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人間は平等ですか?とよく子供たちに質問される事があります。平等なのに金持ちと貧乏人は差があるのに平等じゃないですよね?と現実的な話しをすると子供たちを傷つけたりするのではないか?といつもハラハラしています。何と答えればいいか、よい例え話しでもいいから教えて下さい。

A 回答 (16件中1~10件)

平等である、というのは事実を意味するのでは


ありません。

平等である「べき」だ、ということです。

つまり、不平等だから、平等であるべきだ、という
規範が導出されたのです。




平等なのに金持ちと貧乏人は差があるのに平等じゃないですよね?
と現実的な話しをすると子供たちを傷つけたりするのではないか?
  ↑
そんなことで傷つくんですかね、今の子供は。

現実は平等でないことぐらい、知っていると
思いますが。

教えるべきは、当為と事実の違いです。
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なにもハラハラすることはないです。


人は皆、生まれつき不平等なんです。
金持ちの家に生まれる人もいれば貧乏人の子として生まれる人もいます。
イケメンとかブサイクとか、秀才とか凡才とかは生まれつきのものです。
産まれた瞬間から大きなハンデを背負わなければならない人は多いです。
「人は生まれながらに不平等である」
それが真実です。
ただ、それでは殺伐としてしてしまい世の中が穏やかに機能しませんから、「法律上の権利や義務は万人平等である」としているにすぎません。
それだって日本以外の国では保障されるかどうかはあやしいものです。
独裁政権の多くの国では国民すべてに平等な権利を保障している国はほとんどありません。
日本というすばらしい国に生まれた幸せをかみしめるべきですね。
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平等ですね、権利も義務も平等にありますね、経済的なことも同じ、裕福な時はラッキー、落ちぶれたら惨め、皆おんなじ。

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子供のうちにしっかりと人は産まれた時点で格差が生じてると言うべきだと自分は思ってます。

平等という言葉は、まやかしにすぎません。私は自分の子供達に物心ついた時から、世の中平等なんて無いと言って聞かせてました。
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いや〜、ガキには、


「世の中は平等だ」
って言っておけばいいんです。
成長するごとに分かってきます。
人に教えられるものではありません。
肌に感じるものです。
そしていずれ平等ではないと気づいた時にどう考え、どう動くかは子供が考える事です。
特別な教え方など必要ありません。
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平等についてはいろんな考え方があると思うので、子供たちにあえて答えを説明する必要はないと思います。


昔の学者の考え方と、今の大人たちと、これからを生きる子供たちとでも、答えは全く違うものになると思います。
答えは自分で探してみてごらんと言ってあげるのがいいのではないかと思います。
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「何に対して」平等かを限定するとよいと思う。



日本国憲法は日本国国民に対し「法の下の平等」を保証している。
それは生まれた家、場所、性別などによらず「同じように法律を適用してもらえる」ということである。
これを突き詰めれば公教育、裁判、選挙権、私有財産保護など、様々な場面で「法の下の平等」がもたらす機会均等の恩恵を感じることができる。

なお「法の下の平等」は財産の不均衡、組織の中の権利・義務の不均衡、親権による未成年者の権利の制限などまでは否定しない。
平等とはその実効性を保証するために、常に限定的に用いられるものなのである。
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唯一、皆が経験する事があります。



それは、いずれ死ぬ事
必ず、トイレする事

これだけは、平等です。
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宿命やカルマが違う以上平等はあり得ません


よく「法の下に平等」というのが有りますが
宿命が個人個人違う以上これも変えるべきなのです
私は宿命的に人間を上中下に分ける「人間三分割論」を
提唱してますがまだ全然浸透してませんが(笑)
ですから本当は一人一人違う生き方をすべきですが
国の民主主義的悪平等政策によって阻止されているのが現状です
ただ一人一人違うから何をやってもいいわけではないです
犯罪はダメですし仁義に反する行為(噓をついたり過剰エゴ、
権威主義、覇道権階級社会等)もやらない方が無難です
そのような条件下でオリジナリティな生き方を模索するのが重要なのです。
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日本は、「平等」と「公平」の二階建て社会で、平等な社会の上に、差が付く公平な社会が乗っかっている感じ。



多くの先進国が、そんな感じの国家設計をやってますが、日本は割と上手くやっている方なので、格差社会化しているとは言うものの、世界的に見れば、かなり貧富の差は小さい方で、中間層が最も多いです。
逆に、完全に二極化している様な国は、少なくありません。

それはさておき、たとえば「法のもとの平等」などと言いますが、法律やルールは平等です。
野球やサッカーで言っても、どんな選手もルールは同じですから。
一流アスリートでも、ルール違反のドーピングなどをやっちゃうと、たちまちその座を失ってしまいますから、平等であるべき部分には、ズルとか抜け道は余りありません。

ただ、テクニックや体力などで、レギュラーとしての出場チャンスは平等じゃないし。
更にプロとかになれば、当然、活躍の程度でギャラも違い、そう言う部分が「公平」なんです。

残酷な言い方をすれば、「公平」の部分においては、「合理的な理由のある不平等」は、不公平ではなくて、認めちゃうんですね。
とは言え、サッカーは下手でも、走るのが早ければ、陸上で活躍もできるし。
スポーツ全般が苦手なら、それ以外の分野で頑張ればいい訳で。
要は、公平な社会においては、自分に最も合った分野を見つけて、そこで活躍することも大切と言うことです。

あるいは、「権利」と「義務」や「責任」も、平等や公平と密接に関係してますよ。
権利や義務,責任も、法律やルールで認められている場合がほとんどで、基本的には平等ですが・・。
ただ、社長と平社員では、権利と義務が違うでしょ?
社長は多くの権利と共に、多くの義務や責任も背負ってますが、平社員は権利は乏しいものの、会社に対する責任なども、ほとんどありません。

大して義務や責任を果たさずに、やたら権利だけ主張する様な人も居て、法律で認められた権利であれば平等なので、誰にでも権利行使は出来ますが、そう言う人物は、余り社会では評価されないんですね。
逆に、社会で評価されるのは、多くの義務や責任を果たしてきた人で、そんな人が認められて、権利を与えられると共に、もっと大きな義務や責任も果たしていくのが、日本の様な社会システムです。
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