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03月04日の「朝日新聞」の「社説」にて 「安倍首相へ あなたの憲法なのか」が掲載(下段、参照)されており、気分が悪くなりましたが、どう感じられますか。

「憲法への首相の態度にはあべこべがある。」として、次の二点をあげています。

①第一の「あべこべ」として「改憲の進め方」と指摘し、
『憲法のここが不都合だから、こう正したい、そんな議論なら分かる。だが、「とにかく変える」ことが何よりも先だというなら、順序が逆さまだ。』と述べていますが、
自民党として「憲法改正草案」を発表しており、「こう正したい」と言っているのであるから、「順序が逆さまだ。」との指摘は当たらず、言い掛かりとも思いますが、どうでしょうか。

※「憲法改正草案」を発表(自民党)
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

『憲法のどこをどう変えるのかと問われると、「各党が(案を)出して、(国会の)憲法審査会で議論していくことが求められている」と繰り返す。』と指摘をしていますが、いくら自民党でも、強引に『自民党の「憲法改正草案」』の内容全部を変えることはできないので、(国会の)憲法審査会で議論するのは当然だと思いますが、どうでしょうか。
むしろ、「案を出していない政党」があれば、出すように促すべきではないでしょうか。


②第二の「もうひとつのあべこべ」として、
「何が政治的公平かを政治家が判断することはおかしい、」と指摘しているが、これも「何が政治的公平かを政治家が判断している」のではなく、法律(「放送法」等)に規定されていることを述べているだけであり、マスコミがそのように、先入観をもって、報道することにより、世間を誘導している面があり、この指摘も当てはまらないと思いませんか。


③そもそも、一国の総理大臣に対して「あなたの憲法なのか」の表現で、述べる側こそ、失礼であり、「あんた、何者?」と思いませんか。
「憲法は、権力者たるあなたのものではない。」と指摘するまでもなく、そこまでは、政権側は、自惚れていないと思いませんか。
むしろ、マスコミの側こそ、「第四の権力」として、驕り高ぶった、配慮に欠ける表現の権力者の「社説」だと思いませんか。

※四権(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%A8%A9

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※朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/DA3S12239974.html

※新聞社説まとめサイト
http://shasetsu.seesaa.net/category/4848832-1.html

[朝日新聞] 安倍首相へ あなたの憲法なのか (2016年03月04日)

安倍首相が、憲法改正で踏み込んだ発言を続けている。

改憲案を国民投票にかけるのに必要な3分の2以上の議席確保をめざす考えに続き、先の参院予算委員会では「私の在任中に成し遂げたいと考えている」と、期限まで示した。

政治家だから、自らの政治目標を語ることは一般的にはあるだろう。しかし、憲法への首相の態度にはあべこべがある。

ひとつは改憲の進め方だ。

首相はまず3分の2の勢力を集めたいという。では憲法のどこをどう変えるのかと問われると、「各党が(案を)出して、(国会の)憲法審査会で議論していくことが求められている」と繰り返す。

何でもいいから変えたい、やりやすいところからやりたい。こう言っているに等しい。

背景には、米国に「押しつけられた」憲法を、自らの手で制定し直したいとの思いがあるのだろう。戦後の憲法論争が「変える」「変えない」を焦点にしてきたのも確かだ。

憲法のここが不都合だから、こう正したい、そんな議論なら分かる。だが、「とにかく変える」ことが何よりも先だというなら、順序が逆さまだ。

一方、首相は改憲への意欲に比べ、憲法を守ることにはこだわりがないようだ。もうひとつのあべこべである。

憲法を改正しなければ集団的自衛権の行使はできないとの歴代内閣の解釈を、内部の議論だけで覆してしまう。最高裁から定数配分を見直し、投票価値の平等を実現するよう繰り返し求められても、先送りを図る。

最近は、高市総務相が放送法などをたてにテレビ局の電波停止の可能性に触れ、首相もこれを容認した。

これには樋口陽一・東大名誉教授らが、「政治的公平」などを定めた放送法の文言だけを根拠に処分を行うのは違憲だとの見解を表明している。

樋口氏は「何人(なんぴと)も自分自身が関わっている事柄について裁判官となってはならない」と批判する。何が政治的公平かを政治家が判断することはおかしい、との指摘である。

