」として次のように使われるという言い方になるでしょう。
「ば」の話はパスさせてください。

>新しいから丈夫だ。
(新しい+(しかも)(新しいという根拠からも)丈夫だ)
>高いので買えない。
(高い→(それが理由で)買えない)

 これを「新しいので丈夫だ。」や「高いから買えない。」にかえると×なのでしょうか? 文の意味は大きくかわるのでしょうか?
 当方は「新しいので丈夫だ。」は少し不自然に感じます(理由はいまだにわかっていません)が、×とは思えません。意味も大きくかわりはしないと思います。
 当方の元々の疑問は、このあたりの単純なことなんだと思います。

 ほぼ同じように使えるが、【ので】の制約1)のような場合は「ので」は使えない。
「から」は「格助詞」と間違えないように注意する。
 細かなニュアンスとしては下記のような傾向がある。 
1)話し言葉的か書き言葉的か
2)「ので」のほうがやや少し丁寧
3)主観的か客観的か

 くらいでは説明になっていませんか?

お礼日時:2014/10/24 17:41

1、難しいことでも、誰にでもわかるようにやさしく説明できる。

最高ですね。
2、易しいことを易しく説明する。当たり前。
3、難しいことを難しく説明する。あまり良くないですね。
4、易しいことを難しく説明する。最悪!こんな説明をする人は、頭が悪いか、根性が悪いか、その両方か。

さて、これだけ長文の回答が集まっていながら、

>たとえば、中学生や日本語学習者に〈「~から」と「~ので」はどう違うのか〉と訊かれたら、どのように答えればよいのでしょうか。

こんなセリフが出てくるということは、ここには、少なくともこの問題について、あなたをすっきり納得させてくれる回答者なんかいないということです(もともと解答の出にくい問題だったという面もありますが)。あきらめて「締め切り」にしてしまわれたらいかがでしょう。
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この回答へのお礼

 1~4は、一般論としてはそのとおりだと思います。

>あなたをすっきり納得させてくれる回答者なんかいないということです(もともと解答の出にくい問題だったという面もありますが)。
 もともと回答しにくい質問であることは承知しています。
 当方の理解力不足の面も否めません。

>あきらめて「締め切り」にしてしまわれたらいかがでしょう。
 貴重なアドバイスとして承りました。

お礼日時:2014/10/22 13:36

#25です。



>たとえば、中学生や日本語学習者に〈「~から」と「~ので」はどう違うのか〉と訊かれたら、どのように答えればよいのでしょうか。
 :
それではズバリ相手への答え方を教えろという、禁止マナーの「丸投げ」要求そのものでしかないと感じられませんか。これまでご自分で学び考えるための回答をと心がけてきたつもりだったのですが…。

「どう違うのか」はあまり意味がありません。ただ、どう使い分けるかの課題なるでしょう。

1. 従属節専用と述語用法の違い
「ので、…」は、主節文に用いません。重文の従属節専用です。
(だから主節文の主語(総主語)「は」とは共存できません。)
例1)雨が降ってきたので、傘を持っていきましょう。(誘導)

「から」は主節文の述語用法「…からだ。」が主体です。
(だから主節文の主語(総主語)「は」と共存できます。)
例2)傘を持っていくのは雨が降ってきたからです。
これを反転文にしたものが「ので」の用法と似てくるだけです。
ただし「ので」は従属節として主節への誘導指向がはっきりしていますが、「から」は主節文内での副詞的役割(述語修飾性)の面が色濃いでしょう。
例2`)雨が降ってきたから傘を持っていくのです。(判断)

このように「ので」が従属節専用であること、「から」が主文用であることは次の例で確かめましょう。
例3)頭が痛かったので学校を休んだ太郎は、昨日の事件のことはまだ知らない。
「頭が痛かったので学校を休んだ」太郎は、昨日の事件のことはまだ知らない。
頭が痛かったため学校を休んだので、太郎は昨日の事件のことはまだ知らない。

例4)頭が痛かったから学校を休んだ太郎は、昨日の事件のことはまだ知らない。
「頭が痛かったから」学校を休んだ太郎は、昨日の事件のことはまだ知らない。
太郎が昨日の事件のことはまだ知らないのは、頭が痛くて学校を休んだからだ。

2.接続助詞の現れ順
「て」→「ため」→「ので」→「から」
例5)雨が降ってき<て>濡れる<ため>、傘を取りに戻った<ので>、その分だけ手間が余計にかかった<から>遅くなってしまいました。
例6)台風の影響でバスと電車の遅延が相次ぎ、その<せいで>車中の混雑が激しくなってしまったこと<で>気分が悪くなってしまった<ため>、已むを得ず途中下車した<せい>もあって、ますます時間を食ってしまった<ので>、そんなこんなで大幅なタイムロスが生じた<ため>出社が遅刻になってしまいました。

