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私は18歳の高校3年生です。

・突然選挙権を得たこと
・たくさんの政党があること
・日本が重要な分岐点にいること
他にもたくさん理由があるのですが、これから選挙があると思うととても不安です。

学校では日本史と現代社会を履修しているのですが、
こんなことなら政治経済もとっておけばよかったと思っています。

今まで選挙に行ってきた方の中で、
立候補者を選ぶときに気を付けていることはありますか?
アドバイスをお願いします。

A 回答 (9件)

分割の三つめです    


 貼り付けが混乱しています。見にくいでしょうが勘弁してください。 

私の基準
 都道府県議会議員選挙や国会議員選挙は「思想」の戦いになります。思想とは資本主義であったり、共産主義、社会主義、社会民主主義という経済面での思想の違いと、自由主義と平等主義という人間本来の持つ面からの違いもあります。ところで学校では「自由と平等」について教わったと思いますが、学校の社会科では「自由と平等は何よりも大切だ」と教えています。反対論的に言うと、これは「自由と平等が両立する」と教えていることになります。しかし、自由と平等は絶対に両立しません。先生たちが自由と平等の関係を正しく知らないため(もしくは全く知らないため)生徒に誤ったことを教えているのです。ま、先生たちが私のような法律の専門家でないから知らないのも当然ですが、大学で憲法を学んだ程度でも知らない人は沢山います。
 金持ちと貧乏人が経済競争したら金持ちが勝ちます。同じ能力学力でも親が金持ちの子なら月謝の高い有名進学塾に行けますし、親が貧乏なら町の進学塾にさえ行けないかも知れません。足の速い子と遅い子が駆けっこしたら速い子が勝ちます。背の高い子と低い子が手の届く高さを比べたら背の高い子が勝ちます。頭のいい子と悪い子なら成績は頭のいい子が上になるのは決まっています。
 つまり人間には、親や家庭、経済力など本人の責任ではない環境上の条件、本人の肉体や能力など、その違いによって必ず差が出来ます。平等ではないのです。それを平等にしようとしたら自由を束縛して能力のある子に能力を発揮させないとか、能力のない子に下駄を履かせるという不平等な取り扱いをするしかありません。つまり自由にしようとしたら不平等を認めるほかなく、平等を実現しようとしたら不自由にするしかないのです。自由と平等は両立しないのです。
 そして自由を尊重するのが資本主義で、平等を尊重するのが社会主義です。資本主義は本来「強い者が勝って当然」という思想ですが、弱い人がいるのが社会で、強い人だけで生きて行けるわけがなく、弱い者がいてこそ強い者がいるのだという考えから、現代社会は「強い者のためにも弱い者を守らなければならない」という社会思想になりました。
 今の社会保障や福祉は全て19世紀のドイツで社会主義革命を恐れた資本主義者たちが社会主義思想を採用したための制度です。日本は「唯一社会主義が成功した国だ」と言われてきましたが、小泉内閣の構造改革路線といわれる規制緩和によって強い者はより強く、弱い者はより弱く、金持ちはより金持ちに、貧乏人は一層貧乏に、という考え方が如実に現れて社会保障や福祉が切り捨てられる傾向が強くなっています。
 そうした一つに非正規労働者という言葉があります。日本史で江戸時代に「士農工商」という身分制度があり、さらにその制度外で「・」という人たちがいたと教わったと思います。「」ですから「人にあらず」で、人間でないということで、実にひどい言葉です。
 私は非正規労働者は現代の「・」だと思っています。日本国が「この人たちは正規でない」と認めたわけで、
正規でないと認めたことで「労働法で保護される労働者でない」と認めたことにつながるのですから、制度外の人ということで現代の「・」なのです。
 今の経済は非正規労働者に多くを頼っています。非正規労働者の不平等な存在のお陰で高い利益を出している企業は珍しくありません。多くの非正規労働者のお陰で産業と経済が回っているのは事実です。ところが、その非正規労働者たちは事実上、国から見捨てられているのです。
 人が人らしく生きられる社会、人として誇りを持てる社会、希望を持てる社会、そういう社会でありたいと思っているのですが、儲けるのが大切だとか、弱い者は負けても仕方ないとか思う人たちの方が強過ぎますね。あなたはどういう社会を望みますか?。
 私は、人を尊重する政治家、人を大切にする政治家を選ぶように心がけています。 これは思想の問題ですから共鳴しろとか同調しろとかは言えませんが、日本の豊かな人たちは「どんな金持ちでも人は自分だけでは生きられない。他人を大切にしないと結局は自分を大切にしないことにつながる」という昔から日本人が持ち続けてきた考えを捨ててしまっているようです。私は、自分を何よりも大切にしていますが、そのためにも人を大切にしなければならないと思っていますし実行しています。18歳のあなたは、これから先、どういう大人になり、どういう思想を持ち、どういう生き方をして行くのでしょう。

