プロが教えるわが家の防犯対策術!

喫煙者の例で「吸いたい」「タバコは健康に悪い」という不協和はわかりやすいのですが、災害の噂が広まる心理がよくわかりません。

これは具体的にどのような不協和が発生しているのでしょうか?

>@原因不明の感情を説明する
>あるコミュニティで何らかの災害が発生していると、不合理な恐ろしい噂が災害が起こっていない隣接するコミュニティに広がる。これは脅威に直面していない人が、それらの不安を正当化する必要があるためである [1]。

A 回答 (2件)

『災害の噂が広まる心理』これは私の個人的見解です


参考にならないと思いますが・・・

(認知1)災害が発生していない「見えない恐怖と不安」

(認知2)自らが被っていない安心感の獲得と見えない不安
     からの脱却のため噂という通常なら悪の行為を
     正当化させる、また正当化する必要がある

「災害は怖い、その気持ちを持つのは当たり前」
「噂を流すことはよくないけれど災害においては別」
「いつもなら噂は流さないけれど非常事態では別」
「噂は悪いことだけど怖いからみんなと共有したい」

心に言い聞かせることで噂を流すことを自分の中で正当化する
それが伝言ゲームのように広まっていくのではないでしょうか

難しい内容ですね、でも私も少し勉強したくなりました
    • good
    • 0

《緊張を緩和したり知識のギャップを埋めるためにさまざまな災害流言》と考えるならば、自分の中で起きている認知的不協和を低減させるか除去するために、なんらかの心理的圧力が生じ、自分の中での認知的不協和を不協和ではなくする方向に進む。

 《恐怖vs知りたい》なら、怖いもの見たさで出かけることで、知りたい方向にシフトすれば、不協和はなくなるし、出かけなくても、怖いを裏付けるイメージや説話、神話、ニュース、聞いた話を自ら創造してしまうとか、聞いた話を膨らまし誇大化させてもいいのでしょう。
不安や恐怖を(自分で納得でき、他人にも語れる程度に)正当化することで、《いわれのない恐怖や不安を可視化する》のも、《認知的不協和の解消法》なのでしょう。
ただ、研究者や分析家、ビジネスマンなどは、認知に不整合、欠落、変動、揺らぎがあることになれていたりすることがあるので、不確かな情報やなんとなく不安というもの、認知的不協和があっても、それを闇雲に解消するような心的圧力を感じたり、その心的圧力?によって認知的不協和を都合よく解消する情報を作り出してこと済めりとすることはないのでしょう。 ただ、《整合的解釈》の欲求、《整合的解釈が可能になる理論や事実の探査追求》を合理的に行おうという志向は、研究者や分析家、ビジネスマンなどには強いのだと思います。


>あるコミュニティで何らかの災害が発生していると、不合理な恐ろしい噂が災害が起こっていない隣接するコミュニティに広がる。これは脅威に直面していない人が、それらの不安を正当化する必要があるためである [1]。

