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1. 神などはいるもんかと言う。
――けれども いると言ってもいないと言ってもわれわれ人間が何と言おうとも そのこと
によって神が決まるなどということはあり得ない。《絶対》なのだから。

2. 人間がこしらえたものに過ぎないと言う。
――けれども こしらえることが出来たなら 神は人間のあやつり人形であるしかない。
《絶対》ということを知らないから そんなお遊びをしている。

3. 神は 精神だと言う。
――けれども 精神は 人間のもの。自然本性としてそなわったもの。《絶対》がどうして 
この有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象であるのか。



なんで分かんないの?

質問者からの補足コメント

  • みなさんの気持ちを込めて。
    気持ちだけですが。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/24 21:13

A 回答 (13件中1~10件)

なんかよくわかんないけど、本当に神がいるんなら今重い病でICUで苦しんでる私の末娘を助けてくれ。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

8. 分かりました。これだけのことを質問しているわけですから わたしが何とか
しましょう。

9. おそらく 遅かれ早かれやがて その病いとそれをいま ほかの誰でもなくあ
なたの娘さんお一人がわづらっているということの意味が分かるようになることでし
ょう。

10. どういう結果であるかはわたしには分かりません。ですが ご本人にもそし
て親御さんであるあなたやほかのご心配なさっている人びとにとって じゅうぶんに
腑に落ちて納得の行くわけが――おそらくひそかに――告げられるでしょう。

11. ひょっとすると――わたしの推測ですが―― その《わけ(意味)》は 一
人ひとりにとって 少しづつ違った内容であるかも分かりません。

12. その理由は 人びとが末娘さんと関係しあって来ているとき そこに起きた
出来事や心の持ち合い方が人によってそれぞれ異なるなら そうだと思うからです。

13. みこころのままにとわたしなら願います。

14. けっきょく助けられるわけでもないのにウソを言ってごめんなさい。

お礼日時:2015/12/22 10:45

>なんで分かんないの?


 理系人間にしてみれば「絶対」ってないんですよ。
 
 絶対と言い張る人はいますが、幼稚に見えます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

52. いつも言うように 無限はどうですか?
二で割っても三で割っても 商はやはり無限であるという概念説明ですが そのような経験事象
は いまだ人間は知りません。

53. 絶対をないがしろにする人は 白痴に見えます。

お礼日時:2015/12/24 18:15

#11です。



>50. むかし サ○コ○なる人間で よく似た論理で微妙にほんの少し論点をずらす
名人がいました。

51. それで 論理が合っていて人間性としても妥当であると思ったなら そのまま
すすんで行けばよろしい。もう答えはすべて出ています。

自分の中だけで答えを出して満足しているようですので、じゃまは致しません。
しかし、都合が悪くなると、こうした捨て台詞。
コミニュケーションこそ大事みたいなことを良く言えるものだと感心します。
案外でしたね。
残念に思います。
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この回答へのお礼

あいにくでした。

お礼日時:2015/12/24 06:52

#9です。



>36. だから 《ことば》は シルシであり それが《非経験・絶対》なる対象を指し示す
ときには シルシとして仮象・補助線だと言っています。本体ないし正解そのものではないわ
けです。

そんなことどこで言ってますか?
見当たりませんが。

>38. けれども言葉が シルシであり補助線として機能するときには この観念はただの仮
象であるにとどまり ほんとうに指し示そうとしているものは 観念であるものを超え経験事
象を超えた場だということになります。

それは当然でしょう。
そもそも、『言葉が シルシであり補助線』以上の意味を持っているわけがないですよね。
ですから、
>《絶対》なのだから。

という言葉も補助線にすぎないわけで、であるのに、
>《絶対》ということを知らないから そんなお遊びをしている。

と言い、
>なんで分かんないの?

という質問をしている。

これは虚しいんじゃないですか?
ということを申し上げただけなんですが。

>39. 《有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象》なる存在ないしその人間の精
神が 認識も体験もおよばない非経験の場のことを指し示すことが出来ます。

まあ、そう思われるのはご自由だと思います。
しかし、これも『《絶対》なのだから。』という大前提に基づいてのことですよね?
ですから#8で最初に申し上げたように、
【ここに全て帰着してしまうと思うのですが、
>《絶対》なのだから。

こうおっしゃる根拠は?】
と問うたわけです。
納得できる答えがあれば、この39についても、さらに論を進めることができるのかもしれません。
こんな簡単なことになぜお答えにならないのか、極めて不思議な気がします。
この大前提に対する根拠を提示できないのであれば、現在の論理は、ただのごり押しにすぎなくなりますよ。