 消極的選択の方法
 政治も政治学も何も知らないんですから、理解するにはまだまだ早いと思いますが、「これだけは知っておいた方がいい」というものをお教えしましょう。
候補者は必ず「私はこれを実行します。あれをやります」と訴えます。これをあなたの学校の生徒会長選挙と比べてみましょう。まず「あれをやる、これもやる」が本当に実行出来ることなのか、という問題があります。それは候補者個人の能力や資質で出来たり出来なかったりすることでもあれば、校則や生徒会規則など個人の能力とは関係ない部分で出来たり出来なかったりもするということで、候補者が、そうした様々な制約や条件をどのように捉え理解した上で「あれをやる、これもやる」と訴えているのかということです。そんなことを何も考えず口から出まかせみたいに「あれをやる、これもやる」と訴えているのなら、人間として落第で、そのレベルで失格というほかありません。
 しかし、候補者というものはどこの国のどの選挙でもそうですが、出来ないとわかっていても「あれをやる、これもやる」と言うものなのです。つまり有権者に嘘を言うのです。政治家は「政治とは国民に嘘を言うことだ」と理解しているのではないかと思いたくなる人が沢山いますが、出来っこない公約を並べ立てるのは、まさしく嘘を言うのが政治だと思っている政治家なのは間違いありません。
 さて「あれをやる、これをやる」と言っても、政策の実行は実行を命じる法律の根拠が必要ですし、政策には必ず予算の裏付け、つまりお金が必要です。法律が実行を命じ、且つ予算がなければどんな素晴らしい政策も実行出来ないのです。それで、もし私があなたなら、候補者が「あれをやる、これもやる」と訴える時、予算の余裕があるのかどうかを調べますが、18歳のあなたにはそれは無理ですし、普通の大人にもそれは無理です。
 それで次善の方法です。「あれをやる、これをやる」と言っても一人では出来ません。議会で議決するには過半数の賛成が必要です。ということで、議員が立派な人で「あれをやる、これをやる」と頑張っても、予算の関係などで出来ないことの方がはるかに多いのです。あなたでもそのことは分かるはずです。夢と現実のギャップです。
 ところが、どんなお馬鹿さんでも必ず実行出来ることがあります。それは何か?。「あれをしません。これはやりません」という約束です。何かを作り何かを制度化するというのは予算や法律、そして賛成者が少ないなどの理由で出来ないことは珍しくなく。出来ないことの方が多いものです。そして人間はそのことを知っていますから、出来ないからと言ってその人間を「約束違反だ」とあまり責めないものです(主権者が責めないため、平気で公約違反する議員も珍しくないのですが)。
 ところが「しない」というのは何にもしなければいいだけですから誰にでも出来ます。例えば「私は道路交通法違反をしません」と約束したとしましょう。自動車運転をしなければ道路交通法違反をしませんから簡単ですね。そして選挙で「あれをしません。あれに反対します」という「あれ」は、例えば増税や年金削減のように、国民の多くが嫌い反対しているものです。何にもせず黙っていれば増税もなく年金も削減されないのに、議員が選挙の時の公約に違反して増税と年金削減に賛成するから増税され年金が削減されるのです。
「しない」というのは誰でも出来る至極簡単なことです。それにもかかわらず誰にでも出来る「しない」ということを、わざわざ裏切って「する」のですから、「あれをします」と言って出来なかったのと比べたらものすごく悪質だということが分かります。本物の悪人、本物の嘘つきです。
 勉強して投票しましょう。
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分割の二つめです