3.副詞用法での混用
両方を副詞句として用いた場合は、「から」の方が主節文中での役割として筆者の主張が濃くなって主観性が強まり、「ので」の方は従属節としての誘導性が希薄になるので、その結果は客観性を帯びた印象が現れやすいでしょう。
結局は、どちらも大差ないのですが、長めの文で句点を入れるなら「ので」もありですが、短い文では「から」の方が文としての主張がはっきりするのでより望ましいでしょう。ただし相手次第ではその主張の明解性のために疎ましく感じられる向きもあるので、やんわり狙いなら「ので」が無難な場合も。

例3’)頭が痛かったので、学校を休んだ太郎は、昨日の事件のことはまだ知らない。
例4)頭が痛かったから学校を休んだ太郎は、昨日の事件のことはまだ知らない。

例7)
○危ないから止めてください。○止めてください、危ないから。
△危ないんで止めてください。△止めてください、危ないんで。
?危ないため止めてください。?止めてください、危ないため。
例8)
○危ないから止しなさい!○止しなさい、危ないから。
○危ないんで止しなさい!○止しなさい、危ないんで。
△危ないため止しなさい!?止しなさい、危ないため。
例9)
○台風が来るから気を付けよう。○気を付けよう、台風が来るから。
○台風がくるんで気を付けよう。△気を付けよう、台風が来るので。
△台風がくるため気を付けよう。?気を付けよう、台風が来るため。
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この回答へのお礼

>それではズバリ相手への答え方を教えろという、禁止マナーの「丸投げ」要求そのものでしかない
「禁止マナー」とは知りませんでした。そういう質問はよく目にします。
 たしかに、当方もそういう質問者をやんわりとたしなめたことはありますが……。
 理解したうえで、「答え方」は自分で考えるべきなのでしょう。


>1. 従属節専用と述語用法の違い
>「ので、…」は、主節文に用いません。重文の従属節専用です。
 当方が最初に書いた【ので】の制約1)は、こう考えたほうがよいということでしょうか。
 No.5では〈全て体言相当にすればそれなりに整合します。〉とのことでしたが……。
「の」にして自然なものと不自然なものがある理由を考えていました。「重文の従属節専用」と考えるほうが簡明そうですね。
 ただ、〝専用〟とまで言えるか否かは疑問も感じますが。

>2.接続助詞の現れ順
>「て」→「ため」→「ので」→「から」
 例文を見る限りは、「そういう傾向がある」くらいしか言えない気がします。<せい>の位置づけも……。

>3.副詞用法での混用
 冒頭の2段落の記述はほぼそのとおりだと思います。
 こういう考え方ならわかります。これが永野賢説までいくと、首を傾げてしまいます。

 例7)例8)例9)の「ので」(んで)の判定は、あれでよいのでしょうか。感覚的にはわかる気もしますが、あまりにも微妙でなんとも言えません。当方なら、△にする理由が見つからないので、全部○にするかもしれません。
例7)
△危ないんで止めてください。△止めてください、危ないんで。
例8)
○危ないんで止しなさい!○止しなさい、危ないんで。
例9)
○台風がくるんで気を付けよう。△気を付けよう、台風が来るので。

お礼日時:2014/10/22 13:32

#23です。



ここではこのような接続に関わる幾つかの要点に触れてみます。

1.「から」の語用変遷
1)(形式)名詞…奈良期
「から【柄】(名詞)(1)原因や理由の意を表す。ゆえ。ため。「あにもあらじおのが身の柄(から)人の子の…」万葉集3799」(「古語大辞典」小学館)
「から【故】(名詞)《多く「からに」の形で用いる形式名詞》原因・理由を表す。ため。ゆえ。」(「古語例解辞典」小学館)
2)格助詞…平安期
「から (1)(ゆえ(故)の体言「から(故)」から転じた語)」(「古語例解辞典」小学館)
3)接続助詞…室町末期
「から(接続助詞)平安時代を中心に、活用語の連体形+「からに」の形で用いられた接続助詞「からに」から「に」が脱落して鎌倉時代に発生をみ、室町時代後半以降一般化して用いられた語)」(「読解古語辞典」三省堂)
4)関東弁…江戸期
「畿内近国の助語に「さかひ(さかい)」と云詞有 関東にて「から」といふ詞にあたる也」(「物類称呼」岩波文庫)
「から(助詞)(1)理由・原因を表す接続助詞。ので。」(「江戸語の辞典」)
「サカイ(助詞) から。ので。よって。「大言海」に「さかひ。境の義にて、書状文に、何々に候間と用ゐると同じかるべし」」(「大阪ことば事典」講談社学術文庫)
「からだから、からさ、故といふことよ。そしてまた上方のさかいとはなんだへ。」(「浮世風呂」)
5)万能的用法…明治期
文頭の接続詞であり、文末の述語用法として、しかも接続助詞でも順接確定のみならず逆接確定や逆接仮定にまで使える万能用法となって行くに連れ、むしろ文意が曖昧となり不明瞭で切れの悪い側面が浮き上がってきたと思われます。

