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もし平治の乱が起きなければ藤原信頼、源義朝、義平、朝長、頼朝、範頼、義経、義仲はどんな人生を歩んだのでしょうか?

個人的には
藤原信頼 太政大臣か関白
源義朝 50〜55歳まで存命 征夷大将軍兼左大臣
義平 大納言
頼朝 征夷大将軍か左大臣として行政面で能力を発揮して結局、守護、地頭みたいな体制を作る。
頼家と実朝ポジションにつく子供たちは、頼朝没時には30くらいになって頼朝の子供もあと7〜8人はいたから途絶えなかった。
範頼 文化人?
義経 鞍馬寺、奥州藤原氏との経験もなく普通に文化人として和歌、蹴鞠好きな人になって意外に平家と仲よかったのかもしれない。
意外に実朝みたく金槐和歌集みたいな物をつくって歴史に名を残したのかもしれない。
史実の没時には、子供も元服していた。
義仲 征夷大将軍となって結局、尾張か関東にいた。

皆さんはどうなると思いますか?

A 回答 (3件)

タイムマシンはありませんし、できないでしょう。


あなたがこういう質問した前の状態にも
戻れないでしょう。
過去は戻らぬ。

いうなれば、逆を考えても意味ないでしょう。
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歴史で「もしも・・」を考えること自体何の意味もありません。

事実を明らかにすることと結果だけが、重要ですから。架空のフィクションで話を進めても、歴史ではなく、それは、もう、お伽噺以下のことです。
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頼家と実朝は


頼朝が伊豆に流され、
配所で北条氏と接触
北条政子と頼朝が
結ばれて
生まれたのでは?


征夷大将軍は朝廷が与える役職ですよね。

何か真逆の史観になっていませんか。

義仲が征夷大将軍になれたのは
都に攻め入って
平家を追い出した功労に報いたものではなかったかな。
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この回答へのお礼

頼家と実朝ポジション(嫡男)と言う意味です。
本物の頼家と実朝では、ありません。

お礼日時:2022/04/28 07:25

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