プロが教えるわが家の防犯対策術!

先日、源義経について、加来浩三氏のお話をラジオ放送で興味深く聞きました。
あの当時、合戦には作法があったそうです。
義経は、そのような作法に拘わらなかった、そうです。海戦では、漕ぎ手を射ることは、作法から外れていた、のだそうです。一ノ谷の鵯越では、周囲からこの戦を反対されたそうですが、その理由は、道が険しい、ということでなく、奇襲することは作法に違反している、ということだったそうです、
戦には強く、勝利するが、作法を守らぬ義経は、当時の人々には悪評だった、そうです。
源義経は、合戦の作法を守らなかったので、当時の人々には評判が悪かったのですか?

A 回答 (2件)

その通り


「作法がどうのこうの言っても、負けてしまえばお仕舞い」
というのが明確になったので、それ以降の合戦では鏑矢を交わして名乗りを上げてという儀式をしてから合戦に及ぶと言うのが無くなった
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<それ以降の合戦では>
は、
<儀式>
が無くなり始めたのですね。当時でも、古き良き時代が、懐かしいという人々がいたのでしょうね。

お礼日時:2015/05/22 08:52

合戦の作法を知っていたからこそ、その作法でしない事をして勝てたんです。



悪い評価をしてるのは負けたほうであって、勝ったほうは特に何も言っていません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
昔は良かったねぇ、戦だってのんびりと雅びだったな、と言ったことでしょうね。

お礼日時:2015/05/22 09:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!