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ミッドウェイ海戦にて、一番の敗因は南雲忠一の優柔不断だと言われていますが、この時、山口多聞の意見を採用し、陸上爆撃用爆弾でアメリ艦を攻撃しに、攻撃機が飛び立った場合、ミッドウェイでの悲劇は免れたのでしょうか?
また、南雲忠一は空母戦とは全く関係のない水雷専門家だったのに何故、ミッドウェイ海戦の指揮官になったんでしょうか

A 回答 (6件)

戦死編纂室の戦史叢書が正しいとは言い切れません。

一部しか読んでいないので、間違いを指摘するわけにもいけませんが、負けると分かっていた戦争に踏み切ったのは、やはり海軍が原因のようです。東条英機大将が悪者にされていますが、山本大将の発言が無ければ、開戦に踏み切ってはいなかったと思われます。要するに海軍も官僚主義に位置言っていたのです。山本大将が伝えられているような戦略家なら、開戦も勿論ミッドウェイもなかったでしょう。

①南雲中将の機動部隊司令官
官僚主義そのものの人選です。連合艦隊司令長官として、開戦を控えたこの時期にこの人事を承諾することは、自殺に等しいと言えます。米軍がニミッツを抜擢したのとはまるで違います。

②南雲中将の資質
機動部隊の使い方を熟知しない彼に、優柔不断は可哀そうです。必然的にこうなります。サイパンの玉砕でも、陸戦の素人の彼が司令官では、硫黄島のようなわけには行きません。海軍の硬直した人事の最悪なものでした。当然機動部隊のエキスパートを抜擢すべきでした。こんなことは、終わってから分かる事と切り捨てる事はできません。つまり自衛隊でも起こって居る事と推測出来るのです。

③情報戦
現在でも情報戦の重要さが分かっていない国民は、これを非難できません。ここで既に負けているのです。真珠湾でも情報戦には負け、空母を打ち漏らしているのです。真珠湾の空母打ち漏らしは偶然ではないのです。

④戦艦大和の出撃
官僚主義の最たるものです。大和武蔵は、機動部隊に随伴できない鈍足で、このような艦の出撃など油の無駄使いは、分かっていたのに、出撃の実績を付けるために敢えて出撃させたのです。

⑤陸上爆弾
ナンセンスとしか言えません。そもそもドウリトルの東京空襲が、ミッドウェーからの爆撃行と考えたところから間違えています。機動部隊のミッドウェー爆撃は、米国機動部隊おびき寄せ作戦が本命であるのに、基地攻撃が不十分だから、再度攻撃なんて馬鹿馬鹿しい限りです。機動部隊エキスパートの司令官なら、対艦攻撃用の航空魚雷と対艦爆弾を陸上用に換装しなかったでしょう。従って米空母発見と同時に、攻撃隊を発信できたでしょう。山口少将が抜擢されていたら、こんなことには成っていなかったでしょう。ドウリトル中佐とその航空隊の勇気に負けたとも言えます。

⑥ミッドウェイの悲劇
対艦攻撃の魚雷爆弾を装備し、しかもガソリン満タンでは、どうぞとしか言えません。米空母おびき寄せ戦術の確認をしていれば、こんなことには成っていません。司令官が全ての責任を負うのは仕方ありませんが、参謀もまるで航空戦を理解していなかったのではないでしょうか。史上初の空母同士のサンゴ海海戦経験者をせめて配属してほしかったのですが。

⑦官僚主義
ここに尽きます。源田中佐は、病気で航空戦の指揮は取れなかったと伝わっていますが、彼が元気でも同じだったでしょう。何故なら、彼も直掩機の大切さをこの時まで理解していなかったのです。そのため、ドーントレスの多くもない爆撃機に空母を壊滅させられたのです。この反省から彼はあの紫電改の戦闘隊を組織するのですから、遅きに失したと言えます。
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日本海軍の暗号が事前に米軍に解読され、ミッドウェーに日本軍が来ることは事前に知れていた時点で、少なくとも日本側の完全勝利の可能性は無くなっていたと思う。

米軍が余程のミスをしない限り、よくて両軍程々の損害で引き分けか、米軍勝利かどちらかだったと思います。

>攻撃機が飛び立った場合、ミッドウェイでの悲劇は免れたのでしょうか?
艦上に危険物(爆弾と燃料満載の飛行機)がいなくなったので、もしかすると日本軍空母の損害が軽くなり、何隻かは沈没せずに住んだ可能性はあると思いますね。で、上手く行けば米軍側にもそこそこのダメージを与えることが出来たかも。→引き分けか、若しくは多少優勢勝ちの可能性もあったかも。

