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何で神社とお寺は山の麓にあるの?

A 回答 (7件)

神社とお寺では多少メカニズムが違いますが、基本的に「険しい自然には超然的な力が宿る」というのが人間の基本的な性質で、それが山に宗教施設を置く基本的な理由になっています。



神社やお寺などではないほかの宗教でも、険しい山などの自然に宗教施設を置くことが多くあり、たとえばギリシャのアトス山を中心としたアトス半島は、キリスト教の聖地として一般人は立ち入りが禁止されています。この地域に行けるのは、キリスト教巡礼者と一部の申請者それも男性限定です。
参考:https://www.travelbook.co.jp/topic/322?p=2

神社は「険しい自然には超然的な力が宿る」という信仰そのものを大切にしている宗教ですから「神様がいる」と考える山や川などに神社を置きます。
 やまに置かれている神社は麓にあることも多いですが、じつはこれは参拝用の拝殿があるだけで、神様を祀っている本殿は山の上のほうにあったり、山頂にしめ縄が張られているだけだったりします。

神奈川県の大山阿夫利神社(おおやまあぶりじんじゃ)はケーブルカーで行ける山の中腹に下社(拝殿)があり、山頂に本社があります。最初は山頂までお参りに行っていたのに、いつしか麓に拝殿を作ってしまった神社もたくさんあります。
http://www.afuri.or.jp/harm/ohyama_map/

ですので、神社の場合麓に社があるのは「参拝しやすいようにするため」と言う理由が一番大きく、神様は山そのものだったり、山頂に社やしめ縄などで結界を作っているところもあります。

仏教において山というのは、ブッダが悟りを開いたように、悟りを開くための修業の場であったことから山の中にお寺をたてたものです。実をいうとそれだけでなく、お寺は必ずしもその土地の支配者と仲良くなかったため、寺を山の中に作ることで「支配者の言うことを聞かないからと、軍隊に攻められて信仰の自由を奪われないようにする」という理由もありました。

 日本でも後白河法皇は「比叡山の僧侶は私の言うことを聞かない」と言いましたし、織田信長はその比叡山を焼き討ちにしています。当時は僧兵というお寺をまもる坊主姿の兵隊もたくさんいたのです。
 日本だけでなくブータンなどでも仏教施設は同時に要塞だったりした歴史があります。

日本のお寺の歴史、というか山寺の歴史はさきほどの延暦寺にはじまります。延暦寺を開いたのは平安時代初期の僧・最澄ですが、当時日本の仏教は国教だったため国の許可が無いと仏僧になることはできませんでした。そのため最澄は比叡山に修業拠点を作って僧を養成し、そこから新しい思想をもった僧が仏教を広めることに専念したのです。
これにより親鸞や日蓮などの新しい仏教思想を広める優秀な人々を何人も輩出しました。

もうひとつ仏教の山で有名なのは高野山ですが、これは弘法大師が開いたもので、弘法大師はこの山の奥のほうで、読経しながら飲まず食わずで生き仏として入滅しており、高野山では「弘法大師さまは生きている」として毎日食事を出しています。

つまり仏教にとって山は修業の場所であり、参拝者が来やすいように麓に寺を置くところもおおいといえます。
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>何で神社とお寺は山の麓にあるの?



特にその様な決まりはありません。

したがって、場所によっては、平地や海辺、街の中、にも神社や寺は沢山あります。

ただ、場所によっては
古い神社やお寺は山の麓にしかない、という場所も確かにあります。

それは、過去に大津波などで被害を受け、
平地や海辺にあった神社や寺はすべて流されてしまった為、
津波の被害に遭わなかった高い土地にあった神社や寺だけが残った、
という場所もある事はあります。

したがって、過去に大津波に遭ったとする場所では、
正確な情報があまり残っていない為、
高台にある古い神社や寺を線で結んで、
その当時の津波の高さを想定した、というケースも実際にあるそうです。

また、津波によって寺や神社が致命的な被害に遭った場合、
人の心理として、再建する際には同じ被害に遭わない様にと
高台に移転するという事も十分考えられる事だと思うので、
その様な理由から山の麓に多く存在するという事もあるかもしれませんね。

なので、質問者さんがその様な地域に住んでいる人であれば、
この様な疑問や質問があってもおかしくはないと思います。
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麓(ふもと)?



麓では、山のもと、山の下になりますから
たぶん山の上、頂上の間違いではないかと思いますが

神社やお寺に行くということは
何か悩み事やお願いごとがあるときに行くことが多いものです

そこで、目的の神社やお寺に行くのですが
高いところにあると、当然山登りをしなければなりません
場合によっては千段くらいある階段を登らなければならない所もあります

疲れます。苦労をします。必至です。汗もかきます。

その途中では、頂上に着くことに必至で、悩み事や願い事のことを忘れてしまいます

そして、到着することによって体が休まります。心も休まります
ホッとします

このホッとすることが大事なのです
ここに工夫があります

近所または便利な所にある神社やお寺では
日常の心のままで、門をくぐりますが
困難なところにあることによって
ここまで着たという安心感、達成感がありますから
暗い顔をしていた人も
登る前と違って明るい顔で、訪問することができます

悩み事よりも汗を拭くことに心はありますから
もう悩み事も、半分無くなっていることでしょう

場合によっては、途中わざと目的の建物が見えないように
階段が作られている所もあります

これも、途中で、「あっ、見えてきた!」という達成感を持たせようという
仕組みにもなっています

現代の建物でも、階段が問題になる場合には、途中で何かが見えるようにして
登る人を疲れさせない、退屈させないように工夫されていることもあります
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墓地を山に作ったからです。



古墳が山なのもそういうことです。

日本では古来より
・山の神様=女神
・海の神様=男神

とされてきました。

ちなみに天皇家の天孫降臨も高天原の高千穂山(祖母山)です。

なんで山に墓地を作ったのか?
それは、昔の人は、みんな山単位で国を作ったからです。
ひと山ごとに○○国がありました。
稲作が始まって平地に住みだしたのです。

ちなみにヤマトとは山十(やま・と)から来てます。
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比叡山延暦寺は、山の上にありますよ。

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現代の言葉のパワースポットに建てられる場合が、多いです、緑が、多くて気持ちよかったり、地形的にいいなと人が、感じる土地が、神仏にとってもいいと感じます。

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人間が暮らしている所よりも高い所、天に近い所に


作ることによって、人間を超えた存在だと思い込ませようと
しているんです。
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