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幕末の薩摩藩主や毛利藩主は、外様大名にもかかわらず、なぜ倒幕に消極的だったのでしょうか?

他の外様も、例えば宇和島伊達宗城など、なぜ徳川家に協力的だったのでしょうか?

A 回答 (2件)

勤王攘夷に浮かれていた若い下級士族と違い、大名たちは保守的な年寄りの家老たちに囲まれているうえに、大名の嫁に子供たちに加え、家老連中からも人質を取られて江戸に住まされていましやからね。


そもそも外様とはいえ、大名は子供時代は江戸に住み、大名になってからも参勤交代で半分は江戸暮らしですからね。もともと地元よりも江戸に馴染んでいるのです。

幕末も幕府が長州征伐に大敗を喫するまでは、幕府に歯向かうなんて気はなかった。

欧米列強の開国圧力に困った老中阿部正弘が、前例を覆して、広く外様にも国政に関する意見を求めた時には、特に薩摩と島津斉彬と宇和島の伊達宗城なんて嬉しかったでしょうね。
それまでは陰でしか幕政に口を出せなかったのに、公式に口出しできるようになって批判も含めて言いたい放題でしたからね。

この言いたい放題が仇となって、阿部正弘の死を受けて老中首座・大老に就任した井伊直弼に安政の大獄を喰らってしまうわけですが…。
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当時諸外国が植民地化を狙い、中国のアヘン戦争など目撃の


坂本龍馬など、幕末の偉人たちが、国内で内戦すれば、
これに乗じて、植民にされると、大政奉還などを考え、内乱を
収めたから。

このため諸外国の独立戦争や、革命と言った人民の血が流れず、
軍国主義化して太平洋戦争に突っ込み敗戦、ここでも、米軍に
民主主義を貰い、人民に血を流しして得た記憶がない。

そんなこんなの結果、若者は選挙に半分も行かず、「投票に足る
政党はない」とか言って、レジャー優先。
これでは衆愚政治に落ちるだろう。一回死ぬような状況に
ならないとだめかもしれない。

再稼働も、「電気不足じゃやむなし」という意見も多く、2回目の
メルトダウンで、国家存亡の危機に至るしかないのかも知れません。
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