J. Prasad, The Psychology of rumour : a study relating to the great Indian earthquake of 1934, British Journal of Psychology, Vol. 26, 1935  および A comparative study of rumours and reports in earthquakes,  同上 Vol. 41, 1950.
http://www.hiroi.iii.u-tokyo.ac.jp/index-ronbun_ …
❷災害流言の発生
 災害流言の内容はさまざまである。一九三四年一月インドのビハール地方で大地震が発生した。災害流言の研究者として著名なJ・プラサドはこの地震の後現地に行き、次のような流言を収集している。
①河川の消滅に関する流言(「ガンジス川の水が消え失せ、行水していた人々は砂の中に潜ってしまった」など)。
②龍巻や嵐に関する流言(「イギリスでも大地震があり、その後大嵐も起こった。そのため国全体が海水に沈んでしまった」など)。
③山や丘に関する流言(「外国の探検家がエベレストの頂上に登ろうとしたのでヒマラヤの神が怒った、という夢を見た人がいる。これが地震の原因である」など)。
④月食や惑星に関する流言(「月食の日にふたたび大地震が起こる」など)。
⑤洪水の流言(「恐るべき大地震がカッチ地方で発生し、多くの住民が死んだ。そして突然海水が押し寄せ、たちまち町全体が水の中に沈んだ」など)。
⑥町の壊滅に関する流言(「二月二六日にガンジス川のほとりの大きな町が破壊された」など)。
⑦火に関する流言(「バガルポレ地方で、火の玉が地下からあらわれまっすぐ空中に昇りそれから落ちてきた。そのため二軒の家が焼け落ちた」など)。
⑧血の雨に関する流言(二九三四年四月、ボラクポレ地方に夜、血の雨が降った。このニュースは警察でも確認している」など)。
⑨奇妙な動物に関する流言(「巨大な猿に似たものすごい動物がアラーの町に出現し、若い女性を襲った」など)。
 このように、災害流言には荒唐無稽な内容のものが少なくない。しかし、災害時になぜ荒唐無稽の流言が発生し、少なくとも流言集団の内部では「事実」とみなされるのだろうか。この点についてプラサドは次のように説明している。
 ビハール地方を襲ったこの大地震はきわめて大きな人的・物的被害を生み出した。環境は大きく変化し、人々の安定した生活は破壊されてしまった。そのため、彼らは非常な恐怖に陥ったわけである。またこの地震後長期間余震が頻発し、ふたたび大地震がくるのではないかという人々の不安は鎮まらなかった。こうした感情的要素に加え、人々は被害の全貌について知りたいという強い欲求をもつていた。しかし、情報が途絶えたためこの欲求は満たされなかった。また、なぜこの地方に地震が起こり、自分の家族や財産を奪ったのか、今後自分はどうすればいいのかなどについて知りたい欲求もあった。さらに、地震の猛威によって人々は共通の運命におかれ、いままであった社会的障壁が一時的に消滅した。一種の平等状況が出現したわけである。そして、人々の連帯感は高まりコミュニケーション活動も活発になっていった。このような状況のなかで、緊張を緩和したり知識のギャップを埋めるためにさまざまな災害流言が発生したのである。
 災害流言の荒唐無稽さは、こうした状況における人々の心理状態によって説明できる。たとえば、強い恐怖や不安の感情が流言の内容に反映している。さっきあげた「河川の消滅」、「竜巻」、「洪水」など多くの流言に共通のテーマは、「破壊のイメージ」である。「奇妙な動物」の流言は特に荒唐無稽であるが、この「巨大な猿に似た動物」は暴威をふるう自然のシンボルであり、「若い女性」は安定した人間生活のシンボルと考えられる。すなわち、「巨大な猿に似た動物が若い女性を襲った」という流言は、「自然の暴力によって安定した人間生活が破壊されたしという事実のシンボル的表現なのである。この種の流言は人々の恐怖や不安の投影にほかならない。
 さらに、こうした強い精神的ストレスは人間の思考活動に影響を及ぼさずにはおかない。つまり、精神的ストレスによって人々が平素もっている合理的態度が消え、かわってふつうは意識の底にある非合理的な思考が出現してくる。たとえば、「イギリスの全滅」とか「火の玉の出現」といった流言が出現し、ある程度「事実」として信じられることになる。また、精神的ストレスをもった人々は、平素は潜在化している超自然的なものへの信仰や迷信的態度へと逆もどりすることにもなる。たとえば、「ヒマラヤの神の怒り」や「月食」の流言はこうした迷信的思考のあらわれであろう。
 以上プラサドの説を紹介してきたが、災害が発生し壊滅的被害が生まれるような状況では、この種の非合理的な内容の流言が発生することは決してまれではない。たとえば、関東大震災の後に発表された評論をみると、「災害は腐敗堕落した人間に天が与えた天罰である」という「天譴論」が渋沢栄一や内村鑑三をはじめとする多くの人々によって唱えられている。また多くの体験記のなかに、災害に遭遇して危機に陥った人々が神や仏にひたすら祈る姿が描写されている(14)。こうした例は、緊急事態において人間が合理的な態度をはなれ、天や神仏といった超自然的なものへ移行していくことを示している。このような態度が存在するかぎり、非合理的な流言が発生したり伝播したりする可能性は常にあるといえるだろう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!