2.「ので」の語用変遷
明治期に筆記文体の試行錯誤の結果、「だ・である体」へと定着を見せるとともに文末が「のだ・のである体」へと移りつつあった。その結果、「のです」「のであります」「ので御座る」「のではない」「のであろう」「のでござんす」などと多様に現れた断定の助動詞「だ」とつながる末尾用法「のだ」の連用中止形「ので」も頻繁に用いられるようになり、やがて格助詞「で」由来の接続助詞「で」との合体とも見做せる接続助詞「ので」が、「から」本来の「理由・原因を表す接続助詞」として、また本来の「順接確定」に限った用法として発達してきたと思われます。

この辺の事情については現代日本語の礎を築いた夏目漱石の作品、たとえば「永日小品」の中に見ることができるでしょう。
1)接続助詞を使わない簡潔表現の作品「行列」
「袖も手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。」
「行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、空しい日の光を、書斎の入口に送って、縁側に幅四尺の寂しさを感じた時、向うの隅で急にヴァイオリンを擦する音がした。」

2)「から」だけが現れる作品「儲口」
「旨く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。」
「いまいましいから、みんな打遣って来ました。」
「すると商館の番頭がいうには、否契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三勧めるもんだから、ついその気になりましてね。」

3)「ので」「から」が現れる作品「火鉢」
「胃が悪いのでこの頃は朝飯を食わぬ掟にしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へ退いた。」
「ころが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間が剥むき出だしに光っている。」

4)「ので」だけが現れる作品「下宿」
「赤煉瓦の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二磅の宿料を払って、裏の部屋を一間借り受けた。」
「引き移った当日、階下から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。」
「自分は少し見当が外れたので、そうですかと云ったきりであった。」
「石炭を燃してくれたので、幾分か陽気な感じがした。」

このように、漱石は作品ごとに文章の調子をアレンジながら、その表現の可能性を求め高みを究めて行った大いなる先駆者であるだけに、「ので」「から」の差異や互換性などに悩んだ場合には、まずは学び直すべき最高のお手本なのではないでしょうか。
そもそも、日本語学習者向けのテキストをこの「永日小品」から採れば、へたな主観客観論争より遥かに素直に受け取ってもらえるのではないでしょうか。語用論だけでなくそれはむしろ文構成論であり、ひいては文体そのものに至るのだという意味で、私自身に省みれば漱石に学べという結論になるのかも知れません。
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この回答へのお礼

>最高のお手本なのではないでしょうか
 たしかに↑の分析のとおりなら、みごとに解説できる気がします。

>日本語学習者向けのテキストをこの「永日小品」から採れば、へたな主観客観論争より遥かに素直に受け取ってもらえるのではないでしょうか
 そのとおりかもしれません。しかし、実際にはそういう教え方をするのはむずかしい気がします。

お礼日時:2014/10/15 16:07

#23です。



これまでは、「から」と「ので」や「ため」の単なる語用性のレベルだけでは見えてこないもの──中学文法で言えば「複雑な文の組み立て」の二つの方法に準じて、その欠けている構文論の視角の必要性に触れたつもりです。

ここでは、これまでの前提を踏まえた上で、個々の質問内容にあたっての解き明かしを試みてみます。

>とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。

>1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる
例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です
 :
これは接続助詞の比較にはなっていません。
1)遅刻したのは、電車が遅れたからです。…副助詞の準体助詞的用法
2)遅刻したのは、電車が遅れたので、です。…「だ」の分離で倒叙構文化へ
3)遅刻したのは、電車が遅れたためです。…形式名詞の述語用法

>※語順を入れかえるとOKになる
電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました
 :
単文の形式名詞述語文を、本来の重複文の接続用法に戻したからOKになっただけです。

