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高3です。歴史についてです。僕は理系の大学へ進学するのですが、歴史を勉強する必要があるのでしょうか?
また、大学1年でも一般教養で歴史の授業があるみたいなので、歴史の覚え方などを教えて下さい。ちなみに普段、マンガなども読みません。

A 回答 (7件)

歴史についてです。

僕は理系の大学へ進学するのですが、
歴史を勉強する必要があるのでしょうか?
  ↑
人生において役に立ちます。

道に迷った。左へ行くか、右へ進むか。
歴史は先人のたどった道を勉強する学問です。



また、大学1年でも一般教養で歴史の授業があるみたいなので
、歴史の覚え方などを教えて下さい。
ちなみに普段、マンガなども読みません。
    ↑
教科書を覚えれば良いだけの話です。

歴史に興味を持つようにするには、歴史小説
などがお勧めです。
そうすれば、教科書の読み方も違ってきます。
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科学史なんかをやることもあるだろうし、ある程度はやっておいたほうがいいでしょうね。



将来になって自分の専門と世の中の関わりを考えたりするときにも歴史は関わるでしょうし。

>歴史の覚え方などを教えて下さい。

大学以降のことを考えるのなら、覚えることより理解することを優先したほうがいいかもしれません。
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理系に進学するのでも、数学が必要と言い切るのは、もしかすると間違いかもしれません。

でも、英語が出来ないのに米国に移住するヒトもいるし、中国語など知らないのに中国勤務を命じられるヒトもいます。高校時代の数学の成績が悪くても名大物理工学科に進んだヒトもいます。
http://www.asahi.com/articles/ASHDX641FHDXUEHF01 …
でも、それぞれ苦労しても、勉強はしたでしょう。

大学での専門の勉強にとっては、掃除や料理、洗濯、地域の文化習慣やスポーツ、娯楽、政治社会の話題に関心がないしほとんど常識外れの状態であっても、さほどの支障にはならないでしょう。 それを"地域社会での生活文化を学ぶ必要がない"とは言わないと思います。 "法制度や自動車運転を学ぶ必要なんてない"とも言わないでしょう。 
仮に、物理学を専攻しても、情報工学全般を学ぶことはないし、有機化学についてはほとんどわからないし勉強してないというのと同じようなもので、法制度、政治経済の仕組み、株式会社に関する規制や常識、イスラム史、中国史、ギリシャ史、近代日本史などを知らない、現代西洋政治史の専攻者はいると思います。 

一般教養は、単位取得条件になっているから必要、就活の際試験科目にあるから必要という面で必要性を思うヒトもいるようですが、平成14年2月21日発表の中央教育審議会の"新しい時代における教養教育の在り方について"という答申では次のように書かれています。
  ~~~~ 引用 ~~~~
 社会全体に漂う目的喪失感や閉塞感の中で,学ぶことの目的意識が見失われ,まじめに勉強したり,自ら進んで努力して何かを身に付けていくことの意義を軽んじる風潮が広がっている。特に幼・少年期や青年期の若者に,自我の確立を求め自ら学ぼうとする意欲が薄れている。こうした傾向の広がりは,我が国社会の活力を失わせ,その根幹をむしばむ危機につながるものと危惧せざるを得ない。
このような時代においてこそ,自らが今どのような地点に立っているのかを見極め,今後どのような目標に向かって進むべきかを考え,目標の実現のために主体的に行動していく力を持たなければならない。この力こそが,新しい時代に求められる教養であると考える。我々は,このような前提を踏まえながら,歴史的な転換期・変革期にあって,一人一人が自らにふさわしい生き方を実現するために必要な教養を再構築していく必要がある。
また,教養が求められているのは個人に対してだけではない。教養は,個人の人格形成にとって重要であるのみならず,目に見えない社会の基盤でもある。一人一人が広く深い教養を持つことは,それぞれの多様な生き方を認め合い,生涯にわたって自らを高めながら,社会の一員としての責任と義務を自覚して生きることのできる魅力ある社会を築くことにつながる。
 社会全体に漂う目的喪失感や閉塞感の中で,学ぶことの目的意識が見失われ,まじめに勉強したり,自ら進んで努力して何かを身に付けていくことの意義を軽んじる風潮が広がっている。特に幼・少年期や青年期の若者に,自我の確立を求め自ら学ぼうとする意欲が薄れている。こうした傾向の広がりは,我が国社会の活力を失わせ,その根幹をむしばむ危機につながるものと危惧せざるを得ない。
このような時代においてこそ,自らが今どのような地点に立っているのかを見極め,今後どのような目標に向かって進むべきかを考え,目標の実現のために主体的に行動していく力を持たなければならない。この力こそが,新しい時代に求められる教養であると考える。我々は,このような前提を踏まえながら,歴史的な転換期・変革期にあって,一人一人が自らにふさわしい生き方を実現するために必要な教養を再構築していく必要がある。
また,教養が求められているのは個人に対してだけではない。教養は,個人の人格形成にとって重要であるのみならず,目に見えない社会の基盤でもある。一人一人が広く深い教養を持つことは,それぞれの多様な生き方を認め合い,生涯にわたって自らを高めながら,社会の一員としての責任と義務を自覚して生きることのできる魅力ある社会を築くことにつながる。
 各大学においては,「大学教育には教養教育の抜本的充実が不可避であり,質の高い教育を提供できない大学は将来的に淘汰されざるを得ない」という覚悟で,教養教育の再構築に取り組む必要がある。
具体的な方策
➀ 教養を尊重する社会の実現に向けた気運を醸成する
学ぶことを通じてより良く生き,より良い社会を作るという意識を,社会を構成するすべての主体が共有することが必要である。このために,まず一人一人が自らの在り方を考えるとともに,産業界やマスコミも含め,社会全体で取り組む気運を醸成する必要がある。
② 大人が教養を高めるために学ぶ機会を充実する
大人が生涯を通じて学び,考え,教養を高めていく機会を充実する必要がある。併せて,民間の教育事業として行われるもの,公的な機関で提供されるものなど,様々な形で提供される学習機会に関する情報提供の仕組みを充実するとともに,学んだ成果を社会の中で生かす仕組みの充実を進める必要がある。
【参考】 我が国の大学における教養教育について
我が国の大学における教養教育は,戦後,米国の大学のリベラルアーツ教育をモデルに一般教育として始まった。新制大学は,一般的,人間的教養の基盤の上に,学問研究と職業人養成を一体化しようとする理念を掲げており,このため,一般教育を重視して,人文・社会・自然の諸科学にわたり豊かな教養と広い識見を備えた人材を育成することが目指されたものである。
  ~~~~ 引用終わり  ~~~~
このように考えると、歴史も「大学の教養課程にある歴史の単位をとる」という視点ではなくて、自分自身に厚みと深みを増し、21世紀の日本で青年期から成人期、中高年、高齢者となっていく自分自身の楽しみを増やし、他人との交際や会話において障碍になる知識経験不足を少なくする、一生涯のことと思った方がイイと思います。 それは歴史だけでなく、地理やスポーツ、演劇、音楽、服飾、デザイン、情報通信、福祉、医療、疾病、経済や政治の諸問題、生産技術、土木建築、化学工業、社会学、心理学、ギャンブル、アニメなど全般にかかわるので、"皮相的にでも"と思ったところで、とても全部をカバーは出来ません。

