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中国を支配した王朝で、日本に攻めてきたのは歴史上、モンゴル帝国しかありません。
モンゴル帝国は中華というよりユーラシア大陸の大部分を征服した遊牧民族による王朝ですから、それを除くとした場合、中華帝国が日本を征服しようと考えなかった(考えても行動に移さなかった)理由は何だと思いますか?
中世以降、領土拡大意欲が強かったと思われるのは明の永楽帝、清の乾隆帝が挙げられますが、彼らでさえ日本を征服しようとは考えもしなかったのではないでしょうか。
古来から伝統的に中国は日本を手ごわい相手だと見ており、手を出すのを控えてきたということでしょうか。フランスも昔からイギリスを征服の対象にしませんでしたが、それと似たような感じがします。

質問者からの補足コメント

  • 領土拡大欲はあったでしょう。そうでないとあんな大帝国を作れはしません。
    そして、世界的に領土拡大競争が極限に達したのは19世紀の帝国主義の時代であり、21世紀の現代においては下火になっているように思えます。今の競争の殆どはお金の獲得競争ですから。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/04 00:51
  • 鄭和の大艦隊は有名ですよ。
    明・清の時代には船により外洋に漕ぎ出してもいます。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/04 07:02
  • 西域と呼ばれた中央アジアはしばしば、中国の支配下に入っています。
    あの辺りの長安や北京からの距離は、日本との距離よりはるかに遠かったはずです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/04 13:29
  • モンゴルを2度も撃退し、朝鮮半島を何回も侵攻し、スペインやイギリスも侵略をあきらめた日本が弱かったのですか?
    それを言うならモンゴルや満州などの異民族に何度も征服された漢民族や、僅か数百人のスペイン人に完敗したインカ帝国、アステカ帝国、何億もの人口がいながら完全に植民地化されたインドはどうなるのですか。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/04 16:15
  • >もし昔の日本がそんなに強い国であったのなら、なぜ大帝国にならなかったのでしょう。
    日本が強い国だったとは言っていませんが。弱い国だったという意見を否定しているだけですから。
    そもそも私は、中華帝国が日本を攻めてこなかった理由を聞いているのですから、日本が弱かったというのは理由になっていないと思うのですがね。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/04 16:41
  • 理由を書かれていたとしても、それに加えて日本が弱かったと付け加えているではないですか。
    先に書かれた回答を補足するものならまだしも、日本が弱かったというのは中国が日本を攻める理由にはなっても、日本を攻めない理由には決してならないです。
    そういう回答は蛇足にもなっていないので止して頂きたいと思います。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/04 19:00
  • >それは変ですね。私も弱かったとまでは書いてないのですが。
    日本はずっと弱い国だったと書かれていませんでしたっけ。

    >どうもあなたは自分の意見に合わない意見は最初から頭に残らないのではないですか。
    あなたは自分の書いた回答すら頭に残っていないようですが・・・
    そもそも私は、昔の日本と中国では中国の方が強国だったのは明らか。中華帝国は強くて周囲を征服したのにどうして日本を攻めなかったのかと質問しているわけですから、日本が弱かったと書かれても、それは中国に比べたら明らかだし、攻めなかった理由にもなっていないわけです。例えばラグビーで日本が南アフリカに勝った理由を聞いているのに、日本が弱かったからですと答えるようなものですよ。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/04 19:55

A 回答 (12件中1~10件)