選挙の持つ意味
 選挙は未来に向けて行われますから、誰に政治と自分たちの未来を託すかという意味があります。学校ではその程度のことは教わったでしょう。しかし、選挙の意味はそれだけではありません。これはとても大事なことですが、政治は選挙権を持つ18歳以上の人だけの問題ではなく、選挙権を持たない18歳未満の人の将来にも関係するということです。つまり、あなたが一票を投ずる選挙の持つ意味は、あなたの妹さんや弟さんの未来にも、そして将来あなたが結婚して持つだろう子供にも関係しているということです。「今から子供の心配までしろって言うのかよ」と思うかも知れませんが、例えば社会保障や福祉、その他の制度は先々まで存在し続けたり廃止されたりするわけで、当然、あなたが持つだろう子供にも関係するのです。
 あなたの一票はあなただけのものではなく、選挙権を持たない人のためにもある一票なのです。一票はとても重いのです。そして一票の重さは18歳のあなたも年寄りの私も、金持ちも貧乏人もみな同じです。文字通り正に平等なのです。真剣に考えて大切に一票を行使しましょう。
 中には「俺が投票しても政治は変わらない」とさかしげなことを言って棄権する人もいますが、棄権は不戦敗と同じで、以後、次の選挙まで政治に対して不満や文句を言う資格を失います。勿論、法律がそうなっているというのではなく、投票は自分のイエスやノーという考えを政治にぶつける働きを公式に保障する機会ですから、棄権したら折角の機会を放棄して「私は政治に対して文句を言いません」と宣言したのと同じだからです。確かに一人の持つ一票は軽いです。しかし、軽い一票が日本の政治をひっくり返し続けているのが細川内閣誕生以後区の日本の傾向で、政治家たちはその軽い一票の争奪に血道を挙げるわけです。
 政治学には「国民が主権者なのは選挙の時だけだ」という言葉があり、それはしばしば真実なのです。国民は選挙の時だけ有権者、主権者として大切にされ頭を下げられるが、当選してしまえば洟も引っかけてもらえず無視されるという意味です。それだけに誰に投票するかはとても大切なことです。

 誰に投票するか
 非常に簡単に言うと「思想」を選ぶか「人」を選ぶかです。別の言葉で言うと候補者の属する「政党」で選ぶか、政党に関係なく「候補者個人」を見て選ぶかということです。ここで「思想」とは必ずしも資本主義か社会主義か、自由主義か平等主義か、といったようなことばかりではなく、広く候補者がどのような考えで政治に向かおうとしているかという「考え」のことです。「考え」を難しく表現したのが「思想」という言葉です。
 そして思想は候補者の能力や人物とそれほど関係ありませんが「人」は関係します。どんなに人柄がよくても能力が落ちれば政治家としては落第ですし、能力があっても人柄が悪ければこれも困ります。ですから小生は思想を基準に選びます。
 ただ、市区町村レベルでは議員よりも首長と呼ばれる市区町村長の持つ政治的力の方が遥かに大きく、議員たちがさほど能力を持っていないこともあって議員選挙で思想による選択は余り意味を持たないとも言えます。事実、市区町村議会議員選挙では候補者が政党名を名乗ることは少ないため、政党で候補者を選択するのは無理でしょう。案外、隣のおじさんだからとか、同じ町内の人だからといった理由で投票していると思います。市区町村議員選挙も大切なことは間違いありませんが、市区町村の行政については議員よりも市区町村長の方により重要性が見られるということです。
 都道府県議会議員選挙になると候補者個人ではなく完全に政党、思想による選択になります。このレベルの選挙では選挙区の範囲が広くなって有権者が候補者個人を知ることが極めて少なくなるので、そのことからも政党や思想での選択になります。またこの選挙では、候補者は大概、政党名を名乗りますし、無所属という人でも言ってることで政治思想が分かります。
 あなたの好きな人が立候補したとして、その人があなたの嫌いな政党に属していたり、反対にあなたの応援する政党の候補者があなたの嫌いな人だったりということは珍しくありません。応援する政党と応援する候補者が必ずしも一致するということはないのです。一致していたら簡単ですけどね。