憲法は、表現の自由など国民の権利がおかされないよう、権力に様々な制約を課している。ところが安倍政権は、こうした制約を乗り越えてしまうことに、あまりにためらいがない。

憲法を軽んじる姿勢が、中身はともかく改憲をという態度につながっているのではないか。

安倍首相は憲法によって縛られる側にいる。憲法は、権力者たるあなたのものではない。

質問者からの補足コメント

  • ①第一の「あべこべ」として「改憲の進め方」と指摘している件については、2月6日の「首相の改憲論 あまりの倒錯に驚く」の社説(下記)でも論じていることが分かりましたので、補足します。

    ここでも「中身ではなく改正そのものが目的化した改憲論には与することはできない。」「首相の改憲論が倒錯している」と決めつけていますが、むしろ、下記のblogosのように、「朝日の護憲論の方が倒錯している」と思いますが、どうでしょうか。

    ※[朝日新聞] 首相の改憲論 あまりの倒錯に驚く(新聞社説まとめサイト)
    http://shasetsu.seesaa.net/article/433476349.html

    ※朝日の護憲論 あまりの倒錯に驚く(blogos)
    http://blogos.com/article/159621/

      補足日時:2016/03/06 14:07
  • ②第二の「もうひとつのあべこべ」の「電波停止」の件については、3月6日【日曜に想う】記事の「停波命令、ISに出しますか」(下記)でも論じていることが分かりましたので、補足します。

    今回、問題になっているのは、日本の「公共の電波」を使用しての「公平性」の問題なのに、外国の電波や、インターネットでISがテロを呼びかけるのを、同列視して、「どうやって止めるの?」と論じることこそ、倒錯していると思いませんか。

    ※(日曜に想う)「停波命令、ISに出しますか」 論説主幹・大野博人(朝日新聞)
    http://www.asahi.com/articles/DA3S12243750.html

    ※【日曜に想う】 停波命令、ISに出しますか(Change Our World)
    http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1636.html

      補足日時:2016/03/06 14:14

A 回答 (23件中21~23件)

自民党として「憲法改正草案」を発表しており、「こう正したい」


と言っているのであるから、「順序が逆さまだ。」
との指摘は当たらず、言い掛かりとも思いますが、どうでしょうか。
   ↑
民主制においては手続き的正義が何よりも重要と
されています。
現行憲法は、その成立手続きにおいて、問題が
あったことは周知の事実だと思います。

民主制における憲法というのは、内容の正しさよりも
成立過程の正しさの方が大切なのです。

これは俺たちが自分で創った憲法なんだから
たとえ内容に間違いがあっても仕方がない。
その時は改正すればよいのであって、自分の
国のことは自分できめる、自分の国の基本法で
ある憲法なんだから自分で創らねばならないのだ、
という国民主権にこそ、その大切さがあるのです。
だから、例え内容が同じであっても、改めて
日本人の手で創り直すことが重要なのです。

朝日は、安倍さんのそういう意図を見抜いて
批判しているのです。
つまり、国民主権を無視しているのです。



「何が政治的公平かを政治家が判断することはおかしい、」
   ↑
何が公平か、政治家が判断することはおかしく
ありません。
政治家には政治家の公平がありますが、それは
最高裁などと異なり、最終的なモノではない
というだけです。
政治家の公平を認めなければ、そもそも議論すら
許されない、ということになります。

そもそもでいうなら、朝日が公平を論じる
資格など、どこを探しても、電子顕微鏡で探し立った
見つかりません。



そもそも、一国の総理大臣に対して「あなたの憲法なのか」の表現で、
述べる側こそ、失礼であり、「あんた、何者?」と思いませんか。
       ↑
朝日の社長がこういうことを述べていました。
「読者は考える必要はない。それは我々がやる」

つまり、朝日は今の憲法は朝日の憲法だと信じている
のです。
朝日の了解無しに、勝手に変えるんじゃねえ、と因縁つけているんですよ。
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この回答へのお礼

ご意見有難うございます。

◇「民主制における憲法というのは、内容の正しさよりも、成立過程の正しさの方が大切なのです。」
については、「内容の正しさよりも」については疑問を感じます。

もし「成立過程」に疑義があったとしても、「内容が正し」ければ、結果OKだと思います。
問題なのは、時代の経過とともに、「内容の正さ」も、変化することであり、内容が現在に相応しくなくなれば、国民的議論をして、変更をするのは当然だと思います。

