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国持ちや中堅クラスの譜代・外様大名についてですが、同じ石高(例えば表高十万石)だと外様大名の方が極官・詰めの間・家格などで優遇されているように思います。
家臣筋の家よりも、もともと大名であった家を優遇していたのでしょうか?

A 回答 (6件)

再補足です。


綱吉はかなり気まぐれなところがあり、恣意的な人事で平戸の松浦氏父子を譜代に取り立て役職につかせ、筑前の黒田長重を奏者番に任じたりしましたが、後に外様に戻しました。これが先例になって混乱が起こりました。
「願い譜代」というのは知りませんが前述のように譜代には恩典がありますから外様よりはましでしょう。

伊予の脇坂家は堀田正盛(春日の局の子)の次男が養子に入り譜代になりその後老中になった子孫があります。
池田家は千姫の娘の嫁ぎ先なので特別の扱いを受けたのです。 千姫の死後千姫からの借銀四万八千両を棒引きにしてもらいました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2005/03/10 18:43

補足です。


五代将軍綱吉は一時的に外様大名に幕府の役職につかせましたがこの為譜代に一時的に編入された例外はあります。  同様に譜代から外様に移った例もあります。
また養子縁組により譜代大名家から外様を継いだ場合は譜代扱いになるなどもあり、その時々に適当に決められたのが混乱を生じました。

官位や家格などの他外様大名には「お手伝い普請」(治水工事、築城など)や参勤交代などおおきな費用負担を強いられました。
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この回答へのお礼

補足ありがとうございます。
>譜代に一時的に編入された例外
願い譜代というものでしょうか?

>養子縁組により譜代大名家から外様を継いだ場合は譜代扱いになるなどもあり
鳥取池田も外様ながら、家康の外孫の系譜からか特別待遇を受けてたみたいですね。

お礼日時:2005/03/06 22:11

徳川幕府は、豊臣政権が直轄領を少なくし全国に蔵入り地を散在させた事が全体としての動員力を減らし滅亡の原因となった前例に鑑み、直轄領を多く保持し(旗本八万騎といわれる)譜代大名にも大きな所領を与えませんでした。


その代わり政治の実権を与えたのです。 
外様大名は大身であっても政治には蚊帳の外におかれ、国政について参画する機会はありませんでした。
それが崩れたのは幕府の勢力が弱った幕末に至って初めてだったのです。
譜代大名には色々優遇策をとり詰めの間も将軍の居間近くに置きました。  足し高制は役職に支給するものですから、役職に就ける譜代の独占給与みたいなものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
十万石未満の雁間・菊間クラスの譜代だと老中はじめ要職に就けたと思いますが、榊原家・本多家のような十五万石クラスの譜代の名門の家は公儀要職にも就けず、何か中途半端な感じがしたので質問させて頂きました。

お礼日時:2005/03/06 22:08

具体的に優遇していたかどうかは知りませんが、幕府は常常外様大名を取り潰すか弱体化を狙っていたので、表面上優遇する形にして何事かある

都度「お手伝い普請」等の負担をさせるのが目的だったのでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そういう面もあるのかもしれませんね。

お礼日時:2005/03/06 22:03

逆に何か有れば適当な・・・・



また何か有れば適当な・・・・・
こちらの文でないと変ですね!訂正します。
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外様は「いつ寝返るか解らない」という不安もありますし、逆に何か有れば適当なイチャモンをつけて潰す事も可能なので、少しくらい優遇して

おいた方が良いとの判断ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに熊本加藤家なんかはいちゃもんで潰されてますね・・・

お礼日時:2005/03/06 22:02

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