 政治思想
 都道府県議会議員選挙や国会議員選挙は政治思想がぶつかり合う「思想」の戦いになります。思想とは資本主義であったり、共産主義、社会主義、社会民主主義という経済面での思想の違いと、自由主義と平等主義という人間本来の持つ面からの違いもあります。ところで学校では「自由と平等」について教わったと思いますが、学校の社会科では「自由と平等は何よりも大切だ」と教えています。反対論的に言うと、これは「自由と平等が両立する」と教えていることになります。しかし、自由と平等は絶対に両立しません。先生たちが自由と平等の関係を正しく知らないため(もしくは全く知ら選挙の持つ意味
 選挙は未来に向けて行われますから、誰に政治と自分たちの未来を託すかという意味があります。学校ではその程度のことは教わったでしょう。しかし、選挙の意味はそれだけではありません。これはとても大事なことですが、政治は選挙権を持つ18歳以上の人だけの問題ではなく、選挙権を持たない18歳未満の人の将来にも関係するということです。つまり、あなたが一票を投ずる選挙の持つ意味は、あなたの妹さんや弟さんの未来にも、そして招来あなたが結婚して持つだろう子供にも関係しているということです。「今から子供の心配までしろって言うのかよ」と思うかも知れませんが、例えば社会保障や福祉、その他の制度は先々まで存在し続けたり廃止されたりするわけで、当然、あなたが持つだろう子供にも関係するのです。
 あなたの一票はあなただけのものではなく、選挙権を持たない人のためにもある一票なのです。一票はとても重いのです。そして一票の重さは18歳のあなたも年寄りの私も、金持ちも貧乏人もみな同じです。文字通り正に平等なのです。真剣に考えて大切に一票を行使しましょう。
 中には「俺が投票しても政治は変わらない」とさかしげなことを言って棄権する人もいますが、棄権は不戦敗と同じで、以後、次の選挙まで政治に対して不満や文句を言う資格を失います。勿論、法律がそうなっているというのではなく、投票は自分のイエスやノーという考えを政治にぶつける働きを保障する機会ですから、棄権したら折角国家が保障した権利を放棄し「私は政治に対して文句を言いません」と宣言したのと同じだからです。確かに一人の持つ一票は軽いです。しかし、軽い一票が日本の政治をひっくり返し続けているのが細川内閣誕生以後の日本の傾向で、政治家たちはその軽い一票の争奪に血道を挙げるわけです。
 政治学には「国民が主権者なのは選挙の時だけだ」という言葉があり、それはしばしば真実なのです。国民は選挙の時だけ有権者、主権者として大切にされ頭を下げられるが、当選してしまえば洟も引っかけてもらえず無視されるという意味です。それだけに誰に投票するかはとても大切になります。

 誰に投票するか
 非常に簡単に言うと「思想」を選ぶか「人」を選ぶかです。別の言葉で言うと候補者の属する「政党」で選ぶか、政党に関係なく「候補者個人」を見て選ぶかということです。そして思想は候補者の能力や人物とそれほど関係ありませんが、「人」は関係します。どんなに人柄がよくても能力が落ちれば政治家としては落第ですし、能力があっても人柄が悪ければこれも困ります。ですから小生は思想を基準に選びます。ただ、市区町村レベルでは議員よりも市区町村長の持つ政治的力の方が遥かに大きく、議員たちがさほど能力を持っていないこともあって議員選挙で思想による選択は余り意味を持たないとも言えます。事実、市区町村議会議員選挙では候補者が政党名を名乗ることは少ないため、政党で候補者を選択するのは無理でしょう。案外、隣のおじさんだからとか、同じ町内の人だからといった理由で投票していると思います。市区町村議員選挙も大切なことは間違いありませんが、議員よりも市区町村長の方により重要性が見られということです。
 都道府県議会議員選挙になると完全に候補者個人ではなく政党、思想による選択になります。このレベルの選挙では選挙区の範囲が広くなって有権者が候補者個人を知ることが極めて少なくなるので、そのことからも政党や思想での選択になります。またこの選挙では、候補者は大概、政党名を名乗りますし、無所属という人でも言ってることで政治思想が分かります。
 あなたの好きな人が立候補したとして、その人があなたの嫌いな政党に属していたり、反対にあなたの応援する政党の候補者があなたの嫌いな人だったりということは珍しくありません。応援する政党と応援する候補者が必ずしも一致するということはないのです。一致していたら簡単ですけどね。
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法律家の一人で、かつて法律を教えていた者として『選挙』についてお答えします。


