人生のプチ美学を教えてください!!

よく「放送は中立公正であるべきだ!」という人がいます

では、そのようなことが可能なのでしょうか?

法律上では、放送法に基づいて、中立公平性が要請されていますが、それは努力義務に過ぎない話です

諸外国の放送で政治的に中立公正な放送など一度も見たことがありません
もっといえば、放送は中立公正でなければならない!なんてスローガンを一般市民が主張することは、東アジア諸国の人民以外では見たこともありません
(放送する側が、中立公正さを自らに課すことは万国共通ですが)

そこで、質問です

①中立公正な報道が可能ですか?

不可能だと思う人は以下の設問はスルーしてください
(蛇足に、ちょっとした公的に認められている不公平放送の事例を提示しましたので、意見があればどうぞ)



②可能というならば、以下の事例ではどうやれば中立公正な報道になるのか?と提示してください

A:現代の日本国の国政選挙において公示前に予め立候補者の政治演説を企画した
候補者は全部で10人で、実質うち2人による選挙戦であり、残りの8人は泡沫候補であった
なお、10人中6人は所属政党、もしくは政党推薦がある。
企画したが、現職候補は公務上の都合で番組に出席できなかった

放送時間は60分

B:政治討論においてある事案に関する討論会を実施した。
先立って実施された国民投票では賛成派1:反対派9の結果であった
しかし、世論調査では、賛成・反対ではなく、先送り、第三案、修正案などの賛否以外の意見が圧倒的多数派だった

討論会のパネリストは全部で予算の都合で10人招聘できる


以上の条件で、どのように放送すれば、中立公正な報道は可能ですか?

A,Bどちらでも良いので回答してください

なお、この質問は、放送の偏りを批判するだけの人にこそ回答の責務がある、という立場で質問しています

・・・・・・・・・・・・
蛇足
 選挙放送に関する中立公正さの課題といえば、「政見放送」がもっとも深刻な問題を提示する
現在、衆議院小選挙区選挙の政見放送は政党届け候補者のみしか許されない。つまり、無所属候補は政見放送が出来ない

これは公職選挙法が規定している中立公正さの放棄事例とも言えるが、まったく問題にされない
(厳密には、最高裁で本件について争われたが、最高裁はNHK放送上の中立公正性の例外事例とする趣旨で違憲判断を回避した)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E8%A6%8B …
「内容傾向」を参照
最高裁判例
http://study.web5.jp/110728a.php


なお、オイラはFMラジオなどで評論活動する上で、中立公正性についての配慮義務について全く留意しない。そもそも、中立公正性を実現することが不可能であるという立場にあるが、根本的には、中立公正性な報道は、”放送しない”でしか実現できないものとしてそれは放送の自殺として認めるつもりがない

A 回答 (6件)

努力義務・・・・。

どうして?なぜ?(このようなものでいいでしょ)出したのでしょうか?
新聞倫理綱領
自由と責任:新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。

正確と公正:記者の任務は真実の追求である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。

独立と寛容:新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。

人権の尊重:新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤った時はすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な処置を講ずる。

こんなものわざわざ出す必要ないでしょ!私たちは公平で正義だーーと言いたいのでしょうか?

これは、守らないといけないでしょ!(テレビ・新聞は守っていません)

放送番組の編集等に関する通則 第4条
放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 〇政治的に公平であること。
 〇報道は事実をまげないですること。
 〇意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

テレビ・新聞が正義だと思わないことです。
諸外国のマスコミの信用度20~%。日本国民80~%です。(団塊の世代が大半です)
今現在は、下がっているし、どんどん信用は無くなっているようです。
団塊の世代がいなくなれば、テレビ・新聞はソッポを向かれるでしょう。
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この回答へのお礼

質問の回答が見当たりませんw

そもそも、指摘しているでしょ?

放送の中立公正を実現できないという事実を

出来るというなら、質問にある事例において、中立公正な放送方法を提示してくださいw

お礼日時:2015/09/26 18:43

1.無理だと思います。

スポンサーの意向もあるでしょうし。むしろとことん偏った報道を各社にしてほしいです。もちろんどちらの意見もです。
その中で国民がより良いと思うものを選べばいいのではないでしょうか。
当然どちらも偏っているので良いところを羅列するでしょうし、相手を貶める事もいうでしょう。
そういう中から選ぶのが一番わかりやすい気がします。
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この回答へのお礼

偏りというものが放送全体においてバランスよく偏っていれば良い・・という考えだと理解しました
結局、偏りを含めて自由選択であれば良い・・という見解だと理解しましたが、同感です
ただ、NHKや放送大学に関しては一定の留保が必要かと思いますが・・・

回答ありがとうです

お礼日時:2015/09/26 18:45

①中立公正な報道が可能ですか?