>南雲忠一は空母戦とは全く関係のない水雷専門家だったのに何故、ミッドウェイ海戦の指揮官になったんでしょうか
兵学校の成績良い順に指揮官を並べたら、たまたま南雲閣下は機動部隊指揮官に当たってしまっただけです。山本閣下も順送り人事はある程度仕方がないと思っていたので、まぁ仕方がなかったのでしょう^^;。
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簡潔にいきます。


>山口多聞の意見を採用し、陸上爆撃用爆弾でアメリ艦を攻撃しに、攻撃機が飛び立った場合、ミッドウェイでの悲劇は免れたのでしょうか?
 ⇒その場合充分な数の護衛戦闘機が用意できませんでした。少数の艦爆と艦攻だけで突っ込んでも直掩機の餌食になった公算が高いです。また陸上爆弾は空母の甲板をある程度破壊できたかもしれませんが、アメリカ海軍のダメコン能力はご存じのとおりですし、攻撃隊が充分な戦果を挙げられたかどうかは難しいところです。
 また日本艦隊の被害については、空母の激しい火災を誘因したのは甲板上の機体ではなく、むしろ格納庫内の機体の燃料タンクが爆弾の破片で発火、それが延焼したことだったという説があります。だとしたら仮に攻撃隊が発艦して甲板上が空っぽだったとしても深刻な被害は免れなかったのではないかと思われます。

>南雲忠一は空母戦とは全く関係のない水雷専門家だったのに何故、ミッドウェイ海戦の指揮官になったんでしょうか
 ⇒この時の攻撃隊の兵装で唯一大型艦を沈める力を持っていたのは航空魚雷だけです。艦爆の25番ではありません。航空魚雷は当時の最先端の精密兵器であり、準備調整に大変な手間と時間がかかります。一説によればひとつの魚雷整備班が一日に整備できる魚雷は1発程度だったとか。南雲中将は確かに航空戦の専門ではありませんが、この艦隊の指揮官の中で最も魚雷の扱いに慣れた人物のひとりであったことは確かです。
 年次が高く、水雷の専門であったこと自体は指揮官として必要十分な条件だったように思います。決して最適だったとは思いませんが。

 そもそもミッドウェイ海戦については戦後「ああやっていれば勝てた」という論調が高まりましたが、現在では結局勝てなかったねという方向に落ち着きつつあるようです。例でいえば利根4号機の発艦の遅れ。これ、当時の海図をもとに計算すると、予定通りに発艦しているとアメリカ艦隊が担当エリアに達する前に現場を通過してしまい、結局発見できなかっただろうという話になっています。
 こういった話で「IF」くらい無駄なことはないと思いますよ。
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それはことが終わった後の結果論です。


その時の当事者は、持てる限りの情報を駆使して最善の結果を出そうと頑張っていたのです。
誰も、国(天皇)から委託された艦船と自分の命を無駄な意地の捨て石にしようとは思いません。

南雲司令が迷った遠因として、軍令が曖昧だったことがあげられます。
軍令には「攻撃部隊の撃破を主任務としつつ、ミッドウェイ島の攻略も考慮せよ」と書かれていました。
そのため、入ってくる情報に合わせて、艦船攻撃と島の攻撃の間で揺れ動いてしまったのです。
こういうことが起こらないよう、軍令は一つの目的しか書かないのがセオリーです。
これを破った軍令部・連合艦隊司令部のエラーでもあります。
まあ、当時の日米の国力差では、二兎を追わざるを得なかったということでもあるのですが。

あと海軍の場合、将官になると専門は問われませんでした。
山本大将も鉄砲屋でありながら航空本部長に補せられています。
将軍・提督に求められるのはスペシャリストでなくジェネラリスト。
全軍をまんべんなく掌握し運営する技能こそが求められるのです。
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>一番の敗因は南雲忠一の優柔不断



それが一番ではないと思うんだな。
ここのNo.11さんの回答を参考に。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8127723.html
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旧海軍は、年次優先、ハンモックナンバー優先です


階級と年次で誰がどのポストに就くか決まるのです

まぁ旧海軍に限らず、どこもそんな感じだが
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