長いので分割します。

『選挙』には形式的な意味と実質的な意味という二つの意味があります。形式的な意味とは、選挙の方法のことで、立候補制か推薦制か、投票制かそれ以外の制度か、などという選挙の実施方法についてのもので、実質的な意味の選挙とは、誰に投票するか、誰を選ぶかということです。あなたが知りたいのは後者の実質的な選挙のことかと推察します。

 18歳なんですね。私の孫の齢ですよ。私たちの世代には小学校から高校までクラス委員や生徒会長などを決める『選挙』がありました。ドイツの法学者のハンス・ケルゼンという人は家庭や学校や会社など、人が属する様々な社会がそれぞれ小さな国家のようなものだという多元的国家論を言いましたが、小学から高校まで児童生徒が平等な一票をもって生徒会会長や副会長などを選挙するのは正しく一つの小さな国家の民主主義のあり方です。ですから投票というものの意味は分かっていると思います。
 私が生徒だった半世紀以上も前、学校という極めて小さく、しかも校則などの制限のため自由度はほとんどないくらい低い社会ながら、候補者や候補者を応援する人たちが結構熱くなっていろんなことを訴えて選挙運動をしていたことを思い出します。大学ではどうだったんでしょうか。学生自治会はありましたが選挙があったかとなると全く覚えていません。勉強漬けの一日24時間365日でしたから。

 民主主義と選挙
社会科で国民が主権者だという民主主義、主権が国民にあるという主権在民は教わりましたね。国民が主権者という意味は、国家の究極の権利が国民一人ひとりに帰属し依拠するということです。学校で教えられる民主主義はそういうもので、それは政治制度としての民主主義のことです。私の事務所に来る高校の先生たちは「国民が主権者なのが民主主義だ」と思っていますし、それしか知りませんよ。でも国民が主権者というのは政治制度面に現れた民主主義の一つの形態に過ぎず、民主主義はそんな軽く簡単で単色なものではありません。民主主義の本来の意味はそれとは違い、もっと深く難解なもので研究者でなけば分かりません。憲法も政治学も専門家でないどころかちゃんと学んでいない学校の先生は知りませんし、知らないから教えることも出来ないのですが、ここではそれはパスしましょう。いずれ機会があったら民主主義とはこういうものだということを教えてあげます。ということですから学校の先生に民主主義と民主主義の働きの一つである選挙について聞くのはしばしば間違いですし、答えは必ずしも正しいとは言えないでしょう。
 
 選挙とは 
 学校のクラスを都道府県や市区町村と仮定し、全生徒で構成される生徒会を国会や都道府県議会や市区町村議会と仮定しましょう。クラスの一人ひとりは国民であり、都道府県の県民であり、市区町村の住人に当たります。
 今の一クラスの生徒数が何人か分かりませんが、私の時代は50人でした。教室の収容能力が50人程度だったからでしょう。そういう50人クラスが七つも八つもあったのですから大変な生徒数ですね。その50人でクラス委員の選挙をしました。クラス会で問題を討議するとき、クラス委員が議長になって討議を行います。クラス委員はクラス会では議長で、議長に過ぎないので自分で物事を決定する権限を持っていません。それで問題があるとクラス会を招集して教室でクラス全員が集まり、討議し決定します。これは50人程度だから出来たことです。
 ところが全校生徒が集まる生徒総会では生徒数が多いため一人ひとりに発言の機会を与えたり、その発言について一々賛成か反対かを聞いていたら問題は解決出来ません。それでクラスごとに問題に対する決議を行い、それをクラス委員が生徒会に持って行って決定し、その決定について生徒総会で賛成か反対かを決めるという方法が採られる問題もありました。
 一人ひとりが主権者だという民主主義原理からいうと、生徒総会でも一人ひとりの意見を聞き、その意見について討議し、決定するというのが当たり前になりますが、全校生徒でそれをしたら時間などの制約で問題が決着出来なくなります。それで、先ず初めに各クラスの意見をまとめ、その意見をクラス委員が持ち寄って討議し多数決で採用するという方法の方がいい問題もあるわけです。これが代議員制度で、その代議員であるクラス委員を選ぶのが各クラスの選挙であり、政治に当てはめると国会議員選挙や都道府県議会議員選挙、市区町村議会議員選挙にあたります。そして生徒全員の選挙で生徒会長を選ぶのが市区町村長選挙であり都道府県知事選挙に当たります。
 ご存じないかも知れませんが、何十年か前、アメリカ中西部の開拓地を舞台にした『大草原の小さな家』というテレビドラマがありました。その開拓地では人々は家族みんながそろって毎週日曜日に教会に行ってお祈りをし、そこで村の問題を話し合い決定します。それは開拓地で住民の数が少ないことと、みんなが開拓民で抱えている問題が誰にでも理解出来るものだからみんなで考え討議し結論を出すことが容易でした。それはまるでクラス会でクラスのことを決めるのと同じですが「みんなが参加しみんなで決定する」、それが実は政治における民主主義の原理的スタイルなのです。
 この『大草原の小さな家』時代の精神は日本の法制度にも残っていて、地方自治法は、町と村に限り「議会を設置しないで住民総会で決定する」と決めれば、町村議会を持たず有権者が集まって物事を決定する住民総会制度を採用出来ます。これで分かったでしょうが、

