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戦国時代、城下町を発達させるため座を廃止したそうですが、座を廃止することで、なぜ、城下町の発達に繋がるのですか??

A 回答 (7件)

現代でも同じ政策がありますよ。

「経済特区」です。いろいろな地方で行われています。
それを手がかりに調べてみてはいかがですか?

歴史は、ちゃんとつながってるんです。わかってくると面白いですよ。
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現代版でいうといつになったら所得税無くなるんだかね??



知ってる??

消費税の意味??

元竹下総理が国民の所得税無くす為に消費税始めたんだよ!?

所得税無くなるどころか消費税ばかり上がる!

国が国民に詐欺してるんだ!

これなんで罪にならないの僕???
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織田信長からですね。

税金取りません。商売始めるのにややこしい申請も要りません。
で、商人たちが信長の領地に集まるようになりました。
特に、当時の軍事力に直結する馬や槍、刀などが集まったのが、織田家の戦力アップに直結しました。(鉄砲は、商人でなく職人による製造)

税金が安ければ、景気がよくなる。
税金を高くすれば、不景気になる。
単純だけど、政治の基本。
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座を廃する、てことは自由な経済活動を


認める、ということです。

経済を自由にすれば、人が集まり増えます。

人が集まるから、経済が活性化します。

だから城下町が発達します。
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1社独占の大型スーパーを作るよりも多種多様の商店街を作った方が発展するから

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中学校では「座を廃止した」とは教えてないと思います。


http://www7a.biglobe.ne.jp/~gakusyuu/rekisi/odan …
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7
最古の座は青蓮院を本所とする八瀬里座で杣伐夫や駕輿丁によって構成されて青蓮院の本山である延暦寺や朝廷に奉仕を行い、後の八瀬童子の源流となった。鎌倉時代に入ると大都市や商工都市を中心として座の数が増加するようになる。代表的なものとしては京都においては後の西陣の源流となった大舎人の織手座や祇園社の綿座・錦座、北野社の麹座、山城大山崎の油座、摂津今宮の魚座、鎌倉の材木座、博多の油座などがあり、大和の興福寺や近江の日吉大社も多数の座を支配下に置いたことで知られていた。
座は仕入の独占を行い、必要に応じてはその商品の運搬路や運送具の独占すら行った。また、本所の政治力を背景として関所における通行税や市場における営業税の免除の特権を獲得した。その一方で自己の専売を確立した市場では座外の商人・職人の営業を禁止して座衆による独占を図り、座に属する小規模業者の維持に努めた。また、座同士の連携なども盛んに行われ、生産地の座と消費地の座が連携したり、大都市の座が地方の座を支配したりすることが行われた。
だが、室町時代に入ると座を取り巻く環境に変化が生じるようになる。京都における官衙を含めた領主権力が強化され、座の権威を無視して営業税をかけたり、地方の商工業者が地元の領主と結びついて座の権威打破を図ろうとした。こうした中で座も変質していき、本所から自立した営業集団に転化したり、官衙や領主との結びつきを強めて中にはこれらを新たな本所するものが出現したり、座衆の数を制限して世襲特権化を図ろうとした。それに対して新興商人側も「新座」と呼ばれる座を結成して既成の座と同様の特権を求める動きが現れ、更に「孫座」と呼ばれる第三の座すら現れる例もあった。
織田信長が新都市に楽市・楽座をおこない、最終的に豊臣秀吉によって中世の座は解体させられた。これによって座の特定は否認されたが、反対に領主と結びついた特定の御用商人による支配が確立するきっかけとなった。ただし、全ての座が解体した訳ではなく、座役を伴わない商業共同体として残ったものもある。また、芸能者では主要な大夫を家元とする芸能集団としての座が形成され、江戸時代以後に「○○座」という呼称で呼ばれるようになり、転じて劇場や映画館の名称としても用いられた。
江戸時代には幕府の管理下に金座・銀座などが作られた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E4%B8%8B …
(城下町は) 城の防衛施設としての機能と、行政都市・商業都市としての機能を持つ。近世城下町発展の最大の功労者は織田信長で、本格的な兵農分離を意図し武士を城下に集住させるとともに、市街に楽市楽座を設けて商工業の発達を活発にした。さらにそれを発展させたのが豊臣秀吉で、豊臣政権の政治経済の中心となった大坂城下は富の集積地となって殷賑を極め、江戸時代に入っても商業の中心地であり続け天下の台所と言われた。

高校では、「しかし、戦国大名はもとより、信長も座一般を解体するような政策はとっておらず、他の地域では彼によって座が保護されている」(第一学習社:改訂版詳録新日本視資料集成p193)のように習います。
農村のような生産地とは離れたところに商業専門地域をつくって商業活動を奨励し、関所などの障害も減らしたこと、城と農業生産地から切り離された軍組織や消費地を作ったことが、城下町を発展させたのだと思います。
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座とは、一定の人員が、その権益を独占した市場です。


織田信長は、それらの権益を打破する為、楽市・楽座を構成しました。
これによって、一定の地域に独占されていた市場を各地域で自由に設置できるようにしたわけです。
つまり、城下町などに市場が出来るので、商活動の発展が期待できると言う事でしょう。
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