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奈良時代の寺について見ておりますと、

母屋の周囲から庇がでていると記載がのっているのですが、

一般的な軒として見えてしまい、軒という言い回しをしては

よろしくないのか疑問に思っております。

ご意見伺えればと思います。

質問者からの補足コメント

  • 丁寧な説明ありがとうございました。

    文の中で、
    実際の屋根は、庇より伸びているとありますが、

    現代の家の屋根は、現代の庇とよばれるものより長く伸びている。

    と言い換えるのでしょうか。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/11 19:56

A 回答 (2件)

補足ありがとうございます。


現在の庇と寺院建築の庇でも共通している面はあります。
庇は、屋根より低い位置に張り出している事です。
寺院建築の場合は、身舎の上に母屋を組んで屋根をつくり、それから伸ばすように庇の屋根をかけます。
ここで注意して欲しいのは、今我々が庇と呼んでいる部分は、庇の屋根の部分だと言う事です。
寺院建築では、庇の屋根と床で囲まれた部分が庇と呼ばれます。
たとえて言えば、縁側に庇がかかっているとしたら、縁側と庇を含めて、庇と呼ぶと言う事です。
平面的には、身舎が本堂で、その周りを囲むように庇があると言う事です。
身舎と庇の床のレベルは同じです。
そして、庇の外部には、壁又は戸(障子などの場合もあります)があると言う事です。
庇の外側には、同レベルの床の縁があります。
縁の上部は、現在軒と呼ばれる部分になります。
これが、庇の外側に軒があると言う意味です。
このような構造になっているのは、大架構が組めなかった為です。
構造的には、身舎と庇の梁は通っていません。(庇の梁の方が身舎の梁より下の位置にあります)
庇を張り出す事によって、大架構のような平面を作っているわけです。
さらに、孫庇などを張り出す事によって、平面形を大きくしました。
当時の技法では、基本的な小屋組みは奥行き二間(この間は、長さの間では無く、柱3本で、柱間が二つと言う意味です)しか実現できませんでした。
これに、庇を一間(柱を1本足して、柱間が三つになります)延ばす事によって、三間四面(間口が三間で、庇一間が四面)や五間四面(間口が五間で、庇一間が四面)の平面を実現したわけです。
現在の庇は、屋根とは独立して外壁についています。
したがって、屋根の下に庇が出ていると表現するのが正しいでしょう。
庇の上の屋根が張り出した部分は、軒であり、その下側の天井は軒下です。
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この回答へのお礼

現在の屋根は、屋根からはみ出した部分を軒。
屋根とは独立して外壁に付いているのが庇。

奈良寺院の屋根は、母屋、そして下るように庇が伸びた構成をしていた。
庇は身舎と母屋以外で建築物の空間を取るための技法だった。
空間を構成するためなので、身舎も庇の床も廊下も同じ床の高さで構成されていた。
庇には壁と戸が付けられ、壁や戸からはみ出している屋根の部分は軒と言えるのですね。

そしてこの時代は大架溝、梁などの建築技法がなく、
間取りを取る方法に大きな制約があったということでしょうか。

解釈が異なっていたらご指摘下さい。

じっくりと読ませていただきました。
詳しいご回答、誠にありがとうございました。

またなにかございましたら、ご教示願います。 m(__)m

お礼日時:2015/05/11 23:03

まず、奈良時代の寺院建築の場合の庇は、我々が一般的に言う庇とは違うものです。


寺院建築の場合は、身舎(みおも)と呼ばれる本堂部分の外側と最外部の柱との間に通路状の空間が生まれます。
古くは、この部分に本堂とは別に、屋根が掛けられていました。
この最外部の柱と身舎との間の部分を庇と呼びます。
実際の屋根は、庇より外側に伸びています。(この部分が一般的に軒と呼ばれる部分です)
我々が現在、庇、軒と呼んでいる部分は、外壁から外側に突き出してる屋根の部分です。
寺院建築の庇とは違うものですから、軒と表現するのは間違いと言えるでしょう。
この回答への補足あり
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