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カメラ初めて、5年ほどになります。

最近、何を撮りたい、どう表現したら自分の好みなのかわかりません。

恥ずかしくも機材に走ったり、俗に言うボディ沼やレンズ沼、一切を処分しました。

軍資金で立て直し、写真にのめり込んだ始まりのソニーに一本にしました。

僕自身、なにが良い写真でどう捉えたらよいのか、わかりません。

始めたばかりの頃は思ったまま、珍しく見えた光景や、ファインダー越しをただ撮っていたのに、似非技術と、道具収集に走ってしまい、迷走してました。

結局の所、やり始めに撮ったものの方が、良いです。

どのような感覚で皆様は撮りますか?

私はコンテストとかに応募したい訳ではなく、自分のその時脳で思い描いた画を後に残したいだけなのですが、余計な知識やら、構図やらが邪魔して本当に何年後かの自分に伝えたかった光景を残せません。

ど素人です。
バッシングを受けても仕方ない質問は、承知です。

ただ、シャッターを切る時、皆様はどんな気持ちできりますか?

A 回答 (6件)

最初の頃が良かったのですか・・・。

これは、典型的なマニュアル型のスランプです。
自分の中で完結して、しかも自分で勝手に良いイメージを決めているのかな?だから、満足がいかなくなったのでしょう。

それで、最初に撮った写真はどこが良かったのでしょうか?もしかして、初めてこんな綺麗な写真が撮れた、プロっぽいとか、そういう興奮を思い出しませんか?それが、写真の力ですけど。その力の意味が理解できていないのでしょう。

写真の一枚一枚には、その一枚一枚に何かこうなるのではないか、こう撮れそうだといった目的があったはずです。
本来写真は、自分の構図で決める芸術にもなりますが、その場所のその時間を焼き付けて残す手段です。だから、例え失敗したぶれぶれ写真でも、撮影された瞬間は二度と来ません。後は、それをどう演出するかどう見るかで、写真を活かすか殺すかを決めます。

それが、写真がもつ本来の楽しさだと私は思っています。
私の場合は、写真を撮って終わりにはならないので・・・。

そういう前提で考えると、質問者様はどういう写真を撮れば、果たして最高の写真になるのでしょうか?これは一つの例ですが、よくあるのが親が、子供の笑顔ばかり写真にするというもの、それ以外は失敗で削除します。本来、子供の笑顔だけではなく、泣き顔、怒り顔、ぶれた写真などいろいろあります。足だけとか・・・。私が撮る写真は失敗も含めて、削除せず保存され、最終的に貼り合わせて動画になります。

写真はそのときのモデルや自分が見て可愛い、格好良いなどというだけの集まりでは、実はスナップで残る息づかいのある写真としては不合格です。後から思い出として記憶がよみがえる方が本当は哀愁があったり、楽しい風景だったりするのですよ。だから子供なら動きが速くてぶれているシーンがあれば、その子が将来自分は元気に動いていたと、大人になって感じたり、親が思い出を語る機会にもなるのです。最近は、デジカメの影響で綺麗な写真を残す人が多いですけど。

これが、私の考える写真のセンスです。


ちなみに、幻想的なまたはプロ的な写真も撮りますけど、
子供がテーマなら、例えば斜めに15度~30度傾けて、手前のおもちゃにピントが合い。奥の子供が別のおもちゃで遊んでいるとかもありますけど。これが、幻想的、プロのような撮影になるでしょう。

風景などは、何十分~何時間と掛けて撮影することも・・・。こういう写真は、本当に趣味ですから、撮りたいと思った写真が撮れるまで粘ることになる。こういう時の感覚は、普通に撮りたい程度です。それがうまくいかなくとも、私はあまり深く考えず、むしろRAW画像を伸張する際に、エフェクトなどで遊ぶかな・・・。特にコントラストなどの問題があれば、セピアやモノクロにして、輝度を調整すると良い写真になることもありますからね。

構図は場合によってはトリミングでも良いですし・・・。

プロ的な写真は確かにあこがれる人が多いですけど、写真家でも全く違った写真を撮りたくなることはあると言います。即ち、写真というのは自分で勝手にセンスを決め始めると、ほぼ単調な写真になり、本人も周りも面白い写真を撮る(れる)とは思わなくなります。質問者様が、もし昔は良かったと思うなら、それはきっと同じものをもっと良くしたいとおもっているのかもしれません。要は、訳の分からない型にはまったのですよ。いわゆるスランプです。

きっちりきっちりと形から入る人に多い傾向です。綺麗に撮ろう。こうすれば将来の自分に残せると思って撮ってはダメですよ。撮影に苦労した思い出とか、この写真はダメだ削除したいと思ったエピソードを後になって、そんなことを考えたなと写真に対して思えるようになったときに、きっと本当に良いと思える写真になるでしょう。

写真は撮影方法も大事ですが、撮った後に写真に対して何を記憶のセットとして残したいかによります。情景の色合いなど実は芸術として扱うつもりがなければ、どうでもよいのです。
悪い思い出か、良い思い出か、涙したか、笑ったか、怒ったか・・・寒かった、暑かった、大きかった、壮大だった、待ったとかいろいろあるはずです。それらを一緒に残すと、世間にある知識や構図といったものを超越して、経験や知識を活かせるようになり、ある時にはこれはプロのような良い写真だとおもうような写真も撮れるでしょう。

そこが大事です。
写真は、撮ること残すことを楽しんで撮影するものです。仕事でなければ、こうならないああならないと思って撮影するとどんどん写真が嫌になりますから、気をつけてください。
尚、どうしてもこだわりと昔の写真が良かったと思う考え方が抜けないなら、写真を趣味にするのは向いていないのかもしれません。
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この回答へのお礼

どなた様も熱い回答ありがとうございます。

一度、写真を忘れる、再び初心にかえる
共通して皆様が仰る通り、自身、重たい機材を捨てて、コンデジから初めて見ようと思います。

この度はより具体案を頂いた回答にベスト付けましたが、どなた様の意見も全て私の糧として、幾度も読み返したいと思います。本当にありがとうございました!