 『みんなの問題は、みんなが集まって、みんなで考えて決める』

これが民主主義の原理です。ところが社会の規模が大きくなり人の数が増えるとみんなで集まること自体が不可能になります。それで住民の代表者を選び、その代表者たちの討議で問題を解決してもらおうということになりました。代議員による議会制度の始まりです。
 誤解しないでくださいね。代議員制度は民主主義では珍しくありませんかが、だからと言って代議員制度なら民主主義ということではありませんし、同様に民主主義なら代議員制度だということにもなりません。民主主義でなくても代議員制度はありますし、民主主義なのに住民総会は代議員制度を否定しているのです。

 選挙の方法
 18歳のあなたは、市区町村議会議員と市区町村長、都道府県議会議員と都道府県知事、そして国会議員を選ぶ有権者という資格を与えられたわけです。最高裁判所裁判官の国民審査は選挙ではないのでこれについてはパス。
 選挙は投票で行われます。クラス会や生徒会なら手を上げる「挙手」で決められますが、住民みんなを集めて挙手で決めることなど事実上不可能ですから投票箱に投票用紙を投入する選挙方法が採用されています。そして投票した有権者を保護するため「誰が誰に投票したか分からない」秘密投票制度になっています。
 挙手か投票かという違いと、挙手では秘密性がないため誰が誰に賛成し反対したかが分かるという欠点はありますが、投票と挙手の違いで選挙の効果が違うということはありませんから、クラス会で挙手で物事を決定するシステムを経験しているあなたは、選挙を実践しているわけです。戸惑うことはないでしょう。
 国会議員選挙では候補者の名前を書く方法と候補者の属する政党名を書く方法の二つが採用されていますが、市区町村議会、都道府県議会では候補者の名前しか書けません。残念ながら日本の学校では「こうやって投票するんだよ」という投票の方法は教えますが、投票の持つ意味と重さは教えてくれません。それはハンバ-グを見せただけで「これがハンバ-グだよ」と教えるようなもので、選挙の形式的意味を教えただけならともかく、選挙の実質的意味を全く教えていないだけに殆ど何の役にも立ちません。ハンバ-グを見せただけで味や食味が分かるわけがないのと同じというだけでなく、実際に食べないためハンバ-グに対して間違った予断や誤った先入観を持ちかねないのです。教えられた生徒はかえって混乱するだけですから、その意味でプラスの効果よりもマイナスの効果の方が大きいかも知れませんね。
 ともかく、クラス会や生徒会で挙手で賛否を表現する選択方法は経験しているはずですし、選挙では挙手はなく必ず投票箱に投票用紙を投入するという方法になるだけの違いです。大切なのは、あなたが知りたいはずの「実質的な選挙」の方です。
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わたしは選挙権得た20歳の頃からほとんどの選挙には行って来たと思います。

投票のたびに政治の勉強になったと思っています。はっきり言って不安は付き物でした。いまでも迷うことは
あります。ですけど、若い時には政治より自分の関心のあることに興味を注いだほうが良い気がします。そのほうが見識広がりますし、政治なんて狭い見識に陥りがちだと思います。
選挙では自分の見識と判断の範囲で決めるしかないのでしょう。若いうちは棄権も悪くないとも思います。
 
