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秦の始皇帝の暗殺事件についてくわしく知りたいです。
流れは掴んだのですが背景などがあまり出てきません。
詳しい方、よろしくお願いします。
また、そこで関わってくる荊軻についても詳しく知りたいです。

ご協力よろしくおねがいします!!
なるべく早く知りたいです。

A 回答 (5件)

始皇帝は有名なもので3回刺客に襲われています。


いずれも未遂なので、暗殺未遂事件です。

・荊軻

前提1
秦王政(始皇帝になる前)は幼少時に人質として趙の人質として
すごしていましたが、その時に同じ人質として燕の王子である丹は
友人としてすごしていました。
時代が変わり、丹が燕の人質として秦にやって来たとき、
旧交を懐かしむ丹に秦王政は冷淡で、待遇もよくありませんでした。
このことで丹は人質の身分にもかかわらず逃亡しました。

前提2
秦王政が経済的理由などで軍制改革の一環として少数精鋭を勧め
これを実践した王翦が、苦戦していた趙の城をあっさり落としました。
これにより、大量の軍人が解雇されることになりました。
しかし、解雇される人々のことを考え、樊於期将軍が反対しました。
解雇された兵が樊於期を頼って反乱することを危惧した秦王政は
樊於期の処刑を命じますが、偶然出かけていた本人は燕に逃亡、
しかし、樊於期の家族は全員処刑されました。

燕は秦による脅威を感じていましたが、有効な打開策がなく、
丹は田光という老人と相談、田光は暗殺を示唆して荊軻を紹介して
もらいます。田光は直後に機密の漏えいを憂い自害しました。
しばらく荊軻は丹に厚遇されましたが動きませんでした。
その後、秦が趙を滅ぼし、目前に危険がせまりました。
荊軻は樊於期の首と督亢(燕の肥沃な土地)の地図で秦王政の
関心を買うことで近づいて暗殺することにして、樊於期に相談し
樊於期は自分の首が役立つならと喜んで自害しました。
地図に毒を塗った短剣を隠したとか、易水で句を詠んだとか
豪傑と勧められた副使の秦舞陽が怖気づいて動かなかったとか、
いろいろお話はありますが、暗殺は周知のとおり失敗し、
激怒した秦王政は燕を攻め、逃亡した丹は部下に討たれました。



・高漸離

荊軻の親友。筑(楽器)の名手として、たびたび秦王政に召されて
演奏していましたが、荊軻の親友であることで目を潰されました。
筑に鉛の棒を入れ、演奏中に秦王政へ投げつけましたが失敗し、
処刑されました。



・張良

張良は何代も韓の宰相を輩出した名家でしたが、韓が秦に滅ぼされて
若かった張良は逃亡し、その財産の全てを報復に使いました。
このため、弟の葬式も出せなかったそうです。
博浪沙で配下が石を投擲しますが失敗して逃亡します。
この暗殺未遂事件により、秦はより弾圧政治へと進み、
民衆の怨嗟をうけることになります。
張良自身は、その後に漢の劉邦の参謀として秦の打倒で活躍します。



・嫪毐
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A6 …

暗殺ではありませんが、有名な反乱。
始皇帝を救出したことで出世した呂不韋は、実は秦王政の実母と
不倫関係にあり、嫪毐はその関係を清算するためにあてがわれた男。
宦官に偽装していましたが、密告により露見して反乱を起こします。
しかし、予め準備していた秦王政により返り討ちにあい、車裂きの刑に。
この後、呂不韋も失脚しその後自害しました。
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まずは、史記を読みなさい。


暗殺事件は1回だけではありません。
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荊 軻(けい か、ピンイン:Jing Ke, ? - 紀元前227年)は、中国戦国時代末期の刺客。

燕の太子の命を受け、策略を用いて秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとするが、失敗し逆に殺された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/荊軻

>秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとするが、失敗し逆に殺された。
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秦の始皇帝はアホな旅行中に頓死したので、暗殺はされていない。

暗殺されたのは二世皇帝で暗殺者は宦官の趙高、こいつは自作自演した結果帝位から降りた三人目の秦王に殺されました。この辺はややこしいがすごく面白いので、宮城谷昌光さんの「奇貨居くべし」文庫本五冊の最後二冊をお読み下さい。
なお失敗した暗殺なら、燕王が同じく魏に人質だった後の始皇帝、政、と人質時代仲が良かったのに、秦の王位を継いだ政が余りに無礼なので、暗殺者を幾度も送ったが、失敗の連続で、始皇帝は人間不信に陥り、咸陽宮に籠もって仕舞った為、臣下は迷惑した。だって食事を持って行く場所が分からない、咸陽宮は阿房宮とも呼ばれアホ(阿房)の語源となった、んだと。さ
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何度も、暗殺未遂がありますね。


有名なのは、張良が、今ならハンマー投げの選手みたいな力持ちとコンビを組んで、地方巡行中に襲撃した一件。
史記の他、「項羽と劉邦」の小説でも、前半のエピソードとして載ってます。

おっと、荊軻の一件。
イメージとして、本宮ひろ志の大ぼら一代のラストが、これを参考にしているとしか思えない。
壮士ひとたび去って復(ま)た還(かえ)らず→江戸末期、周防の僧・月性の男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈期墳墓地 人間到処有青山の漢詩、死すとも帰らずは、ここからパクったような、、
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