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素朴なことなのですが、日常プラスとかマイナスと言っているとき、複素数や虚数単位のことを考えていないと思いますが、実際は虚数単位が無いと、プラスからマイナス(あるいはこちらの方が先かもしれませんが)マイナスからプラスへの関係は出来ないのではないかと思ったりするのですが。ディラックの陽電子も複素数で電子とつながっているなどということはないのでしょうか。足し算引き算は人間が考えたことで、自然には掛け算と割り算しか実在しないなどということはないでしょうか。どうも0というのが自然世界には実在しないのにもかかわらず、複素数の代わりにプラスとマイナスを短絡的に結び付けているようにも思うのですが。

A 回答 (6件)

質問者さんの応答を見ておりますと、自然界というものを対称性だけが存在すると考えておいでのようです。

対称性だけに注目するのであればおっしゃるような見方があるのかもしれません。もっとも対称性、つまり群論だけとってもかならずしもiで生成される群だけではないので、自然界のある側面だけとりあげていることになります。
問題は自然界のどの側面が本質で、どの側面が人間の考えたものか、ということですが、その点ですでにひとつの答えを決めていらっしゃるように思いますが?
であるとすればそれはもう質問ではないんじゃあないかと思います。
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この回答へのお礼

自分では答えを決めているというつもりはないのですが,ご指摘の通りなのかもしれません。ご親切に有難うございました。

お礼日時:2005/03/07 16:00

自然界に実在するのが「虚数単位」と「かけ算わり算」だけならば、


演算の結果として自然界に現れる数は、i, -1, -i, 1 の4つのみになります。

木々の生長や水の流れ、寒暖の変化等、
自然界には、「絶対値が1」では説明がつかない(と思われる)事象がたくさんありますが、
その点については、質問者さんはどう考えていますか?

この回答への補足

別にこだわるつもりはないのですが、1でないということ自体が1を前提にしているので、私は数学は人間が考えたものであって、自然界には虚数単位{のもと?}ぐらいしか実在していないのでは思ったわけです。特に足し算引き算は自然界は(演算を?)やっていないのではないかと思っています。例えばりんごが100個あるとしても、象は一塊(塊がひとつではなく)ののりんごと考えて(?)いるのではないでしょうか。

補足日時:2005/03/07 08:14
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多くの方が回答しています(どれも一般的には適切な回答の様に感じます)が……



○ 実際は虚数単位が無いと(略)出来ないのではないかと思ったりするのですが。
○ どうも0というのが(略)短絡的に結び付けているようにも思うのですが。

このあたりについて、「なぜそう思うのか」を書けば希望に近い回答が得られるのではないでしょうか?

この回答への補足

掛け算割り算で-1も+1も、0が無くても虚数単位があれば生じますね。一方、足し算引き算では0がないと+1と-1は関係を持てないのではないかと思っているわけです。自然界では虚数単位だけで(掛け算割り算で)物事が起こっているのを人間が0というものを作り出して足し算引き算に解釈しなおしているということはないだろうかということでした。

補足日時:2005/03/06 16:42
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こんにちは



わたしの考え方でよろしければ参考にしてください。

>素朴なことですが~ないでしょうか。

の部分と

>足し算~思うのですが。   の部分を 分けて考えて下さい。

最初の部分は”二つのものをペアにして考える”と言う考え方です。たとえば、

”ある複素数”と”複素共役な複素数”の組み合わせ、

”ある数ベクトル”と”それに垂直なベクトル”のくみ合わせ、

”ある行列”と”別の行列”の組み合わせ、と言う風にです。

これらは、

ある複素数×別の複素数=実数      の関係にある”別の複素数”を”共役複素数”と呼ぶ、

ある数ベクトルと別のベクトルの内積=0 のとき別のベクトルを”あるベクトルに垂直なベクトル”と呼ぶ、

ある行列×別の行列=単位行列      ならば”別の行列”を”ある行列”の逆行列とよぶ、という風です。

もちろん、”ある~”とペアを作ることができる”別の~”は一つに定まらないこともあります。

陽電子などの場合には、これらの事を対消滅とか対生成を表すのに使っているとも考えられます。

後の部分については、”数が実在するか”とか”ある計算は自然なものか”という風に考えるのであれば、私には良く分かりません。

善後策としては、数の実在については考えずに、”ある計算”の事を”モノとモノの関係”として捉えてよいのであれば、ひどい違和感は感じなくてもいいように思います。四則演算であれば、

数の存在を仮定する、単位元、零元の存在も仮定する。

そして、足し算と言う名前の演算をしても良いと仮定する。すると、

マイナスAとは”A+B=0となるB”の事だ、という風に話の設定をしてゆくことができます。

後の演算の定義については代数学の本を見てください。
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この回答へのお礼

私は、元来分けられない事物を人間が分けようとするひとつの方法として数学があるように思うのですが・・・

お礼日時:2005/03/06 14:03

>実際は虚数単位が無いと、プラスからマイナス(あるいはこちらの方が先かもしれませんが)マイナスからプラスへの関係は出来ないのではないか



そんなことはありません。自動車をバックさせたり、借金をしたり、食品を冷凍したりするのに虚数単位を直接使う必要はありません。
(自動車や冷蔵庫の設計に複素数が必要というのは、また別の話です)

>ディラックの陽電子も複素数で電子とつながっている
>自然には掛け算と割り算しか実在しない

自然界の存在物が数学を知っているわけではありませんし、自然界に何かの演算があるとかないとかいったものではありません。数学は人類の発明品であり、言語の一種です。自然現象がもつ性質を記述する場合に、整数・実数・複素数のような集合と、集合の中で定義される演算を使えば、思考・伝達・議論・説得・記録に便利だということです。
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この回答へのお礼

私は、自然の事物も数学をやっていると思いますが、人間が改めてそれを解釈しなおしているのではないかと思っています。

お礼日時:2005/03/06 13:58

この質問、中々奥が深いとおもいます


数学の問題じゃないと思いますよ
どっちかっていうと、哲学ですよ

でも、私の考えですが
前提:正の実数がある
虚数単位→マイナスの数を作れる
でなく、
数の構成を考え得る体系がどれくらいあるか って問題で汎化できると思います

大抵どういう順番で考えてもそれなりの体系を作れるように思います

この回答への補足

私は、(自然界には)虚数単位だけが実在していて、虚数単位の掛け算から負数ができ、次に負数の掛け算から正数ができたのだろうと思っています。0は不要なのではないかということでしょうか。

補足日時:2005/03/06 08:11
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