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自分で計算などしてみて
ユリウス暦では1年は365.25日
グレゴリオ暦では1年は365.2425日
とここまではわかったんですが
ギリシャ暦の場合がわからないんです・・・。
○○○○÷900が200か600のときになったら
閏年になると先生が言っていました。
どなたか教えて下さい(>_<)

A 回答 (2件)

ギリシャ暦は太陰暦で閏年は1年が13ヶ月だったそうです。



参考URL:http://www.rekio.com/img/siru/world-cld.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございました!
締め切るのが遅くなってしまいました・・・
どうやら1年は365.242222日だそうです。
イマイチわかってないんですけどね。
また先生に聞いてみようと思います。

お礼日時:2004/06/19 21:33

>> ギリシャ暦の場合がわからないんです・・・。


○○○○÷900が200か600のときになったら閏年になると <<

 それはギリシア暦ではなくギリシア正教(せいきょう)の暦で、
名前は 改訂(かいてい)ユリウス暦 です。



1.ルール

グレゴリオ暦
 ÷4で割り切れたら閏年、ただし
 ÷100で割り切れたら平年、だたし
 ÷400で割り切れたら閏年
 周期は400年である。

改訂ユリウス暦
 ÷4で割り切れたら閏年、ただし
 ÷100で割り切れたら平年、ただし
 ÷900の余りが200か600なら閏年
 周期は900年である。



2.1年の平均日数の計算

グレゴリオ暦
 400年のあいだに、
 ÷4で割り切れるのは 100回
 ÷100で割り切れるのは 4回
 ÷400で割り切れるのは 1回
 ─────────────
    合計 100-4+1 = 97回┐
                  ↓
400年間の日数 = 400×365+97
          = 146097日
年平均 = 146097日/400年
     = 365.24250000 日/年


改訂ユリウス暦:
 900年のあいだに、
 ÷4で割り切れるのは 900÷4=225回
 ÷100で割り切れるのは  9回
 ÷900で余りが200なのは 1回
 ÷900で余りが600なのは 1回
──────────────
    合計 225-9+2 = 218回┐
                     ↓
900年間の日数 = 900×365+218
          = 328718日
年平均 = 328718日/900年
     = 365.24222222… 日/年



3.お互いが一致しない年はいつ?
 コツコツと表を作ってみました。改訂ユリウス暦は1923年に作られたのでそれ以降。違いは100の桁なので 100年ごとの比較です。
-は平年、Gはグレゴの閏年、Jは改ユリの閏年

西暦
1900 - -
2000 G J
2100 - -
2200 - -
2300 - -
2400 G J
2500 - -
2600 - -
2700 - -
2800 G -
2900 - J
3000 - -
3100 - -
3200 このあとを続けてみましょう。

 最初に異なる年は2800年ですね、G暦では400で割り切れる年。しかし900で割った余りが…。
 その年の2月28日まで両方まっったく同じです。



4.なぜそんなものが作られた?
 キリスト教の内部分裂の長い歴史の産物です。キリスト教はローマ帝国で急成長しましたが各地の教会が権力を持って内部対立が発生しました。ギリシア正教会というのはマケドニア地方(アレクサンダー王の出身地)を勢力圏としていた主流派です。

 ローマの東西分裂で、ギリシア正教派は地理的に当然東側ですが、ローマ崩壊の後、西側にフランスがサポートに付いたおかげで勢力を伸ばして現在に至ってます。
現在のローマ(バチカン)に居るカトリック系は本家筋ではないのです。 本家側の中心地はイスタンブール(地中海と黒海の連絡水路の左岸)です。地理的に近いロシア帝国がギリシア正教系で、そのサポートを受けたりして現代まで続いてます。
 こういう関係の中世で、
ローマ時代から続いていたユリウス暦を変えてしまったのが、西側の教皇グレゴリウスでした。
本家側としては「日付の修正を利用して名前まで替えてしまうとは!ローマ以来の伝統を踏みにじる暴挙だ、、、」と。
 このわだかまりと近代の天文観測の結果を踏まえて、
「グレゴリオ暦よりよい(当社比)改訂ユリウス暦」が作られました。81年前(1923年)、ヒットラー登場の暗い時代です。採用したのはロシア(ソヴィエト)などギリシア正教の流れを汲む一部の国でした。採用しても 前項の表で分かるように実質なにも変わりませんでしたが。
 20世紀後半の冷戦時代は「共産圏の暦」と見なされたり。
 現在の西欧社会では「そんな先まで気にしても仕方ないからグレゴリオ暦で十分」と無視、さらに「春分の瞬間から次の春分の瞬間までの日数は 365.2424に近い。だからグレゴリオ暦の365.2425の方が正確」ととどめを刺します。(天文学的にもこれが正しいです。よくネットで平均回帰年365.2422…と比較した誤差の解説を見ますが正しくは春分年との比較になります。そして現実の地球が予測不能なふらつきをしてるので 桁数を多くし過ぎるのも無意味です。)



5.余談
「西暦何年」の数えかたですが、ローマ滅亡の後しばらくの間は、あるローマ皇帝の即位の年から数えていました。その後に東西の教会の合同会議で「あの皇帝はキリスト教を迫害したという歴史的事実があるから変えよう」となり、⇒「我らが教祖の誕生年にしよう、」⇒ 現在の西暦の数え方  となりました。ところが、教祖の誕生年の計算が間違っていたのでした。現在も間違ったまま継続です。
 
 
以上。
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この回答へのお礼

わざわざ締め切った後に回答してもらって
ありがとうございます!!
先生よりすごくわかりやすいです(><)
テストに出たらばっちり解けそうです☆
ありがとうございました

お礼日時:2004/07/17 22:53

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