dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

僕は平成生まれですが戦後育ちの人が「戦後の大変さ・辛さ」みたいなことを言っているとなんだか腹が立ちます。
要は貧乏だっただけだろうと…
生まれたときから貧乏なら、それは大して苦ではないと思います。
僕の家も決して裕福ではありませんでしたが、やはり戦後の育ちの人のそれは全く理解できません。

貧しさのレベルが違うよ、と言われても所詮は「日本の昭和」です。
海外には今日でさえ食べ物にありつけない人達がいます。

対して、戦中の方々は本当に大変であっただろうなと思います。


もちろん時代は戦中も戦後も繋がっているわけですが、まるで「戦中と変わらない」くらいの言い方をされると腹が立ちます。



みなさんは、どう思われますか?

A 回答 (7件)

>戦中の方々は本当に大変



食料事情に関しては、戦後の方がはるかに深刻です。
終戦になって大陸や南洋から引揚者や復員兵によって、日本列島の人口が一気に増えます。
当時の日本の人口は約7200万人で、外地からの帰還者によって、約2年の間に一気に650万人くらい(約1割)の増。
さらに天候不良や大きな台風などで、農村の作柄もよくなかった。
もともと戦中から食料は足りていなかったところに、ダブルパンチですね。
1946年年末までに1000万人の餓死者がでるだろう、というアメリカ側の予測もあります。

実際に何人の餓死者がでたかはわかりませんが、餓死者の遺体が道ばたに並べられ、どこかに運ばれていくのを待っていたとか、やせ衰えて目をギョロつかせた栄養失調の浮浪児との食べ物をめぐる攻防とかの記録があります。
ちなみに手元の資料によると、小中学生の平均身長/体重が戦前の水準に戻るまでに、終戦から15年程度が必要でした。

というようなことは、2、3冊の解説本や小説を読めばわかります。
ネットならもっと短時間で、詳細なデータを集められるかもしれません。
おそらくそれらをすることなしに(していたら、所詮は「日本の昭和」なんて言い方はしないはず)、自分の中のあいまいな知識で創ったイメージ、思い込みだけで「腹がたちます」とか言ってるあなたが心配です。
    • good
    • 3

要は貧乏だっただけだろうと…


  ↑
貧乏のレベルが違うんですよ。

それこそ食うや食わずの貧乏です。

現代の、ブランドが買えない、海外旅行へ行けない、
レストランが、車が、スマホが、という
レベルではありません。

途上国と先進国の差ですね。




所詮は「日本の昭和」です。
  ↑
それが間違いです。
日本が先進国になれたのは、1970年代
ぐらいからです。

それ以前は途上国でした。
IMFから、お金を借りていた国でした。
新幹線もそれで作ったのです。

配給米だけで生活していた、裁判所の判事が
餓死した時代です。



まるで「戦中と変わらない」くらいの言い方をされると腹が立ちます。
  ↑
でも、そういう人達が、今日の豊かな
日本を作ったのです。
    • good
    • 1

んと。

。。
金は関係ないんです。
食べ物がないんです。

お金があっても食べ物を買えないんです。
想像できます?

もちろん都会ではない田舎の農家ならなんとか食べるものはありました。
その食べ物を都会の人が着物や洋服、宝石などと交換してくれってくるんです。

この昭和10年代20年代に子どもだった世代は、現在85~70歳くらいですが、子供の頃に食べ物がちゃんと食べられなかったために今でも食べ物を粗末にすることができません。
    • good
    • 1

太古の昔から、今の若いもんは・年寄りの言う事はとかみ合わないのが普通です、


経験の差なのです、再来年には元号が変わりますそうすると平成生まれと
新元号生まれで、又あなたの平成生まれと新元号生まれで同じことを言う若者が
出て来ます、永久に理解し合えなくて好いのです、一定の年齢差で何時も生じる
現象なのです。 今と言う同じ土俵に居る様でも住む世界が違うのです。経験の差
    • good
    • 0

終戦直後は酷かったようですね。


空襲で都市部では防空壕で生活ですから…。
配給では生活できずヤミで食料を手に入れなければ…と。
法曹関係でヤミに手を出せずに餓死する人も居たそうですし、芋しか主食がなく栄養失調で子供が…というのもあったそうです。

地域によってもかなり格差があり、農村は比較的良かったようですが、都会は酷かったと聞きます。
私の周りは、幸いにも空襲が少ない田舎の地域だったので食料に苦労はなかったそうです。

ですが、田舎でも手にしている食料を守るために苦労をしていたようです。
田舎で、突然、戦時中の上官が訪ねてきて食料を融通してくれと頼まれ融通すると、
その噂を聞いた更に上の上官が…となり自分たちが食べる分に苦労したという話も聞きましたね。

昭和と言っても、終戦直後の生活が成り立たないような辛さの時期は確かにあったと思いますね。
私の子供の頃でも、傷痍軍人さんが道端で立っていた記憶があります。
    • good
    • 1

比較できないから、腹も立ちようがないです。


今とあまりにも違うからね。

あなたと戦後育ちの人と1つだけ違うのは、
戦後育ちの人は、両方の時代を
実際に体験・経験していることです。

事実に基づく話には説得力があります。
あなたの想像力が追い付かないのでしょう。

無理もないと思います。
知らないんだもん。
    • good
    • 0

まだ、戦時中がましです。

戦後は、終戦前に全国へ、B-29による、絨毯爆撃があり、竹槍訓練で、戦う覚悟をみなさんしてました。
下の画像はその終戦時の画像です。田んぼと違います。東京の街中です。

これが、現在まで発展したのです。そして、子供は、米軍のジープを追いかけて、お菓子をもらって奪い合いです。そんな戦後を経験したからと、その頃の人たちは、子供達にひもじい思いをさせたくないと、頑張ってきました。昭和30年代です、それから、その子供たちは、現在40代かな〜その子供たちを、惨めな思いは・・と甘やかしてしまったので、クズの子供がたくさんできているのです。

これは、あまりにも子供たちに、苦しい思いをさせたくないとの、親心が裏目に出て育った結果です。給食費を払わない親、子供が喧嘩するとなり込んでくる親、学校の先生も同じようなのがたくさんいます。
どこかずれているのですね。一番悲惨だったのは、戦後10年です。
「僕は平成生まれですが戦後育ちの人が「戦後」の回答画像1
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!