>40. 今回のご投稿は 単なる時間稼ぎです。照れ隠しに過ぎません。もっと素直に考えま
しょう。次回 同じ趣向であれば 人格をうたがい始めます。

全く意味不明ですね。
『素直に』というのは、「俺の言ってることは間違いないのだから、疑問など呈せず素直に信じるだけでいいんだ」と言っているとしか受け止めることができない。
私の呈している疑問は、極めて簡単な内容ですよね?
まともに答えてみてはいかがですか?
あるいは、それは答えられない、とか、ここは訂正するとかいうなら、まだ話はわかりますが、こうした逃げしか打てないとは残念に思います。
しっかりしてほしいですね。
御託はいいので端的に答えてください。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

50. むかし サ○コ○なる人間で よく似た論理で微妙にほんの少し論点をずらす
名人がいました。

51. それで 論理が合っていて人間性としても妥当であると思ったなら そのまま
すすんで行けばよろしい。もう答えはすべて出ています。

お礼日時:2015/12/23 22:56

神というのが全知全能の絶対の存在だとして、人間を助ける意味が分からない。


 私はダニを助けませんノミも助けません。道のアリ一匹一匹を評価しません。気にかけません。 神からしたら人間なんてそれ以下でしょ。雑草程度にすら思われてないと思います。
そもそも全知全能なら疑問を持つことも、できないこともない為、思考する必要どころか行動する必要もない。しようとすら思わない。生死もない。絶対であるだけ。

結論。いてもいなくても人間には関係ない。故に人間が理解する必要もない。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

41. われわれヒトなる存在は オギャーと言って生まれたときから けっきょく
全面的に神なるナゾの何ものかを信じて 生きているのではないでしょうか?

42. その意味は ものごころが着く前の幼児のことを思えば かんたんです。親
を初めとしてまわりのものごとに対して――むろん警戒心をも持ち得ていますが――
そのまま無条件に受け留める気持ちでいますし 人びとによって生きることのすべて
について助けられて生きています。

43. 言わば《聖なる甘え》として生きています。つまり 神をその心に――生ま
れつきの自然本性としてそなわったかたちとしても――受け容れており信じている。
と考えられます。

44. なぜなら ものごころが着いてからは そのように甘えのままではなく わ
たしという存在を自覚して生きるようになるわけで それでもこの《聖なる甘え》の
やはり延長線上に《きよらかなおそれ》をいだいて 生きて行く。

45. むろん わたしはウソをつき世の中のシラガミの中に入ることもあり 甘え
やきよらかさが汚れて来るでしょうが けっきょく《神を信じている》という部分は
消えない。

46. そこで この神はわれわれ人間をたすける。という捉え方が 一般に人びと
の心に受け容れられているのだと考えます。

47. このときこの神を《無い神》として呼び名を別様にえらぶ場合があります。
すなわち おっしゃるように:
★ 結論。〔神は〕いてもいなくても人間には関係ない。故に人間が理解する必要も
ない。
☆ という場合です。

48. 聖なる甘えも きよらかなおそれも もともと神のプレゼントとしてそなわ
っているのなら そんなの 人間に関係ない。いちいち理解する必要もない。という
かたちです。

49. つまり そういうかたちで無神論の場合も 普遍神にカカハリを持つ。とい
うことだと考えています。どうでしょう。

お礼日時:2015/12/23 21:22

#8です。



34. ぢゃあ 《絶対なる神》と呼ばれる相対的な存在ないし概念が じんるいの
あいだに持たれている。ってなると言いたいの?

「じんるいのあいだに持たれている」かどうかは知りませんが、少なくとも「神」と口にする場合には、そうした存在なり概念を想定しているでしょう。
そもそも、そうした概念として「神」という言葉があるわけでしょうから。
「絶対」じゃなければ「神」という言葉の存在する意味はないでしょう。

35. 《絶対・無限・永遠・不可変性》と言ったら・つまり言っても それらはみ
な《相対・有限・可死性・可変性》と読み換えるってわけ?

《絶対・無限・永遠・不可変性》などについて触れる以前の問題だと思います。
「読み換える」というか、「読み換えざるを得ないのではないですか」ということです。
なぜなら、
>《絶対》なのだから

とおっしゃる bragellone さんは、
>有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象

なのですよね?
ご自身でおっしゃっていることだと思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

36. だから 《ことば》は シルシであり それが《非経験・絶対》なる対象を指し示す
ときには シルシとして仮象・補助線だと言っています。本体ないし正解そのものではないわ
けです。

37. 《絶対なる神》という言葉の・経験思考として経験事象に対応する概念は その概念
ないし観念のみを表わします。《相対に非ざるもの》といったただの観念のみです。