色々と理由はあると思います。


中国は黄河から海岸の平地に栄えた古代中国文明です。
初代国家? 秦の始皇帝から漢の時代も
西方向へ領土を広げて今の中国の地図の様な領土内での争い事ばかりです。
その後もシルクロードが栄えて、魅力は西方向にあったと思います。
万里の長城も築かれます。北方の領土境界線も非常に長いです。
西南方向は、砂漠あり、山脈あり領土拡大も難しく魅力もない。
当時の日本は、不老不死の薬があるとか、情報も少なく間違いだらけ。
3世紀位までに貢物が送られて、お返しに
金印が2回も送られている。
後も遣唐使、遣隋使が送られ、友好関係にあった。
13世紀において、マルコポーロが東方見聞録で、ジパングを紹介する。
宮殿や民家が黄金で人食いの習慣があるとか
如何に日本がまだ知られていなかったという事でしょう。
15世紀の日本、戦国時代ですが、よくぞこの時代に他国(中国)が侵略してこなかったか
この時代に、島津か毛利に援軍を出していたら日本の歴史は変わっていたと思う。
確かに、この時代の中国は明から清へ動乱の時代でありました。
その後、江戸時代が到来、日本は長崎にオランダと貿易を行うだけの鎖国を実施
当時の清が行った政策は、ロシア方面、チベット方面への侵攻
資金がほしくてお茶を売って、アヘンを買ってしまった。
やばいと思いアヘン戦争がおこるが、大敗、西洋諸国の植民地になる。
既に、日本侵略などする力はありません。
後に日清戦争がおきますが、案の定、敗北です。

西洋は多くの民族が陸続きの為、戦争の歴史です。
おかげで中国への侵略が18世紀まで遅れます。
それもたまたま島国であったイギリスが権力を有しています。
朝鮮がなければ、中国が日本へ侵攻してきたと思うし
中国がなければ、イギリスが日本へ侵攻していたかもしれません。
日本はたまたま、島国で中国があったから侵略されずに済んだ稀な国だと思います。
以後、昭和の歴史はご存知の通りだと思います。
現在の中国の軍事力、経済力と当時とはかけ離れています。
他国と陸続きで接する大国を統治するの如何に難しいかですね。
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それは変ですね。

私も弱かったとまでは書いてないのですが。
どうもあなたは自分の意見に合わない意見は最初から頭に残らないのではないですか。
私の文章など最初から読みもせず、自分の頭の中の意見を周囲に押し付けたいだけなのではないですか?

ご自身の意見と完全に同じ意見しか求めていらっしゃらないのであれば、質問サイトではなくフェイスブックなどで1人で意見を書かれた方が良いと思われます。ここは質問サイトですから。不都合な真実を直視できない人は質問サイトには向きません。
ここはイエスマンを募集するサイトではありません。あしからず。
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中国が日本に攻め込まなかった理由はすでに述べましたが。

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それが歴史の条件の違いです。

単純に強いから征服されない、というわけではありません。
それぞれの国がなぜ征服されたのか、調べてみてください。
もし昔の日本がそんなに強い国であったのなら、なぜ大帝国にならなかったのでしょう。
実際には日本が帝国であったのは、百済新羅を除けば、近代の時のみです。それが国力のメルクマールです。
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この150年ばかりの日本が異常なまでに強すぎたのです。


歴史のほとんどの時代において、日本はもっとずっと弱い国でした。
近代の日本の強いイメージを過去の日本にそのまま当てはめることは適切とは言えません。
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No6 です。

だからそれはメリットがあったからですよ。交易ルートだから支配することによる明確な利益があったからです。
日本はユーラシアの先端にあります。そこから先にはどこにも行けません。
さらに長安からみると西域はまったく遠くありません。すぐ隣と言ってもいいです。道も勝手知ったるものだし、地元と言ってもいいくらいです。
見かけの距離より、心理的な距離は非常に近いです。海の向こうとは違います。中国史では海は大きな距離になります。
北京に移ってもあまり変わりません。さらに北京に移ってからの西域支配は厳密に言うと清だけです。
清はモンゴルと同じ北方王朝でもあるので漠北を制圧する必然性があります。清は自分たちをモンゴルと同列に見ていましたから。
チベットなどは支配したとは言えません。
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距離が遠いからです。