>2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある)
例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした
 :
この例文は因果も時制もバラバラな非文ですから全て×です。
1)きっと明日は雨降りだろうから、今日の内に洗濯干ししておこう。…△
→きっと明日は雨降りだから、今日の内に洗濯干ししておこう。…○
2)きっと明日は雨降りだろうので、今日の内に洗濯干ししておこう。…×
→きっと明日は雨降りなので、今日の内に洗濯干ししておこう。…○
3)きっと明日は雨降りだろうため、今日の内に洗濯干ししておこう。…×
→きっと明日は雨降りになるため、今日の内に洗濯干ししておこう。…○

>※前件が推量でもOKの例
明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした
 :
これは名詞「相」の形式名詞化として、既に了解済みです。

>3)後件が命令形(OKのときもある)
例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい
例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください
 :
後段が命令では不適。「していなさい」と状態指示なら可。
1)よい子だからおとなしくしなさい。…当為条件での当為命令
→いい子だからおとなしくしてなさい。状態認識での状態指示
2)よい子なのでおとなしくしなさい。…当為条件での命令
→よい子なので彼はおとなしい。…状態認識での状態認識
→よい子なんで彼はすぐおとなしくなる。…状態認識での状態推定
3)よい子のためおとなしくしなさい。…「よい子」への目的を指す名詞「為」と混同
→よい子であるためおとなしい。…形式名詞式の接続用法に

>※後件が命令形でもOKの例
あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい
 :
1)あの子はよい子だから仲良くしてあげなさい。
→あの子はよい子だから仲良くしてもらいなさい。…相手に貰う
2)あの子はよい子なので仲良くしてあげなさい。
→よい子なのであの子には仲良くしてあげなさい。…従属節で組む
3)あの子はよい子のため仲良くしてあげなさい。
→よい子のあの子のためにも仲良くしてあげなさい。…連体形で組む

>4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。
例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう
 :
1)あれほど繰り返すのだから、本当なんだろう。
2)あれほど繰り返すので、本当なんだろう。
→あれほど繰り返すので、本当だと思った。…時制のマッチング
3)あれほど繰り返すため、本当なんだろう。
→あれほど繰り返すためには、本当でなければおかしいだろう。…前提用法

>※後件が推量でもOKの例
電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう
 :
1)電車が遅れたから遅刻したのだろう。…後件の事情の根拠を開示
2)電車が遅れたので遅刻したのだろう。…時制不合
→電車が遅れたので遅刻した。…後件の事態を来たした原因を説明
3)電車が遅れたため遅刻したのだろう。
→電車が遅れたため遅刻してしまった。…後件の結果を齎した原因を提示

>5)デスと相性が悪いのかも
例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく
 :
1)期限はあしたですからお忘れなく。…副詞用法(後件を確認)
2)期限はあしたですので、お忘れなく。…接続助詞用法(後段へ誘導)
→期限はあしたなのでお忘れなく。…副詞用法(後件を念押し)
3)期限はあしたですため、お忘れなく。…接続助詞用法として誤用
→期限はあしたのためお忘れなく。…「の」で受けた連体用法(準強制)
→期限はあしたであるため、お忘れなく。…「である」での連体用法(前件を強調)
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この回答へのお礼

 また回答のレベルが上がった気がします。
 これは、当方の最初の質問をベースにしていますよね。
 できれば改訂版のNo.8の「お礼」の書いたバージョンで解説していただきたかった……。
 微調節して解釈します。
 
 ただ、これではやはり難解です。
 たとえば、中学生や日本語学習者に〈「~から」と「~ので」はどう違うのか〉と訊かれたら、どのように答えればよいのでしょうか。

お礼日時:2014/10/15 16:06

「しかし世間ではAは主観(的)で、Bは客観(的)のような考えをする人が多いようです」



そうみたいですね。

でも、「国産の食材だけを使っております」というひとつの事態が、なぜある場合には客観的根拠となり、またある場合には主観的根拠になるのか、私にはわかりません。
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この回答へのお礼

>私にはわかりません

 当方にもわかりません。
 でも、わかる人もいるようです。
 この話は平行線になる可能性があるので、当方はパスします。
 詳しくは前編http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8625598.htmlをご参照ください。

お礼日時:2014/10/15 16:03

#19です。



>中学生や日本語学習者がこの説明で理解できますかね。だとすると、当方は小学校にまで遡る必要がありそうで……。
 :
少なくとも日本語学習者には無理でしょうね。
その点、中学生なら「文の組み立て」の1)と2)の示す意味が分かるでしょうから、その流れを辿れるなら十分理解可能だと思います。
そもそも、童らが「かえるがなくからかえろかえろ」と囃し立てるのは、1)「蛙が鳴く」と雨が降るという知識の共有、2)この場合の接続助詞は「から」である認識、3)「帰(かへ)ろ」と鳴き声「クェロ」のシンクロ、などの言葉遊びであり、元歌は大正期の唱歌「小がくれの歌」でしょうから、もちろん歴史的仮名遣いですが…。
これが、「蛙が鳴く<ので>帰ろ帰ろ」では語感が不自然であることを小さい時から刷り込まれたネイティブと、後になって理屈で区分しようとする者との埋めようのない乖離のそれでしょう。

