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B29 330機が東京を空襲した時、2時間半かけて空爆したと知りました。その330機は一挙に来襲ですか?それとも50機くらいに分かれて空爆したのでしょうか?

A 回答 (3件)

空爆の時間が2時間半という点に注意して下さい


数十機単位で編隊を組むには、隊が揃うまで上空を旋回しながら待機する必要があります。
当時の米軍はこれに要する燃料の消耗を嫌って個別に順次飛行させました。
現在のグアムの米軍基地からの飛来と考えて下さい。
長距離渡航が必要です。
日本には既に効果的に迎撃できるだけの飛行機がありませんでした。
編隊を組む必要なし、と判断されてしまいました。
機関銃や弾薬もおろして焼夷弾を搭載できるだけ搭載しました(6t/機)
325機来襲しましたが、米軍の被害はわずかに撃墜・墜落12機、撃破42機だけでした。

B-29の日本本土空襲:東京大空襲;鳥飼行博研究室
www.geocities.jp/torikai007/war/1944/b29.html

結果として、東京上空に最初に到達した機と最後に到達した機との時間差が2時間半ということです。
当時の東京都民は2時間半に渡って焼夷弾をバラマキ続けらたことになります。

3月10日の東京空襲に使われたのは、建造物を直接破壊する爆裂型のものではなく、集束焼夷弾と呼ばれるものです。
現在問題視されているクラスター爆弾と同じもので、空中で何本かのものに分裂して降下するタイプです。
火薬の爆発力で破壊するのではなく、火災を起こさせるいわば火付け道具のような爆弾でした。

テルミット・マグネシウム焼夷弾 - 平塚市博物館
www.hirahaku.jp/web_yomimono/hirareki/hirareki38/index.html

東京空襲が大惨事となったのは、爆弾による破壊ではなく、広域にわたる火災によるものです。
実際に爆弾が落下した場所だけが被害を受けたのではなく、延焼によって火に取り囲まれるという状況です。
火焔から逃れた人々の逃げる先に次々と火災が発生するという状況におかれました。
火災旋風と呼ばれる、推定秒速100メートル以上という暴風が吹き荒れるとともに、巨大な炎の竜巻が多数発生しました。
この竜巻状の炎の塊の中には風にあおられて隅田川を渡ったものもあります。

火災旋風 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/火災旋風

米軍機が去った後も丸一日延々と燃え続けました。
消したのではなく文字通り燃えつきて鎮火しました。

現在報道されている中東でのミサイル攻撃とは本質的に違うものであったことをご理解ください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。よくわかりました。

お礼日時:2014/10/26 18:47

300機ものB29が、同時に飛び立てる基地など、何処にもありません。


当時の航空母艦では、大型機の離着艦は不可能でした。
本土爆撃当初のB29出撃基地は、中国四川省重慶に置かれました。
その頃は、大型爆弾(500kg、1 ton)を数発搭載、都市部上空へ飛来して落としたら引き返す、単発型空襲でした。それには、航続距離の課題もありました。
南方戦線で日本軍の敗退が続き、硫黄島やサイパン島などが陥落し、沖縄をも失ってからは、B29も量産配備され、本土は制空権も失って丸裸状態。
木造建築の多い日本を燃やし尽くすために、特別開発されたのが焼夷弾です。
編隊を組んでの波状攻撃であったか、順次離陸で一挙に押し寄せたかは不明ですが、基地の運用上も2時間半程度は必要だったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/26 18:24

4カ所の目標に対する分割攻撃ですね。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/26 18:23

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