「距離の暴虐」といいます。
あまりに領土が広がりすぎると、支配するのが非常に難しくなります。
例えば、反乱が起きても首都に情報が届くのは2年度、鎮圧軍を送り込むまで4年後、しかも遠距離なので経費がバカになりません。
これでは反乱鎮圧もままなりません。
さらに征服してもそれに対する見返りがあるかどうか。ないです。そう思われました。
中国はしばしば西域を支配してましたが、そちらは交易ルートだから支配すると確実に収入になるのです。南方もそうです。
利益にならない場所を支配しても意味がないので、通常、そのような領土は放棄して、
その代わり冊封という表面的な支配関係というか外交関係を取ることで満足するようになりました。

中国からみて日本は、遠すぎて支配するのが難しい、と伝統的に見られていたのです。
朝鮮ですらうまく支配できてるとは言いがたいです。隋が3回の大遠征に失敗して結局帝国の崩壊を招いたことは中国史で有名です。
ましてさらに遠い日本に遠征するなど、王朝を滅ぼす気か!と忌避されるのも仕方ないことかと思います。
日本を征服しても、交易上の有利点も何もありません。統治コストが増えるだけです。
朝鮮もなんだかんだいって完全に中国に併呑されなかったのも支配するメリットに欠けたからです。
ここも基本的に外面的従属でよいと見なされました。

モンゴル帝国と、欧米の植民地主義ですが、
モンゴル帝国は征服した土地に分国を造ります。以後はその土地の問題は、その土地の分国が解決することになります。
遠い帝国中央は基本的に関与しません。(帝国中央が遠征軍を出してきたときには、分国は協力しますけど)
欧米植民地は、近代以前は比較的に征服のコストが安い辺境地帯を植民地化しました。
ここも希少鉱物などの産地だったり交易拠点として好都合な土地だったりする場所です。
さらに辺境地帯にはそもそも反抗できるだけの組織力があまりありません。
支配側は反乱を起こされないよう人種カーストを構築したり、あれやこれやの対策を取っていますが、
それでも南北アメリカ大陸のように地元に密着した勢力が出てくると結局独立を許してしまいます。
かように遠隔地を統治するのは困難なのです。

鄭和の大艦隊ですが、基本的に遠征軍というよりは探検隊というか通商交渉使節という性格が強いと思います。
ペリーのアメリカ艦隊と似た立場です。それに開拓ルートもインド洋中心の交易が盛んに行われている地方です。
また鄭和の死後に大艦隊は放棄されてしまいました。海洋を本格的に制圧する意思は、中国には育まれなかったと思います。
清も台湾に遠征しましたが、結局、後に日本が経営する時代になるまでほったらかしにされてたのが実情です。
ごく最近を例外にして、中国には海洋支配の意思はありませんでした。海を越えての遠征は基本的に論外だったのです。
鄭和だけが極端な例外です。

あとフランスはプランタジネット王朝がフランスによるイギリス支配の時代です。またルイ王朝時代にはイギリスに遠征軍を派遣してますよ。
ボイン川の戦い、カロデン・ムアの戦いなどです。イギリスの内戦のように見えますが、フランス軍が片方に参戦しています。
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古来から伝統的に中国は日本を手ごわい


相手だと見ており、手を出すのを
控えてきたということでしょうか
   ↑
スペイン辺りも、当時の日本は手強いとみていた
という資料が残っていますね。

それもあったろうし、わざわざ海を越えて
領地にするほどのメリットが無い、という
計算もあったように思います。

そういう理由に加えて、あそこは朝貢外交の
国だ、という理由があると思います。

鄭和にしても、コロンブスなどとは異なり
武力はほとんど使っていません。
朝貢を約束すればそれでOK,というマコトニ
平和的なモノでした。
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古来から伝統的に中国は朝鮮を手ごわい相手だと見ており、彼ら朝鮮の国によって日本は守られてきたのです。

事実、朝鮮が手に落ちた元の時にだけ日本は攻められています。

あなたの主張はこれと同じ。
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それは、


海軍力が、無かったから。

モンゴルも、中華も、大陸国家だったので、
陸戦には、強かった。

実際、モンゴルの日本への攻撃は、
朝鮮の海軍力によって、行われました。
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