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「すぐに終わるから」と連れ回し 女児にわいせつ容疑で57歳男逮捕

小学校低学年の女児を連れ回し、わいせつな行為をしたとして、警視庁荒川署は、わいせつ目的誘拐と強制わいせつの疑いで、東京都台東区、無職、中野雅章被告(57)=窃盗罪で起訴=を逮捕した。同署によると、「間違いない」と容疑を認めている。

 逮捕容疑は4月下旬、都内の路上で、当時7歳だった小学校低学年の女児に「すぐに終わるからついてきて」などと声をかけて近くの神社に連れ込み、約30分間にわたってわいせつな行為をしたとしている。

 同署が9月、荒川区内で盗難自転車に乗っていたなどとして、窃盗容疑などで中野容疑者を現行犯逮捕。携帯電話から女児の画像が見つかり、関連を調べていた。

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57歳にもなる男が善悪の区別がつかないわけではないと思います。
となると性癖なんでしょうが、もうこういった連中はどうにかならぬのでしょうか?

A 回答 (2件)

表現が正しいのか分かりませんが、善悪の区別が付いていないのだと思います。



むかしこうした観念が私と同じであるのか確認したことがあります。

「悪いことは何故してはいけないのか?」

という質問を部下にしたことがあります。

バレて見つかると罰せられるからだそうです。

また、”ズル”は何故してはいけないのか?

と言う質問を部下にしたと事があります。

バレて見つかると罰せられるからだそうです。

次に、ズルをすると得をするのか?と問うと。

ズルはあらゆる優秀なひとや努力を凌駕する切り札であり、

考えただけでも興奮する宝のようだと答えられたことがあります。

この人はスーツを着て真面目に働き、腰が低く付き合いが良いとして、

他の人の信頼を得ています。

あるとき、

彼と接する仕事上の外部の人(パートナー)が怒鳴り込んできました。

泣きながら訴えるので、何やらオオゴト。

これが繰り返されるので、根底にある違和感を探ってみたのです。

結局、他に対する損害を、彼は失敗と言っていました。

何に対する失敗なのかと問うと、応えず黙って謝るばかり。

他の人の損害について申し訳ないと思うよりも、

自分が犯して隠蔽したものがバレた事にショックを受け、

罰の重さばかりを気にしていたわけです。

まるで子供ですよね。

こうした人が、

特殊なのかと思っていたら、一定数おなじような人が結構いて働いているようです。

彼らには一定の収入があるわけですから、

質問者さんが示すニュースの様な事件にはなりませんが、

収入が途絶えたとき、同じ道を歩むように思えます。


善悪の区別と言うのは、個人がどう認識しているかで大きく違いますよね。

昨今では、こうした事件が多発するため、

教育上の問題と捉えて、これらを発達上の障害などとしているようです。


これは別の人ですが、

チームに優秀な部下がおりました。

これまでの努力もあり、出世するチャンスをつかみまして、

この人に大きな仕事を任せてみました。

必ず成功するようにと、色々手を尽くしておりましたので、

大多数の人は、

”約束された勝利の案件”

と認識していたんです。

ところが、見事に大事件を起こしまくりました。

最後はやはりオオゴトになり、事態の収拾で大変になったのを覚えています。


この人は善悪の区別も付いており、大変思いやりのある人です。

ところが上手くいかない。

何かが足りないと言うか、根底にある何かが違っているのです。


私たちには”普通”というか、”一般的”と言う概念があります。

そしてステップアップ、ステージチェンジなどに憧れております。

ココに対してもやはり二種類の感覚差がありました。

「何故ステップアップや出世を望むのか?」

楽をして人に指図でき、お金も儲かるから、としている人が多いのです。

本来は、今の責務では楽すぎて物足りず、遣り甲斐を感じないからです。


そこで、さきほどの例の二人について共通することを思い出してみたのです。

彼らに共通していたこと。

それは、効率の悪さです。作業を見てもそうですし、プライベートでもそう。

人は良いのですが、段取り、仕組み、環境構築などを上手く活用しない。

そのため労多く幸が薄い。常に疲れている。

しかし自分の人生としてはずっとそうであったため違和感が無い。


結果が同じであり、誰に対しても障害が無ければ、やり方を変えて楽に成果を得る。

これが私にとっては普通なのですが、そうでない人もいると言う事です。

一つのチームにいて同じノルマを課せられたとき、

後者の人にとっては、

「こんなに苦しいのに更に我慢しろとか言う。上は頭がおかしい」

前者にとっては、

「他と競争している以上、標準は超えないと駄目だ。何かアイデア(効率)はないか」

という発想の違いになります。

後者の人は、最後はこう思います。

「こんなに辛いんだから、悪いことだとしても、これくらい許されるはず。
 罰するなら罰しろ。おまえらは強い立場を利用して、どうせ俺の立場
 について聞くつもりも無い。
 いずれ逆転して思い知らせたい」

