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以前読んだ小説に、
弦や鼓を演奏する埴輪はあるが、
笛を吹く埴輪は確認されていない。
信仰上か呪術的な意味で、作るのを忌み嫌ったのだろう、とあったような気がします。

それから、素人なりにすこし文献を調べたことがあるのですが、その衒学的知識の背景にあたると思われる或る研究書を目にするにいたりました。

しかし、ごくごく短い解説で、もしかしたら、その研究書の著者の私見なのかもしれないと思ったのです。

ふと、思い出し、この件に関し、真偽のほどや、更なる知見、研究文献の有無を、ご存知の方がいるかもしれないと思った次第です。

ご回答、ならびにご意見などでも、よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

こんばんは。

初めましてm(_ _)m
人物埴輪は専門外ですので、詳しい事はお答えできませんが宜しくお願いします。

私は人物埴輪の中で笛吹人を表現したものを存じ上げないのですが、存在してもおっしゃる通り非常に類例の少ないものだと思います。
さて、ご質問のように、(当時の首長層が)故意に笛吹人の埴輪を表現するのを避けたと考えるには、その時期に実際の笛が存在し、かつそれが古墳祭祀において人物埴輪として表現されるべきものである(他の人物埴輪との関係の中で)にも関わらず、製作されていないということを証明する必要があるかと思います。
 笛(木製)の現物は奈良県星塚1号墳(6c中葉・天理市教育委員会『星塚・小路遺跡の調査』1990)の周濠から琴状木製品とともにマツ材の笛状木製品が出土していますが、他に類例はないようです。ちなみに木製琴は30例程あるそうです。星塚周濠出土品は一部を除いて古墳に由来する遺物と考えられ、葬送儀礼に使用された後、周濠に投棄された可能性が高いようです。
 例がわずかに1例ですが、琴と笛(いずれも○状木製品ですがw)はともに古墳祭祀(>葬送儀礼)に用いられた可能性があると言えます。勿論、類例がないので他地域でも行われていたかどうかは証明が難しい所だと思います。
また、星塚1号墳で人物埴輪が出土したか未確認ですが、実際に用いる事とそれを人物埴輪として古墳祭祀に用いる事とは同一には考えられません。それは人物埴輪が何を模したものなのか(殯儀礼とか)という評価とも関わる問題だと思います。
 次に文献ですが、貴殿は既にお調べかとも思いますが、少し書いておきます。古墳時代後期の論文でたまに「笛吹部」「笛吹連」というのが出てきまして、笛などの楽器を用いて古墳の葬送儀礼と密接に結びついていたのでは?というような事が書いてあったかと思います。図書館で『国史大辞典』(吉川弘文館)などでお調べになってみてはいかがでしょうか。
あと、『日本書紀』天武天皇十四年九月条にも笛吹関連の記事があります。(『日本書紀』3 小学館 1998)
 以上のように長々と述べてきましたが、笛は葬送儀礼と深く結びついていた可能性がありますので、そういった意味でご質問のように人物埴輪など模すことを避けた可能性もあるとは思いますが、考古資料からははっきりした事を言うのは難しいと思います。
 個人的には琴弾きの人物埴輪が、他の楽器に比べて圧倒的に多いことが不思議な感じがします。それは古墳祭祀で琴が重要度が高かったのか、或いは他の楽器より普及していたからなのか、、、色々考えられますね(^^;)

この回答への補足

 さて、人物埴輪は御専門外と言うことですが、私などただの好事家なので、貴重な意見として拝見しました。つきましては、あわせてのご意見を伺いたく、補足の質問をさせていただきます。

 まず、木製の笛はわずかに残っているとのお話ですが、笛と言えばこのアジア地域であるならやはり竹を使うのが普通かと思います。しかし竹は腐敗が非常に早いので、木製品のように土中で保存され続けることは少ないような気がします。もしかすると木製ではなく竹製の笛は非常に広く普及していたと言う可能性は無いでしょうか。

