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長崎と佐世保にいったのですが、平地が少ないにも関わらず山の斜面に住宅が密集して建っていました。
自分の田舎にも山の斜面に住宅が稀にありますが、長崎ほど密集して、いわば「無理矢理」立てている印象は受けませんでした。

「平地が少ないから」というのは良く聞きますが
「何故平地が少ない土地へ無理矢理立てている」のでしょうか?
斜面が多くて生活に不向きとしか思えません。

貿易で栄えており、斜面にたててでも住みたいほど経済活動が盛んだった頃からの名残かな、
と思っているのですが実際はどうなのでしょうか。

参考文献(ネットで読めたら助かります)も希望です。
よろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

長崎が栄えていたのは貿易だけじゃないですよ。

江戸時代の出島貿易のイメージが強いかもしれませんが、長崎が一番栄えたのはむしろ近代以降です。
長崎は、貿易はもちろんですが、造船、炭鉱などの重工業で栄えていました。三菱のお膝元ですよ。それに佐世保は軍港です。
炭鉱廃止、造船や重工業の衰退で、長崎の経済活動は低下していますが、それはほんの数十年前の話です。いまアラサー世代の比較的若い世代の人出も、「自分が小学生の頃は、週末の市内中心部の商店街は人がいっぱいで、手を繋いでいないと迷子になりそうだった」と言うくらいです。
なんだかんだ言っても、長崎市の人口は現在でも40万人越えです。斜面に建っている家はだんだん空き家が増えてきているとはいえ、平地の住宅で全市民を収容できるほどには人口減少していません。
仕事も生活も、まだまだ長崎市中心部に集中している、ということです。
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この回答へのお礼

栄えたのは近代以降なんですね。てっきり貿易の名残とばかり思っていました・・・
長崎市内がそんな様子だったとは知りませんでした。
他の方の回答で、既に江戸時代から土地がいっぱいいっぱいだったことを考えると、
当然近代以降に、山に家を求めていったということなんでしょうね。
良くわかりました。ありがとうございます。

お礼日時:2017/05/06 19:45

>土地が無いところへ、「わざわざ働きにくる」「後から来る」理由(魅力、必要性と言い換えても良い?)は何だったのでしょう?



よーく考えてみましょう、小学校の問題ですよ (^^)v
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土地が無いからですよ



江戸時代、既に平地は商家並び土地がありませんでした、そこで働く人間や後から来た人間は、周辺の山地に土地を求めるしか無かったからです

享和二年(1802年)の古地図
「長崎で、斜面に多く家を立てている理由は何」の回答画像1
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
土地が無いところへ、「わざわざ働きにくる」「後から来る」理由(魅力、必要性と言い換えても良い?)は何だったのでしょう?

お礼日時:2017/05/06 13:09

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