>これが結論と考えてよろしいでしょうか。だとすると、強く同意いたします。せいぜい「少し不自然になる」程度でしょう。少し文をイジれば「不自然」でさえなくなることもあると思います。
 :
本来の骨子は#8で述べた通りですが、あえて分かり易くという御要求の側面だけに絞れば、「文の組み立て」2)に関しては、その野田尚史「文構成」からの引用に凝縮できるでしょう。

>少し方向性をかえませんか。
 No.15さんの試みに関してどのようにお考えでしょうか。
(安全のためハンドルは伏せ処理しました)
 :
この切り貼りレベルでは、結果として筆者のそれのままが一番落ち着くでしょう。数か所を除いては弄(いじ)りようがない気がします。個別の文のレベルではなくその文体と関わる側面が欠落できないと思われてならないからです。

これを筆力の高い芥川龍之介で例を取れば、「トロッコ」と「蜘蛛の糸」では真逆になっています。
ここでは、個別にみてここは「から」と「ので」が入れ替え可能かどうかといった語用論どころか文構成レベルでさえなく、まさに文体そのものに組み込まれているのが接続助詞だからであり、であればこそこの接続助詞の連用修飾力(連用副詞性)は更に、述語としての言い切り形にも、また自立して接続詞にもなれるということなのかも知れません。
「…から、~だ。」→「~からだ。」「だから、~だ。」
「…ので、~だ。」→「~のだ。」「なので、~だ。」

A.「トロッコ」では「から」だけ(「ので」は無し)…
・「トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。」
・「良平はもう好いと思ったから、年下の二人に合図をした。」
・「その後のち十日余りたってから、良平は又たった一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。」
・「良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易いような気がした。」
・「「登り路の方が好い、何時までも押させてくれるから」――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。」
・「「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」」
・「その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側へ抛り出す次手に、板草履も其処へ脱ぎ捨ててしまった。」
・「すると今度は着物までも、汗の濡れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側へ脱いで捨てた。」

B.「蜘蛛の糸」では「ので(ございます)」8か所だけで(「から」は次の1点のみ)…
・「それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。」
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この回答へのお礼

 返信が滞っている間に、どんどんコメントが増えていきます(泣)。
 申し訳ございません。
 順番に書いていきます。

>本来の骨子は#8で述べた通りですが、あえて分かり易くという御要求の側面だけに絞れば、「文の組み立て」2)に関しては、その野田尚史「文構成」からの引用に凝縮できるでしょう。
 #8の骨子がよく咀嚼できない者としては、こう考えるしかない気がします。
 そうなると、下記のような永野説やそれに準じる辞書の記述は勇み足と考えたほうがよいのでしょうか。個人的には、永野説のような傾向はあるので「間違い」とまでは言えないとは思いますが……。
==============引用開始(コメントNo.1から)
 たとえば、その判断が主観に属する面の強い、意志や推量を表わす表現、いい・悪い・好き・嫌いなどの個人的な感覚・感情に支配される表現や、また、正当な理由づけをもって相手に何らかの行為を要求する、命令・禁止・勧誘・依頓その他、それに類する表現などには、「から」がもっぱら用いられ、「ので」は一般には用いられないというわけである(永野賢「『から』と『ので』とはどう違うか」『国語と国文学』(昭和二七・二)。
==============引用終了

>(安全のためハンドルは伏せ処理しました)
 ハンドルを記載すると、何かマズいことがありますか。後学のためしっておきたいのですが。

>個別の文のレベルではなくその文体と関わる側面が欠落できないと思われてならないからです。
 たしかに文学作品の場合はそう考えるべきかもしれません。
 文体的には「○○」がふさわしいが、「△△」に置きかえても意味に違いはない、という考え方もあるとは思いますが……。

お礼日時:2014/10/15 11:42

#21を読み直していて考えた「おまけ」。



・「○○から△△」⇒「○○という主観的根拠によって現状から△△という状況へ移行する(した)こと」に重点を置いて述べる場合の表現。

・「○○ので△△」⇒「△△という状況に至る(至った)のは、○○という客観的根拠がある(あった)からだ」ということに重点を置いて述べる場合の表現。
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