こんな風になっていくようです。

最初に例として出した人は、効率化とズルの区別がついておりませんでした。

他人に迷惑を掛けないものが効率。迷惑を掛けるものをズルです。

ですが他人に対する迷惑について感度がまったくないため、

効率化をすると罰せられると思っていたようです。


次に例に出した人は、

上司と言うのは効率化がうまい人がなり、

部下に対して効率化のアイデアを出す人とだ知らなかったのが原因です。

全ての人がこのようではありませんが、

大きな案件を受けたとき、効率化のアイデアを出して皆に教えるのは必須です。

他の人が「何も考えていない」とは夢にも思わず、指示に従ったので

障害まで発展したのです。


さて長く例を出しましたが、

まずは個々人の倫理観、道徳観が間違って解釈されているケース。

次に生産の現場では、効率化だけが大事であるという暗黙知とのズレ。

これら双方は容易に貧困と結びつきます。

徐々に生活苦が増していくわけです。


さらに、

同じ状況になっても、個人によって悲観度合いが変わることがわかります。

知り合いのある大手企業の役員が退社しました。定年です。

この人は3年で自分の事業を起こして、収入を倍増させました。

もちろんここでのスタートに関しては、何の優遇措置もありません。

例えば皆さんが思い立ってやろうとしたとか、

わたしが今からやろうとした場合と、条件が同じです。

彼は単独でそれだけ出来る効率化のノウハウをもっており、

会社に勤めているときは、そのノウハウを供与している側だったのです。

しかし、そこで働く殆どの人は、定年での退職を悲観しているでしょう。


悲観した人が自暴自棄に成るのは仕方がありませんよね。

それまでの矜持は保てるのでしょうか。

殆どの人が共同生活の中で他人に依存して生活レベルを向上させています。

これは独自の効率化のアイデアで成し遂げたのではなく、

誰か突出した人のアイデアを共有して得ているわけです。

これが無くなった時、

いまの道徳観念を維持出来るかどうかは大変疑問です。


世の中が安定しているときは、個人が持つ先ほどの差異が表面化しません。

しかし、誰もが年を取ります。

そこで何もかもが破綻し、

耐え切れずに一線を越えるケースが多いんじゃないでしょうか。


本サイトでも、善悪(「私が間違っているのか?」)を論じる質問が多いんですが、

相手を言い負かしても、老後に事業を起こせるほど、

能力が高まるわけではありません。


私が思うに、

「いまは犯罪を犯していない、他に依存して自分を普通と思っている、

 自称善良な市民である、予備群」

が沢山入るように思えます。


誰もが自分の道徳観を信じています。

しかしそれを踏み外すときは必ずあります。

その人の心の中が悲観と絶望で染まっているときです。

規制緩和の思想が進み、一定等価のノルマを課す風潮になっています。

これは能力に見合ったノルマではなく、ノルマの平均値です。


これでは能力差が存在したとき、

個人毎に悲観度合いと絶望感がかわることになります。


いまは倫理的に気持ちの悪い事件が多発しています。

しかし今後は、

老人による不可思議な犯罪が多発するのではないかと思っています。


これは、

突出した人のアイデアを普通の人が集まって共有し、共に生産を行うと言う

効率化のアイデア=企業の思想の副作用です。

これに割り込めなかった人が早期に悲観し、

これに割り込んでも、そこで生活レベルを上げてしまった人が後に苦悩する。

いまの社会システムは、もう少し早く寿命がつきる社会を想定しています。

善悪に加えて、効率化の手法を教育の中に盛り込まなかったツケに思えます。


どこの国でも同じなのですが、

効率化の手法を独力で身につけた人を選んで重用します。

これが良い大学を出た人と同じグループであった時代があり、

暫定的に学歴で効率化を独力で身につけた人とする仕組みが作られたのです。

いまはここに乖離があり、機能していません。


一見して遠いように思えますが、

自分の思考を組み立てる基礎が壊れたまま、年齢を重ねている人が増えている

ことは間違いありません。


悲観し、自暴自棄になり、救いを求めるとき、

「自分は何も悪い事をしていない」

と考えてしまうか、

「いったいどういう仕組みでこうなったんだ。情報が不足している」

と考えるか。

二種類に分かれるように思えます。

自分を罰して反省しましたと、誰かに訴えたり、

こんなに反省しているのに誰も助けてくれないと、やつあたりをしたり。

こうなっては手も足も出ません。


そうした人が何で憂さ晴らしをするのか。

どういう心の状態なのか。

各自がもつ脳の中にある、現状を打開するアイデアを創出する力の違い。

これにより悲観度合いが違うわけですから、

この差の乖離分、理解不能な事件が多発するのだと思います。


長々と適当に語りましたがw

不可思議に思えるのでなぜかと問う。大事ですよ。

そしていずれ自分が歩む姿かもしれないと思うことです。

こうしたチャンスに論議をすれば、幾ばくか良くなるかも知れません。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/30 17:24

この種の犯罪は再犯率が高い。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/30 17:24

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