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昨夜はテレビ見ながら深々と考えました。
野球することと、野球を観戦することの違いとはなに。
バレーボールすることと、バレーボールを観戦することの違いとはなに。
水泳することと、水泳を観戦することの違いとはなに。
オリンピックに参加することと、オリンピックを観戦することの違いとはなに。
そのあとむなしくなりました。
なんで。

A 回答 (4件)

質問者さんはスポーツで例えていますが、深めていくと、「自他の区別」なのではと思います。



野球などをすることによって得られる感覚は自分自身、主体です。


観戦は客観(客体)です。

観戦することによって得られる感覚は、主体で得る体験が欠けています。

「見て得る」ものに限定されるのです。
更に、観戦は、観ている私という人物の感覚を通した体験ですので、傍観者という位置付けです。

参加者(主体)は、間に何も介さず自分自身との合致が起こる体験ですね。

人生感、観にダイレクトに繋がります。

客体は、自分の感覚(客体)を通して主体である他者を感じることですから、観戦した傍観者としての自分を生きた実感です。

あらかじめ、自他の区別、分別が認識のレベルでついていれば、観戦は、傍観者として(自分を生きた実感=愉しむ)ことを求め、納得して、観戦しに行けます。

余談ですが、ちょうどの機会なので。

自他の区別が大事だと考えさせられる場面は、こういうサイトやネットニュースなどに、読んだ傍観者が、主体と客体の区別の自覚がないのか、あえてか、主観で批判をする。
別の角度から物を見れない。
レベルの低いコメントが、まだ多くつき、また、それを読む人が主観でもってそれが正論との読み方しかできていないことが嘆かわしいです。

自他の区別が曖昧というのは、日本人の一つの傾向らしいですが、そういう傾向が精神病を重篤化しない良い点にもなっていそうだと河合隼雄は以前言っていました。

こういうサイトでも、哲学を借りて延々と他者のことを話題にしている人は、心理的には、自分に向き合えない人、自分から逃げている人です。

逃げることや回避の時間は必要な時期はあると思いますが。
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現実とヴァーチャルの違いじゃないでしょうか。



世の中と一個人の関係がヴァーチャル化していて、通じる心が希薄に
なっていると感じたから、むなしくなったのではないでしょうか。
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見てるだけといとしげ里に日二暮れれながらも


観客がいないことのはとも思いますが
ソ連史江もどこもかしこも許可が必要らしく居場所がないですね。

私は全然なんておいうのか老い
一円も稼げず履歴書も真っ白です。
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他人の成功を見ていくら喜んでも、それは自分のことではなく、たかが他人事。


それに気づいたから「むなしい」のです。
それはお友達同士でも同じです。
Aの性格や行為にBが感心しても、Bに対してAが感心するものが無いとBが悟った時、
Bは「むなしい」気持ちになります。
そんな時は、Bも関心を得る行動を起こせばよいのです。
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