 また、楽器の起源からごく大雑把に考えると、弦楽器は狩猟民族の弓、打楽器は共同生活における合図、そして管楽器は自然現象(空洞への風の流入)とも考えられ(そのような学説を見受けたような気もします)、自然信仰の汎神論的土壌の日本では、大陸から音階楽器としての横笛が入ってこないうちでも、笛の原型はあり、それは比較的使われていた可能性は無いのかどうかや、
 実際に、石笛なる古代の宗教祭儀に使われたとおもわれる出土品は有名でもあり、横笛でなくても古代日本に気鳴楽器が使われていた可能性は十分にあることから考えて、
 首長層が宗教儀式をつかさどっていた経緯を合わせて考えるなら、
 宗教儀式に首長層が使っていた(かも知れない、いや、使っていたであろう)石笛などのモティーフを、人物埴輪に用いなかったのは、殯や葬送儀礼とそれ以外の宗教儀礼の違いによって使い分けていた可能性は無いか、などと想像力たくましく考えてしまいます。

 モガリや葬送と他の宗教儀礼の差はそれほど無かったのかとかの、その当時の世界観が伺えないのですが、現在でもハレとケの、卑近には神道祭儀と仏教式典の違いは顕著であるので、そこに、笛と弦の使い分けが無かったのだろうか(いや、あったら非常に面白い)と思ってしまうのです。

 個人的に、日本における弦楽器の原始の形(非音階的・音響的なもの)に興味があり時々考察するのですが(はっきり言うと梓弓です)、似たような感性で古代の気鳴楽器に興味を持つ笛の演奏家の知り合いがいまして、もやもや想像している次第です。

 vaiosan様は笛と葬送儀礼の結びつきは深かったのではないかと推論されますが、
 私は埴輪が葬送だけの目的と仮定したとして、気鳴楽器の音響世界像と宗教的世界観の違いから使われなかったとすれば、それは面白いと考え、
 逆に埴輪が葬送以外の宗教的意味を持つなら、気鳴楽器を形にすること自体にそもそも何か忌み嫌う理由があったのかもしれないと思い、意見などを伺いたかったのです。

 ひょっとして、上記の推測とはまた反対なのですが、今までの出土人物埴輪で、口元や顔の近くに何かを持っている像があったとして、それは食器や食べ物ではなくて、それは石笛であり、当時笛と言えば石笛で、けして忌み嫌っていなかった(かもしれない)、という考察もできるかもしれませんね。

 ほかに、気鳴の音響は、「息・生き」「生命」ともかかわるように思います。葬送に「ハレ」である「息吹」は適さない、あるいは世界像が狂うと直感したのではないか、などSF的にまで想像してしまいます。

 まぁ、推測に推測を掛け合わせる他愛も無い想像の世界ですが、門外漢ゆえに許された遊び場での思考ゲームなのかもしれません。

ご意見がございましたら、またお寄せください。

しばらく、このスレッドは閉じずに残します。

補足日時:2004/09/11 13:58
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この回答へのお礼

お礼の前に・・・

まず、お詫びを。
しばらくPCから離れており、またなかなかこの質問には回答が無いであろうとの思いで、意識がかなり薄められていました。非常に詳しいご回答を頂いておりながら、ご挨拶もせず、誠に申し訳ありませんでした。

そして、非常に感謝しております。ありがとうございました。 (少し補足があります。)

お礼日時:2004/09/11 12:38

こんにちは。

意見ですが。m(__)m

これは楽器の形状によるものではないかと思います。

現代の人形などでもそうですが、笛の場合、どうしても細い物が本体(奏者)から突き出した形になります。
するとその部分は大変壊れやすくなり、人形などに作るには難しくなります。

現在の人形などでも、小さいものだと真鍮などの針金をくっつけてるなど、硬質の材料での成形は非常に少ないようです。

まして焼物ではかなりの困難があるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

どうも、ご回答ありがとうございます。

しかし、形状・形態は関係ないと思います。
作りたい欲求、作るべき理由があれば、最低限の形式を踏襲して、シンボライズしえたであろうと私は思うのです。

たとえばその部分だけ少しレリーフ調にするとか、いろいろ造形上の工夫は可能に思えます。

だからこそ、ここに不思議さを感じるのです。
何か、特別な理由と言うか、意識の持ち方があったのではないかと。。。

何か思い当たることがありましたら、又お願いします。

お礼日時:2004/08/30 13:12

高崎の古墳から出た人物群像の埴輪の中には笛を吹く人がいた筈です。

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この回答へのお礼

そうなんですか。

それは、珍しいことですね。

では、無いことは無いという事になりますが、少ない理由が何なのか知りたくもあります。

貴重な情報ありがとうございます。

お礼日時:2004/08/30 13:00

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