38. けれども言葉が シルシであり補助線として機能するときには この観念はただの仮
象であるにとどまり ほんとうに指し示そうとしているものは 観念であるものを超え経験事
象を超えた場だということになります。

39. 《有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象》なる存在ないしその人間の精
神が 認識も体験もおよばない非経験の場のことを指し示すことが出来ます。

40. 今回のご投稿は 単なる時間稼ぎです。照れ隠しに過ぎません。もっと素直に考えま
しょう。次回 同じ趣向であれば 人格をうたがい始めます。

お礼日時:2015/12/23 21:05

ここに全て帰着してしまうと思うのですが、


>《絶対》なのだから。

こうおっしゃる根拠は?
絶対だと断定しているのは、
>有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象

である人間精神のはずですよね?
断定するのは自由だと思うのですが、『有限で相対的』でしかない人間の断定なのですから、それを普遍的真理であるかのように語ろうとしても無理が生じるような気がします。
この点を説明しない限り、
>なんで分かんないの?

という疑問自体が虚しいと思うのですが。
神について興味はあるので、わかりやすい言葉で説明していただけると助かります。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

34. ぢゃあ 《絶対なる神》と呼ばれる相対的な存在ないし概念が じんるいの
あいだに持たれている。ってなると言いたいの?

35. 《絶対・無限・永遠・不可変性》と言ったら・つまり言っても それらはみ
な《相対・有限・可死性・可変性》と読み換えるってわけ?

お礼日時:2015/12/23 00:09

>人びとはなぜ・どうして・どこまで神のことが分からないのか



質問者様が、定義しないからである。
定義したうえで、開宗すれば良いだけの話である。

それに人々が賛同すれば、やがてはキリスト教、イスラム教を凌ぐ可能性がある。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

32. ★ 質問者様が、定義しないからである。
☆ この質問では そうです。

33. でも その定義にしても 《神は何であるか?》という問いに対するもの
とそして《神は何でないか?》という問いに対するものとがあります。後者は積極
的な定義(前者)をしなくても 考え及ぶことができるはずなのです。

お礼日時:2015/12/22 16:17

女性らしい質問ですね。


物事を分っていない人に、何故わからないのかを質問しているのですか??
答えられる訳がありませんね。

ああ、それとも、分っていなかったけど分るようになった人に、分らなかったときに何故分らなかったかを聞いているのでしょうか?
それなら、自問自答して、自分はこうだったと補足してみてはいかがでしょう。

ああ、それとも分っている人に対して分っていない馬鹿がなぜ馬鹿なのかを聞いているの?

これこそ非知じゃありませんこと?補助線なんでしょう?
神を完全に必要とせず理解しない境地は神ですね。さしずめ、その境地でないと神を語れない?
そうそう、神を語ること自体、神を理解していないんじゃありませんこと?
あれ、貴女こそ神を分っていないんじゃありませんか。

なんで分んないのか、まず、貴女がお答えあそばせ!
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

28. 放っておいたのがいけなかったかも知れないが わたしは女ではない。

29. (1)から(3)までの答えを提出する場合があるのです。だから それについて
問うています。よく問いの内容を噛んでから飲み込みなさい。

30. 神は何であるか? という問いも人間には答えにくいものですが さはさりながら
特に《神は何でないか?》という問いには 答えの出る部分があるのです。

31. よくあたまを使いましょう。うわべだけぢゃ だだぢゃ。

お礼日時:2015/12/22 12:28

神がいるかどうかを信じるのは人それぞれであり、


信仰心および考え方次第であるため。
故に他人に自分の考え方を押しつけたり、
自分の考え方のみを肯定して相手を無条件的に
否定することも良しとはされない。

つまりあなたの言い回しは押しつけでしかないので、
他の考え方へも視野を向けましょう。

あなたのような神を絶対的なものとして信じ切っており、
他の事柄をとにかく否定したがる人の考え方も分から
なくはなく、むしろ深いとも思える部分もあります。
しかしながら、とにかくこういうこと言い出す人の
スタンスが気に食わない。
神でもないくせに、自分が絶対的に正しいという
言い回しをする。

あと、とにかく文章が読みづらい。
箇条書きでもないのに、いちいち1行単位の先頭に
番号を付番しているのがなんとも邪魔。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

25. 文章ごとにナンバリングをしているのは 字数制限があるため引用をその番号だけで
済ませるようにするというもの。

26. 他人(ひと)の文章を《押しつけ》だと言うのは――その理由説明が 文例の分析を
交えておこなわれていればまだしも―― 同じ程度に《押しつけ》なのです。よ。

27. よく考えましょう。あたまは生きてるうちに使いましょう。

お礼日時:2015/12/22 12:21

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