例えば、「No.1さん」へのお礼でも記載した、選挙での「一票の格差」に関して、憲法第14条《すべての国民は法の下に平等であって~》と、第43条《両議員は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。》が問題になるなら、「地方創生」が叫ばれる昨今、少なくとも、参議院は地方代表として認知されるように「憲法改正」の議論があってもよいと思います。

※憲法を改正し、一票の格差問題を決着すべき(blogos)
http://blogos.com/article/85476/

「自分の国のことは自分できめる、自分の国の基本法である憲法なんだから自分で創らねばならないのだ、という国民主権にこそ、その大切さがあるのです。」は、感情的には、おっしゃる通りだと思いますが、やはり「内容」に焦点を当てなければ、改正へのハードルは、高くなりそうな気がします。


◇「何が公平か、政治家が判断することはおかしくありません。」は、
「何が公平か」は、個人によって価値判断の基準が異なるし、裁判官でさえ、担当する裁判官によって、結果が異なることがあるので、全体的な状況で判断するしかないと思いますが、「憲法は、表現の自由など国民の権利がおかされないよう、権力に様々な制約を課している。ところが安倍政権は、こうした制約を乗り越えてしまうことに、あまりにためらいがない。」と、短絡的に決めつけている姿勢に問題がありそうに思えます。

実際に「表現の自由など国民の権利がおかされている」なら、マスコミとして、その事実を、身を挺して、世論に問うべきだと思いますが、それもしないで「憲法は、権力者たるあなたのものではない」と遠吠えをするのは、自らが「真のジャーナリズム」では無いことを証明していると思えてしまいます。

お礼日時:2016/03/05 23:52

2と3について回答しましょうか。



政治的公平性と言うのであれば、必ずしもマスコミ一社単独で公平を実現する必要性はありません。

「政治権力」に対する「民衆」の構図で、政治的公平性を、より確実に担保するために、マスコミ、ジャーナリストの存在が大事にされてきたのが民主主義です。

「政治権力」と言うのは暴走しやすい。
今の安倍自民も議席を持っているので、安倍氏が「お前らまた自民から立候補して政治家になりたいなら、俺の言うことを聞け」と言い、自分の好きな法律を制定するという方法も取ることができますね。

そういう「政治権力」に対するストッパーが、憲法であり、司法であり、民衆による投票であり、そしてジャーナリズムであるんです。

コレが民主主義。
中国は違いますね。ジャーナリズムは国・・・と言うか、共産党を批判することは許されていません。

政治家が国民に向かって「ジャーナリストに聞こえるように」「放送法を使うぞ」と発表する行為は、あまりよろしくありません。
前述した「民主主義」に反する可能性がありますね。

自民党への批判が抑制される。
つまり、民主主義国家としての公平性を担保するためのジャーナリズムに、少なからず圧力を与えてしまいます。
そして、実際にメディアはその圧力に屈し、ニュースステーションなど、自民党を批判するようなキャスターを退け、批判しないようなキャスターに変えようとするなどの現象が起こりました。

ジャーナリズムはあくまで政治「権力」に対して批判を抑制させるような事があってはならない訳です。
中国と同じになりたくなければ。

但し、メディアは「権力を持たない民衆一人一人」に対しては、細心の注意を払って「公平性」を担保しなければなりません。
ここが放送法の肝です。

小泉首相は?麻生首相は?歴代自民党の首相は?
何故マスコミに安倍氏のような手法を取らなかったか?

