1つだけ過去を変えられるとしたら?

本当に意味不明な質問になりますがお許しくださいm(*_ _)m

最近

「病気かもしれない」
「残された命が少ないかもしれない」

などの感覚に物凄く襲われます。
特に病気が見つかったと言うわけでも
ありませんが、そんな感覚が毎日のように…

かもしれない

と、ゆうよりも

もう死ぬんだろうな

ってレベルまで感じています。笑

こんな感覚に襲われた方いらっしゃいますか?
ふざけてるわけでもないですし
本当に病気と闘ってる方にはすごく失礼な内容かもしれませんが

誰にも言えなくて(´・_・`)
ごめんなさいっ。

A 回答 (9件)

正直ありますね。


がんかもと思った時もある。
でもよく考えるとこの歳でがんならもっと早く進行するはずだよなとかいう結論になる。

あとはあまり長生きしたいと思ってないんで、死にたくないかといえばどちらかと言えば死んでも別にいいなとか思うわけです。

まあ病気でなくても死ぬときは死ぬわけだし、死んだら死んだで。
くらいまで行くとあまり考えなくなりますよ。

まあ神経質な人間はだれでも持っている思考回路じゃないでしょうか。
別に気にすることはないです。
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連投すみません。



ちなみに今は、明日まで生きているかどうかはわからないと思いながらも、不安はありません。
その不安が消えたきっかけを、本当に参考までにということで書いておきますね。
あくまでも、私一個人が体験したこととしてお読みください。

一般的には他のことに意識が向けば、そんなことは考えなくなると思われがちですが、私の場合は、まったく逆でした。
自分の不安と、真っ正面から向き合うということをやってみたのです。

まず、明日、自分が死んだとしたら誰が困るかということを考えて、正式な遺書を作りました。
行政書士の方には「まだ遺書を作るには早いのでは?」と言われながらも作成してもらったのですが、
作ってみたら、自分でもビックリするくらいに気持ちが落ち着き、その後も以前のような不安に襲われることがなくなったんです。
本当にお若くて、諸々の法的な事を考えても遺書を作るまでの必要性はまだないかなという立場であったとしても、
自分が死んだら悲しむであろう人に、手紙を残すということをやってみてもいいかもしれません。
とにかく、自分がいつ死んでも大丈夫な状況を作るということでしょうか。

それは、自分が何に対して不安を抱いているのかを、しっかり自分に問いかけて、
それを、ひとつひとつ解消していくということをやっていったということです。

もう一つは、死そのものに対する恐怖を解消するために、
死について書かれている本を徹底的に読んだということでしょうか。

それは、恐怖や不安というものが、わからないことに対して起こるという前提を踏まえて
そういう行動をとることにしてみました。

その中で、あくまでも私のお勧めの本はソギャル・リンポチェ氏の『チベットの生と死の書』でしょうか。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%99%E3%8 …

以前に、テレビでチベットの事を放映していたときに、
チベットの人達の誰もが「死は怖くない」と言っていたのが印象に残っていたので
まずはチベットの本を読んでみたのですが、その中でもこの本が私の中ではお勧めでした。

他には、宗教的なものに対して、どうしてもアレルギーが、ということでしたら、
立花隆氏の『臨死体験』などもお勧めです。
https://www.amazon.co.jp/%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%B …

ただ、これらは、本当に参考程度にということで書いたことをご了承ください。
誰もが同じ結果になるということはないどころか、
もしかしたら逆効果になることもあり得ることなので、
少しでも抵抗を感じるようであれば、直接、専門家の人に相談してくださいね。
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No.4を書いた者です。



>この数年で大切な人が亡くなることが多くて

私への回答の中ではありませんでしたが、この言葉を見つけて納得してしまいました。
実は私もここ数年で、自分の両親、夫の両親、そして私と年の近い友人と次々に亡くしました。
No.4のコメントでは書きませんでしたが、そんなせいか私も夜布団に入って天井を見ながら
明日の朝、ちゃんと生きて目が覚めるかなぁ、なんて考えていることがしょっちゅうです。
東日本大震災等で、大切な人を一度に亡くされた方なんかは、明日まで命がある保証を感じることができたとしたら
それこそが奇跡に感じてしまうのではないかと思ってしまうくらいです。
でも、繰り返しになるかもしれませんが、終わりを感じることができるからこそ、
今をより大切にしようと思えるような気もしています。
世間体とかの、どうでもいいことに大切な時間を費やしてしまうことが、本当に無意味に思えてしまって
自分が本当にやりたいことをやっていきたいと思えることは、実はありがたいことではないかとさえ感じます。
そういう意味では、命というものを真剣に考える機会を与えられたのは
ある意味、恵まれていることかもしれない、なんてね。

なんにしても、どんな経験にも意味があるし、それを大切にしていきたいですね。
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病気かもしれないと感じるから、何?


