アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

坂本竜馬が所持していた拳銃は高杉晋作が上海で求めてきた一丁を譲られたものだそうですが、当時日本において拳銃が一般的な武器にならなかったのは何故でしょう?米国ではすでに西部劇の時代ですよね。

A 回答 (6件)

護身用だからでしょう


学生のころ江戸時代の純国産のレボルバー式とかガトリング式の短筒の現物を見ましたね、
鉄砲鍛冶の考えなんか、どこの国も同じじゃないですか。
    • good
    • 0

龍馬が襲撃された時、親指を負傷していたこともあるけど、弾丸の装填に手間取って、初弾の音で驚かす程度の役にしか立ってません。


桂小五郎のように、素早く逃げるのが正解でした。

その後の戦いでも、戦艦からの砲撃、地上戦でも、アームストロング砲が主力で、次に大量のライフル銃。拳銃の出番はありません。
    • good
    • 0

拳銃というのは至近距離しか有効ではありません。

せいぜい20~50メートル。アメリカの西部開拓時代では治安機能がほとんどなきに等しき状況でしたので、護身用に拳銃を所持したのです。

でもこの程度の有効距離では戦場では使い物になりません。射程距離を伸ばし命中精度をあげるためには、銃身がある程度の長さがないとだめなんですよ。ライフル銃では数百メートルの有効距離があります。幕末の戊辰戦争などでもスナイドル銃、エンフィールド銃、ゲベール銃などの銃身が長い鉄砲が大量に使用されています。
    • good
    • 1

幕府が拳銃を作るのを禁止した、と言うよりも徳川幕府が出来てから鉄砲の需要が減ったので技術開発は止まった。


拳銃を作る材料の鉄が手に入らない、大砲を作るために幕末に反射炉を作ったがそのような鉄でないと銃を作ることが出来なかった。
 非常に高価であるので、下っ端の武士には手が出るモノではなかった。
 銃を飛び道具と言ってさげすんでいた。(「八重の桜」は鉄砲指南役の家の話であるが鉄砲指南役でも武家の中では非常に軽蔑されていた。)
そんな理由でしょう。
    • good
    • 1

ちゃんとした研究をしてる人に言わせれば、上海で購入した拳銃と龍馬に贈った拳銃は、別のものの可能性が高いらしいです。


で、拳銃も沢山買ってるんです。でも数千丁買っても、兵も沢山いるので皆に行き渡るほどじゃないわけです。
    • good
    • 0

鋳造技術が無かったからです

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!