民主主義をわかっていたからです。

小泉氏は、マスコミに苦情を言ったり放送法を提示して批判を抑制するのではなく、逆にマスコミを利用した。
政治家としての才能をいかんなく発して、マスコミを味方につけた。カッコイイ。

麻生氏は批判に晒されましたが、マスコミに対して脅しや飴をちらつかせたりはせず、粘りましたが、最後は潔く散った。

方や安倍氏は「マスコミトップと会食を繰り返す裏工作」「消費税減税という飴」「放送法で脅し」など、小細工ばかりを弄した。姑息。

まあ、批判されるでしょうね。

3については、政治家が身分が高いわけではないですから。あなたもここやブログで「安倍!」等と呼び捨てにしても良いんですよ。
面と向かって言っても、中国のように処刑されたりはしません。

言論の自由も保証された、身分制度もないきっちりした民主主義で、日本は中国とは違いますから。
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この回答へのお礼

ご意見有難うございます。

◇『政治家が国民に向かって「ジャーナリストに聞こえるように」「放送法を使うぞ」と発表する行為は、あまりよろしくありません』は、おっしゃる通りだと思いますが、今回の件は、質問を受けたので、「放送法に則って行う」と答えただけで、もし「放送法を無視する」と答弁していたら、その方が問題で、今回の件は、野党が無理やり答弁を引き出した「悪だくらみ」の色彩が強い気がします。

◇『ジャーナリズムはあくまで政治「権力」に対して批判を抑制させるような事があってはならない訳です。中国と同じになりたくなければ』も、おっしゃる通りだと思いますが、日本において、現実的にそのような事象が生じえるか、疑問に感じます。
もし、そのようなジャーナリズムが存在するとすれば、「真のジャーナリズム」では無いと思いますし、「真のジャーナリズム」に対し、政治「権力」が圧力を加えることがあれば、自由な情報伝達の機能が発達している日本では、世論がそれを許さないので、中国と同じになる懸念は極めて低いと思いますので、今回の様に反論するのは、自分達が「真のジャーナリズム」である自信が無いことの証明のような気がします。

◇『メディアは「権力を持たない民衆一人一人」に対しては、細心の注意を払って「公平性」を担保しなければなりません。ここが放送法の肝です』も、おっしゃる通りだと思いますが、「公平性」は、人によって尺度が異なるので、現実的には、メディア側がよほど注意しないと無理だと思います。
「○○ステーション」などは、日によっては、とても公平だと思えない報道もありましたので、総務大臣が特定の報道を職務権限で非難するのは問題ですが、直接的な職務権限のない政治家が意見を述べるのは、表現の自由の範疇だと思いますし、それで怯むようでは、もとから「真のジャーナリズム」ではなかったのではないかと思ってしまいます。

◇日本では『「安倍!」等と呼び捨てにしても良いんですよ。面と向かって言っても、中国のように処刑されたりはしません』も、おっしゃる通りだと思います。
疑問なのは、「呼び捨て」にする自由があることを認識しながら、一方では、「報道の自由が抑圧される」と危惧するのは、マスコミ側に論理の一貫性が無いと思います。

いずれにしろ、他人を呼び捨てにする、下品なマスコミの社説の信頼感は薄れてしまいそうです。

お礼日時:2016/03/05 23:06

なぜ、憲法改正は「悪」とのレッテルはりの様なことなのでしょうかね?



その憲法に、憲法改正はダメとは、なっていない。

憲法改正をダメだと言っていることの方が
憲法をバカにしている事のなるのでは・・・?
憲法を否定している事にならないの・・・・?
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この回答へのお礼

ご意見有難うございます。

おっしゃる通り「憲法に、憲法改正はダメ」とは記載されていませんよね。
全く憲法改正を否定するのは、進歩を否定するようなもので、時代の変化とともに、法律への要請も変化するのだから、どう変えるべきか、国民的な議論をすべきですよね。

頭から、「憲法改正をダメ」と主張するのは、おっしゃるように「憲法をバカ」にしているのみならず、日本国民に「思考停止しろ」と言っているようなものだと思います。

例えば、選挙での「一票の格差」が問題となり、その都度、定数調整をし、つじつま合わせを行っているが、憲法第14条《すべての国民は法の下に平等であって~》と、第43条《両議員は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。》が問題になるなら、「地方創生」が叫ばれる昨今、少なくとも、参議院は地方代表として認知されるように「憲法改正」の議論があってもよいと思います。

マスコミとして、今回のような無意味な社説を掲載するのではなく、国民に必要な「憲法改正」の議論を呼びかける等、前向きな提言を行うのが、マスコミの務めだと思うのですが・・・。


※憲法を改正し、一票の格差問題を決着すべき(blogos)
http://blogos.com/article/85476/

お礼日時:2016/03/05 22:09

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