自分だけのことと思う?
みんな、不安はあるんだよ。いろいろと。でも、日々を懸命に送っているんだよ。

あえて言うよ、要は、暇なんだよ。あんた。
だから、不安とか、なんとか、悩んでいられる。
悩んでいる自分に、自己陶酔していられる。

働け! それにつきる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(´・ω・`)(´-ω-`)) ペコリ

皆様、日々を懸命に送っていて不安もあると思います。

こちらの勝手な話になりますが
毎日、残業して働いています。
そんな不安な気持ちで睡眠不足になり体もきつくなってきたので相談させていただきました。

趣味もなく自分で気持ちのリフレッシュの仕方を考えていなかったりしたのは確かですが

「あんた暇なんだよ働け!」

とまで言われなければなりませんでしたか??

回答いただいてこんな言い方申し訳ありませんが固定観念だけで
そこまで言われるのはショックでした。

失礼します。

お礼日時:2016/07/04 14:50

想像ですが、そういう感覚は誰にでも起こりうるのでは無いでしょうか。

程度の差はあれ。
心療内科かそのあたりで相談すべきかどうかは・・・。なんとも言えませんが、素人があれこれ悩むよりは相談したほうがいいでしょう。
お医者さんから、大丈夫です問題ありませんと言われたらそれに越したことはありません。まあ、もしかしたら、今の相談がむしろ笑い話に出来るくらいきれいに解決するかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(´・ω・`)(´-ω-`)) ペコリ

いつか笑い話になるように
楽しめるように気持ち切り替えて行きたいと思います!

お礼日時:2016/07/04 14:43

『死』を考えるということは『生きる』ということを考えることにつながってくることだと思います。


だから、あなたは少しもおかしくないと思います。

現代では、死を迎えるのは病院が多く、普通の生活からは隠されてしまっています。
しかし、誰もがいつかは死ぬ。それは紛れもない事実です。
であるなら、自分は明日死ぬかもしれないけど、もしかしたらそれは80年先の事かもしれないと考えたらどうでしょうか。
あるいは、明日死ぬとしたら、自分は何をしたいのだろう、とか
それが80年先のことだったら、自分はどんな風に生きていきたいのだろうと考えてみるのもいいような気がします。
そこで何かが見つかったらしめたものです。
それはあなた自身の生きる目的を見つけたことにもなるからです。
死を前提に見つけた答えというのは、ある意味、とても深いものだから、
それを大切にされて、今後を生きていかれたらいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(´・ω・`)(´-ω-`)) ペコリ

そうですよね。
確かに未来に対して今現在何かしたいどうしたいとか今まであったものがぼやけている所のような気がします。

色々考えて生きていきたいと思います♡

お礼日時:2016/07/04 14:41

♯2さんの意見と同じくですが、


昔、そんなことを思った時期がありました。
そう思っては、
「死ぬのが怖い」と、おののいていました。
何故でしょうかね。
若い時って、死が、(その定義はわかっていても)まだ現実のものではないから、
余計に怖いのかもしれませんね。
そして、漠然とした恐怖があるから、
つい、常に自分の死を考えてしまうのかも。
これも、♯1さんの言われたように、
現実が忙しくなれば・・・、
しなくてはならないことが多くなってくると、
いつの間にか、考えなくなります。
その後、何十年か経った頃に、
また、死のことを考えるようになりますが、
恐怖の感情でなくなります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(´・ω・`)(´-ω-`)) ペコリ

この数年で大切な人が亡くなることが多くてもしかしたら
その恐怖からきているのかもしれないです..
仕事仕事仕事しかしてないので
趣味など見つけて気持ちの切り替えしてみたりしてみます( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)

お礼日時:2016/07/04 14:39

心療内科を受診したら、気ちがい扱いされます。

薬漬けにされて、廃人になります。
絶対に精神科は受診してはいけません。

あなたは正常ですよ。ただ、死ぬことに意識が偏りすぎているだけです。

暇なせいです。肉体労働でもしたり、彼女が出来れば、いつの間にか消えます。
思春期には誰もが経験します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(´・ω・`)(´-ω-`)) ペコリ

肉体労働に近いものをしながら
残業でなかなか会えませんが
彼氏も一応いるのですが
この様な気持ちに襲われてしまって( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`

お礼日時:2016/07/04 14:37

似たようなものに離人症っていうのがあるらしいです。


過去に死ぬかもしれない体験にあった人が稀に引き起こすみたいですね。

記憶になくても小さい頃に椅子(高いところ)から落ちたり、そのときの恐怖感から逃れようとすることが原因らしいのですが、

いずれにせよ、心療内科で受診するのもいいかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(´・ω・`)(´-ω-`)) ペコリ

あまり続くようなら心療内科も考えてみます!

お礼日時:2016/07/04 14:35

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