(a)試験をクリアし、単位を無事にとるのは大事ですが、そこに焦点をあてるのではなくて、(b)歴史の出来事や年号、名称などを記憶することに焦点をあてるのではなくて、(c)過去の失敗を繰り返さないためや起きたことの因果関係を整理記憶するためでもなくて、(d)歴史を学べば未来が見えてくるからでもなくて、(e)どの歴史観や世界観がまっとうかを学ぶためでも、自分なりの世界観、歴史観を持つためでもなくて、【(f){ある情報に接したとき、あるいはある考えが自分に浮かんだとき、それに関して、自己のこれまでの知的経験から産まれる"見直し""問題設定""疑念"に基づいて掘り下げて、自分でも考え、自分でも検証するという能力を持続的に維持し、さらに能力を上げていくための、知的習慣を強化する訓練内容の一つ}が大学の教養で歴史を学ぶことである】と、私は思います。

野球が好きで自分で野球をするのでも、"身体能力を衰えさせず、出来るものならばより身体能力、視覚と反射神経、周辺状況に応じた適確な行動が無意識に出来るための訓練の一つ"と考えることもできます。そうであれば、レギュラーになれるか、運動能力発揮のピークを過ぎてしまったか、仕事や家庭を持ってしまったかには関係なく、仲間と草野球したり、フットサルに変更したり、ダンスを習うのだって、(分野が違う)とはならないです。 
歴史の学習でも、時代や地域、政治史思想史軍事史科学史などの視点の違いなどに細かくこだわらずに、情報や理論、説明に対して、自分なりに疑問をもち、調べ、検証し、問題設定をやり直し、自分で自分の理解を深め、理解力や判断力を磨くための、一つのチャレンジと考えて、自分を客観的論理的でかつ積極的に脳活動する機会にすればイイのだと思います。
授業や講義や教科書、参考資料に書いてあることを記憶するような記憶鍛錬のための時間にしてしまうのは、せっかくの機会を無駄に使うことになるように思います。
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とてつもなくありますよ。


質問者さんの目指す大学のレベルはわかりませんが、理系のプロフェッショナルを目指す人たちが集まるので理系科目では五分五分になってしまうんです。
そのため、差をつけなければなくなるので歴史などが必要とされます。
旅行など言ったとき少しでも歴史を知っていると楽しいですよ(^-^)
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歴史を学ぶ価値は無い、と思ってはや50年。

日本のいまの成り立ちや政治的な動乱の事件や時代の上に僕らが居ることに気づいてからは、もっと若い頃に歴史を学んでおけば今の時代も理解し易かっただろうに、と後悔しています。あなたの質問を見て、自分自身の過去を思い出して恥ずかしくなりました。でも基本は大丈夫。歴史なんて勉強しなくても人生は生きていけます。でもいずれあなたも歴史に興味を持つのが目に浮かびます。
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「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」って言葉知ってますか?


歴史を知らない場合、次のバブル景気で失敗しそうですね。
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科学や技術に原則として国境はなく、あなたも将来日本人以外と仕事上の接点が出てくるでしょう。

そのときあなたの日本人としての拠り所には歴史観があり、他者との価値観の違いにも歴史の影響が強いことがわかります。

そのときのため、他者とのトラブルを解決する引き出しの一つとして歴史を一度は学んでおくべきだと思いますが、「覚える」必要性は感じません。自学用には有名なベストセラー、中公文庫の「世界史(上・下)」(ウィリアム・H・マクニール著)がお勧めです。
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