お礼日時:2014/12/01 12:40

最初は、何でもそれなに撮れたら嬉しい。


其の内、我流では飽いて来る。それを打破する為に機材に頼る。
そう言うマンネリのループだと思います。

そう言う時期は、写真を撮るのを暫時休憩。その代り、出来るだけ多くの人の作品を鑑賞する。
それは、カメラ雑誌でも良いし、グループ展でも良いでしょう。
その中に、必ず俺もこんな写真が撮れたらと思う作品が有る筈。それが貴方の感性です。

要は、どう言うジャンルの写真を撮りたいか?
その方向性が決まらいと、必要な機材さえ決められません。
勿論、機材と技術は車の両輪。
どんなジャンルの写真を撮るにせよ事前の情報収集は欠かせません。
それでも、風景写真なんて、一期一会。忍耐も必要です。
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全くもって質問に対する回答じゃねーんだがw



>どのような感覚で皆様は撮りますか?

「他人の理由」聞いてもなぁ~んも意味無いぜ?
それ聞いて他人のマネでもするの?それで満足できるの?

そーゆー時はとりあえず暫く写真のこと一切忘れてカメラを封印しとくんですよ。
で、そのうちにどーしても写真が撮りたくなってきたら撮りゃーいいんです。
封印してるうちにカメラなんてどーでもよくなってくるようなら質問者様にとっての写真ってその程度のものだったってことですしw
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「自分のカメラ」というものを持ち続けて約40年のド素人です。

写真幽霊部員歴は通算すると約5年かな。デジカメに替えて2年かな。機材名言われてもわからないので勘弁してください。

私はなにしろ、撮りたい時にしか撮りません。たいてい旅先で撮りたくなるのですが、逆に言えば、旅をしていない時には一切カメラに触れない時期もあったほどで、フィルムが何度か露光気味になってしまいました。構図? 知識? たまに思い出し、実行し、さらなるド素人に「構図が変だ」とか言われます。

デジカメ、うすっぺらくていいですね。ハンドバッグにもポッケにも入るので、ここ数年は常にガラケーかデジカメのどちらかを持ち歩いています。四季折々に散る花々、ひとつとして同じものがない夕焼け、撮りたくなると撮ります。ガラケーしか手元にない時には、撮りあえず撮って、気が向くと出直してデジカメで撮り直します。散歩のきっかけになって、運動不足の私には最適です。

みんな、食べ物撮りますね。あれ、嫌いです。人の表情をとるのが好きです。でも近ごろは個人情報保護がネックですね。しばらく前に、屋外のカフェで日向ぼっこしてたら、リタイヤ組とおぼしき"お兄様ら"が「撮らせて」と言ってきました。「いいですよ。その代り・・・」と言ってこちらも彼らをパシャリ。

内容によって、デジカメに残したり、USBメモリに移したり、プリントしてアルバムに入れたりします。撮るために出かけたりしたのは、写真部を最後に辞めて30年、していませんね。外に出て、地球が愛おしいと思うと、自然に写真に残したくなりますね。あるいは、ステキなものをいただいて、その人を愛おしいと思うと、いただいたものが太陽の光と交わるのを待って撮りたくなりますね。

写真は被写体ではなくて、撮影者の視線ですよね。だから写真を見返すと、撮った時の自分の気持ちを思い出しますし、撮られた写真は、撮った人を見ていた自分を思い出します。あ、日付も自動で入れてます。昔はダサいし邪魔だと思っていましたが、それも写真という記録の一部だと思うようになりました。日付を手で隠して見れば、奥行きは広がります。デジタルは編集も便利ですね。

だいたい、そんな感覚、そんな気持ちで撮ってます。
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コレ撮りたいな、くらいかな。



被写体の気持ちや自分の気持ちも写る・・・
なんてことは、考えていません。
感動しながら切れば、その思いも忠実に写しこむ
そんなことも考えていません。

ただ、やっぱりその写真を自分だけではなくて
家族やら友人やらに見てもらいたい
その瞬間を共有したい、とは考えます。
そうなると、自分の思い通りい写ればいいのですが
全部がそうなりません。
やっぱり、何枚かのうちの1枚2枚が人に見せられる写真です。
私の能力では、一発で決められません。
なので、写真は数撮ってなんぼ!と思っています。
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写真にかけた時間やお金がもったいないのできっぱりやめてしまうことができないのかなとも思いました。

写真を趣味の物作りの一種と考えた場合、やり直しがきかないところが特徴だと思います。ちょうど人生やり直しがきかないことに直結します。道具に凝るのも趣味の大切な要素です。
 私のような凡人は、日常生活の中で残しておきたい物事なんて何もありません。せいぜいバスの時刻表と病院の予約くらいです。
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