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キリスト教に興味があり、いろいろ調べていたのですが、
プロテスタントの宗派について少し分からない事があります。

たとえば、プロテスタント宗派Aの教会で洗礼をうけた人が転居し、
転居先の家から一番近い教会がプロテスタント宗派Bであった場合、
毎週の礼拝は宗派Bの教会でも大丈夫なのでしょうか?
それとも、多少遠くても同じ宗派Aの教会まで通う必要があるのでしょうか?

転居したカトリック教徒が、近いからという理由でプロテスタントの教会に行く事は無いと思うのですが、、、、


プロテスタントの宗派間にどれくらいの垣根があるのかがわからず、質問させて頂きました。

どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

宗教教団、と云うのは信仰の対象ではなく、信仰の対象に連れて行ってくれる“乗り物”ではないでしょうか。



 精神的な拠り所として“宗教”は存在します。
 そしてそれは仏教では釈尊が、キリスト教ではイエスが体現し、表現したようです。

 その教えを直接学ぶのが正しい方法だと思いますが、いかんせん独学と云うのは余程頭が良く且つ意志が強くなくてはままなりません。

 そこで頼るのが“教団”です。

 でも、ここで間違い、勘違い、が起きるんです。
 教団の教えが“真実”なんだと。

 教団の教えはあくまでも真の宗教に対しての教団の“解釈”でしかないのです。
 教団の教えはあくまでも参考程度にして、本来の“独学”の促進に役立るという賢さを発揮してください。

 “乗り物”に乗るにはその乗り方に合わせなければ乗れません。
 その“乗り物”に乗ることに、さしたる抵抗を感じないのであるならば、乗って楽ちんに宗教の道を進めば良いのです。

 乗り心地の良い教団はいっぱいあると思います。
 でも、自身の宗教心(わたくし独自の心)を見失わないように。
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>たとえば、プロテスタント宗派Aの教会で洗礼をうけた人が転居し、


>転居先の家から一番近い教会がプロテスタント宗派Bであった場合、
>毎週の礼拝は宗派Bの教会でも大丈夫なのでしょうか?

転会は、双方の牧師が了解し、
それぞれの教会の役員会で承認されれば全く問題ありません。
教派が違うという理由で受け入れない例はまずないと思います。
*信徒に問題行動があって、受け入れを拒否される場合は少なからずあります

教会間では問題がなくとも、信徒が、
転会してから、教えが違うと違和感を抱く場合があります。
ですので、可能であれば同じ教団の中で移動した方が無難かとは思います。
しかし教派寄せ集めの教団もありますから、いちがいには言えません。

同様に、カトリック教徒が、
プロテスタントの教会に行くことも問題はありません。
が、違和感という点では上と同じです。

プロテスタントの信徒がカトリックへ転会する場合、
私の知る限りでは、見習い期間のようなものがあるようです。
送り手側の牧師が転会願いを出しても、
すぐには受け入れられない場合が少なくなさそうです。
だいたい半年~1年くらいは客員の状態にあるようですね。

けっこう多いのは、籍を母教会に残したまま、
教会生活は近くの教会でというパターンでしょうか。
学生が住民票を実家に置いたまま下宿をするような感じですね。
でも、下宿先にNHKが集金に来るように、籍が母教会にあっても、
近くの教会に献金等をしなくてもいいというわけにはいきません。
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ちょっと長いですが前置きから。



あらゆる宗教は、その根源的な構造・性質から、思想の内容にかかわらず
例外なく組織化しますし、また、分裂していく性質を持っています。
だれが悪いとか、敬虔さの問題ですらなく、
組織化しない無教会主義は、その思想を世代間で維持継承できないのです。



そして宗教に限らず、組織が勢力を得ようとするときには
他の勢力を攻撃し、貶めるというやり方が
検討されることがあります。

現代の考え方の基準となっている自由主義(資本主義)では
現実の利得を考え方の基準とするために、損を生むことを論理的に示して
『攻撃』という選択を否定することが可能です。
ですが、宗教団体は想念として思想・解釈を基準に置く以上、
思想・解釈が異なる勢力を根源的な部分では肯定できないのです。



それがたとえ攻撃を否定する宗教であっても、
この構造からは逃れられず、思想を守る戦い、として
つまり『例外』としてそれは許容され続けてきました。

残念ながら友愛を謳うキリスト教は歴史上、この傾向が
最も顕著な宗教でもあり、現代のテロ組織が行っているような
他の宗教の神殿に斧を持って乱入し神の像を打壊すなどというのは、
その成立初期において日常茶飯時でもあったわけです。



とはいえ資本主義が数理的に攻撃を否定していることからも
分かるように、攻撃の継続は自身を疲弊させ、
組織そのものの存立を危うくしていきます。
疲弊した結果、次に取られる選択が『例外の例外』。
つまり『妥協』です。

この選択を維持するためには、
『相手の独立を認め、勢力圏を犯さない』ことが重要です。
より積極的にこの妥協を維持しようとするときには、
連絡のための会合が持たれることがありますが、ある程度の資本が無ければ
負担も大きく、一般的には不干渉、つまりは完全に独立し、
さらに分裂・先鋭化を繰り返していっているのが現状です。





という前提を踏まえて回答です。




プロテスタントの宗派間の垣根は非常に深刻です。



実は教会単位ですら思想がかなり違います。成立の歴史から、
万人祭司という根本原理を選択せざるを得なかったため、
成立当初からプロテスタントが他の宗教より鮮明に影響を受けている
構造でもあります。同じプロテスタントだから、
と別の教会に行けるわけではありません。
なぜなら、名称が似ていても根本の考え方が違うからです。


ただし、完全に同じ宗派ではなくとも、同系列の組織であれば、
『連絡会』という形態を採ってある程度の相互交流や、
転居者の受け入れなどを行っているようですよ。
もちろんそれも所属する教会次第、ではあるでしょうけれど。


無駄でばかばかしい、といえばそれまでですけれど、
どの宗教でも程度の差でしかなく、年月を経れば、
こういう形態に変質し、さらに分化ていくでしょう。
それはキリスト教に限らず、構造上全ての宗教で起こることなのです。
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垣根が問題なのかな!?・・



全宗教の最終目的は 全人類の幸せ・・・

宗派に依って異なり 派閥関係が生まれてる・・と言う事は・・その宗教自体 間違ってると言う事にしかならないと思うが・・・!?

全人類の幸せを願ってキリストは救いの為に降臨したのに 十字架背負って それでも尚 キリストの本当の目的を見い出せないで宗派がどーの・・・なんて 神の想いを解かって無いだけ・・・
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