 今の状況下では大よそ政党で決めることが主になると思います。これはなかなか、そこまでの主張とか流れを見ていないと分かりづらいでしょうけど、知っている範囲で判断するしかない
のでは。ネット上に色々情報はありますが、かなりデマが多いです。とくに選挙前では。政治家やその近くにいる人でもこのデマに流されやすい人がいるようで、このように成らぬ様気を
付けたいものです。
また、小泉政権選挙時には「目つき、勢いから本気度を感じた」という若い人のであろう書き込みを見ましたが、その後の政策の派遣の規制緩和で若い人に厳しい労働環境になったと思います。
郵政民営化にどんな効果や意義があったのかも疑問。若い人は威勢の良い主張等に感化されやすい欠点があると思えます。

 余談ですが、安部首相の国会での「日教組が国から補助金受けて民主党に献金している」とか、自民党の勉強会に招かれた百田氏の「(普天間飛行場の成り立ちを)もともと田んぼの中にあり、
周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」、「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな」」の発言が
有りました。しかし、これらはデマでした。ネット上に出回る、いわゆる「ネトウヨ」レベルのデマを信じている人々が居るようです。若い人に少なくないようですから、このような事にも
気を付けるべきでしょう。

 沖縄タイムス「百田尚樹氏「沖縄の新聞はつぶせ」自民勉強会で暴言連発」:
 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=121 …
 「実際には現在の普天間飛行場内に戦前、役場や小学校のほか、五つの集落が存在していた。沖縄戦で住民は土地を強制的に接収され、人口増加に伴い、基地の周辺に住まざるを得なくなった
経緯がある。」
 毎日新聞「自民勉強会問題:百田氏発言 「沖縄をばかにしている」 普天間から怒り「背景理解していない」:
http://mainichi.jp/shimen/news/20150627ddm041010 …
 「普天間飛行場の地主(3354人)の48・5%(1627人)が年間地料100万円未満で、1000万円以上は2・4%(81人)にすぎない。」
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あなたの政治思想が右翼、中道、左翼のどれかで入れる政党が決まります。

NHKでニュースも国会中継も政見放送も大河ドラマも観れます。教育テレビの高校講座で政治も経済もテレビで分かりやすく勉強できます。候補者や政党名を書き間違えないように気をつけてます。
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へええ 不安なんだ・・


おばちゃん二十歳の時の選挙権嬉しかったかも・・
確かに不安といえば よく解かっていない部分でかな
親御さんがてれび視つついろいろ言っていたりするのも
耳に入っているかと思います

それらも参考にしつつ どの政党が良いのか考えてみるのも良いかも
うちの母は冗談で顔で入れるとか言ってましたねぶはは・・
今は不況で大変な時 何もかもが低下しているようですね
素直な新しい眼で 選ばれることお祈りしています

一応じみんとうとか言ってみよっとぼこ・・
がんば新人さんっ
てれびでも政見放送もあるし 新聞にもいろいろ出ますよ
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毎日のニュースをしっかり見ることですね。

選挙の時はどこでもリップサービスをします。選挙演説で票を入れる人はほとんどいないと思います。
 今の国会で、安保法政、派遣法の改正、どんな政党がどんな行動をしたのかしっかり見ておいて下さい。
 どうしても分からなければご両親に相談するのが良いと思います。
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今では、選挙が公示(始まる)と、その政党の公約が発表されます。



それを見て、まず”政党”を選択します。
次に候補者です。

自分の選挙区の張り出されたポスターで、名前を覚えましょう。
で、スマホでもPCででも検索すると、その候補者のサイトなり、フェイスブックやツイッターが見れます。
どんな政策をしてきたのかの実績やこれからの意欲などを調べます。
普段ならメールも返してくれますよ。

そうして肝心なのは、過去の国会などの質疑のようす。(その候補者の質疑の国会中継動画)を探しましょう。
もしくは、同じ政党の議員でも良いです。

すると、普段国会で、どんな仕事しているのかが分かります。

そうして選んで下さい。
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大丈夫。

勉強していない人でもみんな投票権はあるし、投票に行く。
他人の意見(特にネットの偏った書き込み)に惑わされず、自分の考えで投票すること。そして買収されないこと。
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