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私は遠藤周作著の「イエスの生涯」を読み、イエス様の本当の姿を知りました。

イエスは神を信じておられた。そして神の本質を怒りではなく愛と説いた。けれど辛く苦しい時代の中どんなに愛を説いても周りの者は「何もできぬ男」だと知るとイエス様を囲んでいた群衆やイエス様の弟子は離れ、時に憎悪からイエス様の殺害を試みる人間もいた。

やがてイエス様は僅か残ってくれた弟子たちすらも見捨てられ、十字架の上で死んで行きますが、イエス様は死に際に、神にこう言いました。
「彼等を許したまえ」
弟子たちを恨むことまなくイエス様は最後まで愛を説き、かつ神に弟子たちの救いを求めたのです。

「イエスの生涯」を書いた遠藤周作はこう書かれておりました。
「イエスの奇跡物語よりも、リアリティがありふれた、このイエス伝のほうが私は真実だと思える」

以来私はイエス様のその愛に感動し、同時にふと涙を流してしまうと、イエス様の存在もイエス様の教えも信じるようになりました。
しかし私は神の存在など元から否定している者です。神の存在の否定及び嫌悪さえも感じてしまうのです。

ですから私はこう思わざるおえないのです。
「イエス様は神を信じていた。では私はどうだろう? 私はイエス様を信じているが神は信じていない。これではいけないのではないのだろうか」

 そう思うと変に不安で仕方がないのです。
私はイエス様を信じますが神は信じません。これって、いけないことなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 皆様のありがたい回答にお礼を申し上げます。

    私は神をこう解釈しています。

    神はこの世界と宇宙を作り上げ、そして人類の運命を決める者。と私はそう解釈しています。それが神の本質だと思っていたのです。

    だからこそ私はそんな最高的存在がいることに同意しかねるのです。

    しかし、ciaopolpo2様が言って下された新約聖書に記述されている「彼を信じることは、神を信じることと同じ」という言葉に私はどうすれば良いのでしょう。

     イエス様が信じた愛の神、神の愛を信じればよいのでしょうか。

     世界と宇宙と人類の運命を左右(罰を与えることや人を死なせることなど)する神ではなく、世界と宇宙を作ったが人類の運命を左右せず人類に愛を授ける最高的存在と認識すれば良いのでしょうか。

      補足日時:2018/12/09 14:39

A 回答 (9件)

別にいいと思いますけど



私はクリスチャンではないのですが
イエス様は好きですよ
でも「信じる」とかではなく
人の子として生きた、その生き様が好きなんですけどね

質問者さまは
何に対して
「これでいいのかな」と悩んでおられるのでしょうか?
イエス様に対して?
神を信じないことでイエス様に怒られる?というような心配ですか?

とりあえずもう少し、いろいろ、聖書関連の本を読んでみたらどうですか?
(でも新興宗教関係のはおすすめしないけど…)

新潮新書の「はじめて読む聖書」を
おすすめしときます
神学者から小説家まで
いろんな人が聖書について書いてます

これに
「神を信じないクリスチャン」という神学者がでてきて
その方もイエスの生涯を書いてるらしいです
読みたいなと思いながら
読んでないんですけど

遠藤周作さんがどういう風に聖書を学びイエスについて調べたのかはわかんないんですけど
聖書を本気で勉強するには
ヘブライ語ギリシャ語は必須だそうで
最低限それをマスターしてる人の本がいいと思いますよ
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スミマセン。

。。。イエスの親が愛の神だと思います(^-^)
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神のみつかいの方はイエスですかね!

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遠藤さんの小説は、遠藤氏の主観が混じってますからね。


それだけで判断するのは、、
 
イエス自身「私を見たものは、父(神)も見たことに成ります」と、イエスへの信仰は、イエスの父なる神の信仰に等しいといわれています。
両者を別々にして、一方だけを信じるのは、ちょっと片手落ちかと。

聖書の中で、イエスの伝道について記した4つの福音書から始まる新約の部分より、創世記からの旧約の方が、分量が多いことを考えてください。
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「三位一体」のカトリックには参加できませんね。


まあ、最近はカトリックも寛容になっていますから異端審問にはかけられませんが、
「空気読めない奴」になるので議論には参加できません。

言えるのはそれだけです。
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べつに良いのでは?。


殆どの人は、無神論者と、思うが。
しかし、無神論者でも、「苦しい時の神頼み」はするはずだから。
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神様を信じなくても、なにか人は信じるものがあれば人生の糧になりますから、いけないことではないです。



歴史上の人物の生き様に感動した、それで良いわけです。
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プロテスタントの信者です。



新約聖書だけを読んでいる限り、神の子の”が父”である、神が、人間界とどんなかかわりがあるのか、非常にわかりにくいと思います。

イエス・キリストは、神に通じる門であり、彼を信じることは、神を信じることと同じ、と新約聖書にあります。その考えは、キリスト教で最も難解だと言われている、三位一体説に繋がってゆきます。ですから、イエスを信じているのに、神が信じられない、というのは、不条理です。

遠藤神学、と呼ばれる遠藤周作さんの著作では、イエス・キリストは”が母性の塊”のように書かれています。民衆を愛し、民衆を許し続ける、母のような存在です。しかし、家庭には父と母がいて、両親に接することで、子供の成長や性格に奥行きが出るように、無条件に許し、愛するけれども、同時に、民衆の中の罪を憎み、断罪しようとする側面も持っています。厳しい父の属性も尊重してゆくことで、イエス・キリストの全てを受け入れることに、なりはしないでしょうか。

一度、さらっと、旧約聖書の概要でもお読みになって、イエス・キリストがこの世にあらわれる前、神が、どんな風に、人間と一対一で対峙されたか、考えてみることをお勧めします。
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いいえ、何を信じようが信じまいが自由です。



私は宗教自体、負のイメージの方が大きいです。
もちろん教義を信じ、実行することで心のやすらぎを得ているなどプラスになっている人も多くいるので
科学の発達した現在にも宗教は存在し続けているものだと思います。

私が不可解なのは〇〇教という「くくり」で信者を増やしたいという「あさましさ」です。
感覚的には「教義」のみ存在し、入信しなくとも興味のある不特定多数が実践すればいいだけだと思います。
そもそも〇〇教というくくりがあり、勢力争いをしているために、世界中で色んないさかいが起こるのだと思います。
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