     ↑
可能です。

中立公正には、理念的な中立公正と、現実的な中立公正が
あると思います。

現実的な中立公正とは、例えば裁判所です。
現実的な中立公正さえ否定したら、裁判制度は
成り立ちません。

報道についても、要求されるのは、現実的な中立
公正であり、これは可能だと考えられます。


②可能というならば、以下の事例ではどうやれば
中立公正な報道になるのか?と提示してください
     ↑

挙げられた事例の中立公正さがまず問題になります。
冒頭に演説するか、ラストで演説するかも中立公正さに
影響しますね。これは理念的中立公正の問題でしょう。

政党推薦云々は、政党の存在が認められる以上
現実的な中立公正さに影響ないと思われます。
公務中にしても、あえて公務中を狙ったのならともかく
全員の都合を揃えるのが難しい場合であれば、現実的な
中立公平は満たしていると思われます。



賛成、反対、先送り、第三案、修正案から各二人
ずつだして討論させれば、と思います。


”現在、衆議院小選挙区選挙の政見放送は政党届け候補者のみ
しか許されない。つまり、無所属候補は政見放送が出来ない
これは公職選挙法が規定している中立公正さの放棄事例とも言えるが、まったく問題にされない”
    ↑
これは、現実的中立公正の立場をとっても
オカシイですね。
それから、討論会でも、泡沫候補はTVに出席させて
もらえないのが現実です。
これだと、誰を選ぶかはマスコミが決めている
ことになり、大いに問題です。
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この回答へのお礼

①の回答は意味不明です。裁判所の話は例証になっていません

②A 当然、冒頭かラストかで中立公正など実現できませんw
可能だと指摘したのは貴方なのですが、出来ない事例としか思えませんがw
現職に関しては参加できない時点で機会損失である以上は、中立公正は達成できていませんw

結局、可能といいながらできない話ですね

B:修正案は一つとは限りません
様々な修正案がありえるのですから、各二人では課題は達成できませんw


政見放送については、課題は可能という立場の人の回答は求めていませんw

現実に、政見放送の不平等は明らかであるにも関わらず、問題にしない人々を問題にしています
要は、知らなかった貴方の問題ですw
つまり、こういうわかりやすい不公正があっても、気づかないような人間が、中立公正などを吹聴しても説得力がないだけの話です

結局、出来ないにも関わらず、出来ると言い張っているだけの回答でしたので、良い参考にはなりました

お礼日時:2015/09/22 21:15

お礼をいただき、ありがとうございます。



>予報上においてどうしたって、漏れる地域があるわけで、公平とは言えないかな?
その点については、以前の回答にも書いた通り。現時点の技術や人間の認識段階では、「空間」、「時間」、「物質」の制約があります。遠未来に人間が、無限の時空、世界を同時に認識できるようになれば可能かもしれませんが、それはSFやファンタジーの話です。

現時点の技術で、地球も含めて宇宙全体の気象を知ることはできませんし、認識する事もできません。同時に、伝達される情報は数時間前の過去、あるいは数時間後の未来でしかなく。宇宙創成前の過去から宇宙終焉後の未来までの情報を知ることもできませんし、まして現在進行形で起こっている情報を認識する事は、人間に不可能です(どうしても神経伝達にコンマ数秒の差が生じます)。そして、受け取る手段が音声なのか、映像なのかでも変わります(音声は発信者の主観が入り、映像は製作者の主観が入ります)。
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この回答へのお礼

結局のところ、その主観が、中立公正性を具現化する障害ですからねぇ

まぁ、だからこそ、中立公正な放送などはありえない、という立場になってしまうわけですが・・・

ただ、指摘される通りに、事実情報(客観的な数値性だけの情報・主観が入り得ない)のみを伝達する放送は不可能ではないので、部分的には、中立公正な放送は可能である・・とオイラは自己修正します

要は、オイラの持論である「中立公正な放送など絶対にありえない」というのは、間違いという結論ではあります。

回答によって己の間違い(部分修正ですが)に至れました・ありがとうございました

お礼日時:2015/09/22 21:20

「法律上では、放送法に基づいて、中立公平性が要請されていますが、それは努力義務に過ぎない話です」


→その通りです。
公共放送であっても、記者は一人の人間であり、一般市民と同じように自我をもち、固有の政治信条もあります。
そこから言動が生まれることを避けることはできません。
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この回答へのお礼

とりあえず、中立公正な放送を求めることの限界という話で理解してください

要は、そんなものを求めるのは、不可能なものを可能とする幻想でしかない、ということですけどね


回答どうも

お礼日時:2015/09/22 21:21

①可能です。


②例に挙げられた問題においては難しいでしょう。

しかし、天気予報、株価、交通情報、災害情報といった情報を伝達する時は、公平中立な放送がされます。
そのため、どの放送局であっても同じ情報が流れます。

放送の公平、中立性が可能か?、不可能か?という問いだったので、私の意見と具体例を出しました。
公平性や中立性の枠が時間や空間、物質にも限定されないというSF的な話であれば、現時点で不可能となります。
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この回答へのお礼

ん~~~事実情報の伝達でも無理だと思うんだよね

だって、全国の天気予想にしたって、局所的にしか表記されないでしょ。大都市だけ、という感じで
予報上においてどうしたって、漏れる地域があるわけで、公平とは言えないかな?

要は、発信元が一元化されていて、事実だけを流す放送では、中立性は実現できるとは思う。でも、漏れは起きてしまう。でも漏れなければ、可能だなぁ・・確かに

回答ありがとうです

お礼日時:2015/09/21 23:09

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